ほのぼの日本史をご覧のみなさん、今週も一週間お疲れ様でした。今回のお疲れキャラは明智光秀です。
明智光秀といえば本能寺の変ですね。あれが無ければ運命が良くも悪くも変わったという人は、戦国時代に主要な人物だけで何十人といるでしょう。それだけに光秀も信長を討つ時には大きな重圧がありました。このような場合、多くの人は縁起を担ぎますが光秀もそうです。
光秀は本能寺に攻め込む前に京都府亀岡の篠村八幡宮で祈願し老ノ坂を越えて本能寺に攻め込みました。このルートは鎌倉時代の末期に足利尊氏が鎌倉幕府の出先機関、六波羅探題に攻め込んだのと同じルートなのです。光秀は美濃源氏であり、足利尊氏も源氏という縁起担ぎもあったかも知れません。その効果があってか、信長を討ち果たす事に成功した光秀ですが自らの天下は僅かに13日しか持ちませんでした。
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