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今週もお疲れ様!明智光秀の縁起担ぎ

01/04/2022


監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

姉妹メディア「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

yuki tabata(田畑 雄貴)おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、姉妹メディア「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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今週もお疲れ 明智光秀

 

ほのぼの日本史をご覧のみなさん、今週も一週間お疲れ様でした。今回のお疲れキャラは明智光秀です。

 

mituhide-aketi-honouji(明智光秀の本能寺の変)

 

明智光秀といえば本能寺の変ですね。あれが無ければ運命が良くも悪くも変わったという人は、戦国時代に主要な人物だけで何十人といるでしょう。それだけに光秀も信長を討つ時には大きな重圧がありました。このような場合、多くの人は縁起を担ぎますが光秀もそうです。

 

mituhide-aketi-honouji(明智光秀の本能寺の変)

 

光秀は本能寺に攻め込む前に京都府亀岡の篠村八幡宮で祈願し老ノ坂を越えて本能寺に攻め込みました。このルートは鎌倉時代の末期に足利尊氏が鎌倉幕府の出先機関、六波羅探題に攻め込んだのと同じルートなのです。光秀は美濃源氏であり、足利尊氏も源氏という縁起担ぎもあったかも知れません。その効果があってか、信長を討ち果たす事に成功した光秀ですが自らの天下は僅かに13日しか持ちませんでした。

 

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本能寺の変の特集

 

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カワウソ編集長

カワウソ編集長

日本史というと中国史や世界史よりチマチマして敵味方が激しく入れ替わるのでとっつきにくいですが、どうしてそうなったか?ポイントをつかむと驚くほどにスイスイと内容が入ってきます、そんなポイントを皆さんにお伝えしますね。日本史を勉強すると、今の政治まで見えてきますよ。
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