織田信長の遺体はいったいどこへ消えたのか?あり得たかもしれない光秀と信長の「再開」を妄想してみる


本能寺の変で「是非に及ばず」と切り替えの早い織田信長a

 

本能寺(ほんのうじ)の変」の謎のひとつ。それは、死んだはずの信長(のぶなが)の死体が見つからなかったことです。

 

敵は本能寺にあり!と叫ぶ明智光秀b

 

「まあ、それは、突然のクーデターという大混乱の中の話だからしょうがないんじゃないの?」などと簡単にいうなかれ。これは明智光秀(あけちみつひで)にとっては死活問題だったはずです。クーデターの確実な成功のためには、信長の遺体を確保し、天下に「確実に信長を討ち取った」と号令したいところだったはず。

 

織田信長に恨みを持つ明智光秀

 

光秀が「信長を殺した」と宣言しても、証拠がなければ、「もしかしてハッタリでは?信長は実は生きていたりしないか?」などと諸侯に勘繰られてしまい、決定的に不利になってしまいます。というわけで、光秀の部下たちが探しても探しても、信長の遺体が見つからなかったのは、明智光秀にとっては決定的な誤算でした。

 

忙しくて過労で倒れる明智光秀

 

もちろん「信長の遺体が見つかっていたとしても、光秀の敗北は不可避だった」という意見もあるでしょう。でも、遺体さえ見つかっていれば、その後の歴史の展開はまた少し変わっていたかもしれません。

 

明智光秀(麒麟がくる)

 

あくまで「もしかすると」ですが、遺体さえあれば、もう少し明智光秀は中央でネバり、秀吉(ひでよし)の天下統一もスムーズではなかったかもしれませんし、柴田勝家(しばたかついえ)滝川一益(たきがわかずます)の運命も違ったかもしれません。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

姉妹メディア「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

yuki tabata(田畑 雄貴)おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、姉妹メディア「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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けっきょく信長の遺体はどこに消えたのか?

織田信長の首を持って逃げ出す弥助

 

それにしても、肝心の信長の遺体はどこに行ってしまったのでしょう。これについては古来より、さまざまな説が入り乱れております。

 

  • 誰かが持ち去ったのだ
  • 信長自身が自らの遺体の見分けがつかないようにあえて炎の中で自殺したのだ
  • 単に、予想以上の現場の炎上のせいで、どれが信長の遺体かわからなくなってしまっただけだ

 

まあ現実的に考えれば、最後の「単に現場がぐちゃぐちゃだったから」あたりが真相の可能性が高いですが。それでは身も蓋もないので、歴史ファンとしてはいろいろと空想をたくましくするわけです。という次第で、信長の遺体が見つからなかったというだけで、信長にまつわるさまざまな「伝説」が生まれることになったのでした。

 

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麒麟がくる

 

 

当然でてきたのは、「信長生存説」!

 

そしてこういう時に決まってでてくるのが、現代で言えばアドルフ・ヒトラーやエルビス・プレスリーの死後にも流布した、「実は彼は生きていた」系の説。本能寺の変についても、遺体が発見されなかったという一点のおかげで、信長生存説が昔から根強く支持されております。

 

たとえば、

 

  • 実は明智光秀自身、本当は信長を殺す気はなく、ひそかに逃がしていた
  • 信長はうまく自力で脱出し、その後は田舎に潜伏して暮らしていた
  • 信長はイエズス会の宣教師たちによって救出され、海外へ亡命した

 

などなど。はい、ツッコミどころは満載ですよね。

 

宣教師 ルイスフロイス

 

「光秀が、本能寺を攻撃しておきながら、肝心の信長に情けをかけるなんておかしい」とか、「日本のイエズス会宣教師たちにそんな独自行動がとれる余裕があったはずがない」とか、いろいろ、言えますよね。ですがこのように「もし信長が生きていたら」といろいろ空想をたくましくしてしまうのが、古今の歴史好きの定めらしく。

 

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本能寺の変の特集

 

 

ライターYASHIRO自身が考えた、「信長生存」の乏しいながらもあり得る可能性

三国志ライター YASHIRO

 

私自身は、どう考えているのか?

 

残念ながら私も、「生存説」については、かなり無理があると考えています。というのも、信長のキャラクターを考えればすぐわかる通り、もし彼が生きていたのなら、その後は表舞台から消えてひっそりと暮らしていたなんてハズがなく、何らかの形でまた世に出てくるはずだからです。

 

「それは承知で、なんとか、信長が実は生きていたシナリオを探してくれないか」と、もし熱烈なファンに頼まれたら、どうでしょう?

 

そうですね。たったひとつ、あり得なくもないシナリオを考えたことが、あります。

 

三国志を楽しく語るライターYASHIRO様

 

すなわち、

・信長は何らかの形で本能寺を脱出したのだが、重傷を負っていた上に記憶障害を負ってしまい、そのために余生はひっそりと暮らすしかなかったというもの。

 

この可能性まで考えれば、生存説もアリになるかもしれません。でも、再起不能の状態でなんとか生きながらえたという「説」では、信長ファンは喜ばないかもしれませんが。

 

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戦国時代の都市伝説特集

 

 

まとめ:ふと空想してしまった展開、「もし信長生存説と光秀生存説、両方が正しかったら?」

ポイント解説をするYASHIRO様

 

しかし、ふと、思い出したことが。そういえば、明智光秀のほうにも、「実は生きていた」説が昔から根強くありますよね。

 

天下を収めた徳川家康

 

有名なものは、のちに徳川家康(とくがわいえやす)と懇意になった天海(てんかい)上人という実在の高僧が、「実は生き延びた明智光秀の、隠れ蓑としての姿だった」という伝説。こちらはこちらでツッコミどころの多い伝説ではありますが、興味深い話ではあります。

 

でも、「信長の遺体がなかった」ハナシと、「光秀は生きていた」説、両方がもし正しかったら、歴史はどうなっていたのでしょう?

 

正装した明智光秀

 

そんなことを考えているうちに、以下のような空想をしてしまいました。戦国の世もほぼ落ち着いた時代。天海という僧侶になりきって、どうにか平和な老後を手に入れた明智光秀のところに、村人からこんなお願いが入りました。

 

村人「天海さま。実は、おらたちの村に三十年ほど前から、記憶を無くした老人が棲んでおりまして。その老人が危篤なのですが、どうか、最期に、お経をあげてやってくれませんかね?」

 

天海「それは気の毒な境遇のご老人じゃのう!よし、わしが経をあげてやろう」

 

(村にて)

天海「ここがその老人の住居か。それでは上がらせてもらってと。おお、あなたが、ハナシに出てきたご老人かな?」

 

末期の老人「・・・お坊よ、おぬし、どこかで見覚えのある顔じゃな・・・はて?」

 

天海「え?・・・ああ!あなたはまさか、上様!」

 

末期の老人「・・・あー!思い出したぞ!お前は光秀!このやろう!あのときはよくも!てめえ!」

 

天海「きゃー!」

 

周りの村人たちは何が何だかわからず、ともかく、取っ組み合いのオオゲンカになった二人の老人を取り押さえ、どうにか引き剥がしましたとさ。

 

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通説では「ダメ人物」とされている人について、史料に則しつつも「こういう事情があったのではないか?」と「弁護」するテーマが、特に好きです。愚将や悪人とされている人物の評価を少しでも覆してみたい!がモチベーションです。日本人の「負けた者に同情しがちな心理」大切にしたいと思っています
【好きな歴史人物】
南朝側の武将全員!

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