源平合戦の最終決戦となったのが、有名な壇ノ浦の戦い。わずか一日の決戦の中にさまざまなドラマや悲劇が生まれました。日本史上においても燦然と輝く「名合戦」というところです。
もちろん後世の私たちは、戦いが源氏の勝利で終わったことを知っているわけですが、あえて、ここで「イフ」を考えてみましょう。すなわち、この最終決戦でもし平氏が勝っていたら、その後の日本史はどうなっていたでしょうか。
この記事の目次
「壇ノ浦の戦いって何だったっけ」とまずは史実のおさらいから
まずは史実の、背景の整理をしてみましょう。源範頼、源義経が率いていた、対平氏追討軍ですが、内実はさまざまな思惑をもった諸将が集まっている寄り合い所帯。決して一枚岩ではありませんでした。
源義経の戦術の巧みさのおかげで山陽道にて連勝を飾り、平氏を壇ノ浦の海上に追いつめたものの、この最終決戦は、源氏側には不慣れな海上戦。しかも兵糧問題が出てきていた源氏側にはタイムリミットもあり。
もしこの壇ノ浦の一戦で平氏を仕留めそこなえば、ここまでの連戦連勝もムダとなり、そこから参加諸将の間にほころびができて、遠征隊解散、ということもあり得ました。
そこでさまざまな準備をして決戦に臨んだ源氏側。史実では勝利を固めたものの、「完全決着をつけねばならない」という条件の厳しさからか、報告を聞いた源頼朝も不満を持つような、いくつかの強引さによる想定外の副産物ももたらしています。
・女子供も容赦なく死んだ(※入水自殺をされてしまったので義経側には仕方なかったとはいえ)
・都から持ち出されていた三種の神器が紛失した
・平氏側に「あっぱれな死に方」をした勇将が続々と現れ、その後の文芸世界での人気と同情を誘った
などなど。
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平氏が壇ノ浦の一戦だけをしのげば、これだけの反撃が可能だった?
いっぽう、もしこの壇ノ浦の戦いを平氏がしのげば、その後、何が起こっていたでしょうか。
まず、源氏側の侵攻が停止することになります。たとえ大将の源範頼と源義経が脱出したとしても、兵糧問題の限界もあり、平氏追討軍はいったんの撤退、悪くすれば諸将たちが逃げ出しての自然解散となったでしょう。
その場合、平氏側は安徳天皇を抱えているわけなので、皇位の正当性を主張することができます。よしんば京都へ帰ることができなくとも、大宰府に拠点を再構築するか、あるいはいったん福原まで押し戻すことで、安徳天皇を軸に「正統な朝廷はこちら」と主張することができたでしょう。
その場合、源頼朝は後白河法皇と組んで別途の天皇を立てるはず。日本は南北朝ならぬ東西朝時代に突入し、その二朝状態が百年くらいは続いたかもしれません。
この場合、平氏は西日本の勢力圏をかためてもちこたえるので、いずれ東西朝で和解が成立し皇室系統が統合されたとしても、平氏側の要人や、安徳天皇系の皇族が京都に戻り、平氏側の血筋はその後の日本史に継承されていったことでしょう。
また地味な話ですが、三種の神器の紛失事件も発生しないので、東西朝和解の際に日本には三種の神器が今でもオリジナルのまま伝えられていたことでしょう。
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この場合打撃を受けるのは日本文芸史?
この比較的平和な、「東西朝分裂」と、その後の「和解」のイフ世界。とうぜん、その後の日本の歴史は大きく変わりますが、政治史の歴史以上に、日本の文化がまるで違ってしまうことに気づきます。この世界では、平氏が生き永らえて最後には合流するので、少なくとも、我々が知っている形での「平家物語」が登場しないのです!
あるいは、登場したとしても、諸行無常をうたう格調の高い文学作品ではなく、「平氏のほうが日本の統治者として正当性がある」ことを主張する、政治色の強い歴史書として編纂されていたことでしょう。あの文学的格調の高い平家物語がない日本文学史?
あまりにもその後の文学史の様相が変わってくるのではないでしょうか!
そしてその影響は文学にとどまりません。芸能や大衆文芸の世界にも、この影響は波及します。まず、平家物語を語る琵琶法師が登場しません。平家の落人伝説も登場しません。そうなると、現代日本の各地にある「平家の落人伝説の地」もすべて生まれて来ません。
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まとめ:ホラーや怪談をネタにする文学やサブカルやオカルト界隈が深刻な打撃を受ける?
この影響をまともに食らうのが、いわゆるJホラー界や怪談界ではないでしょうか。なにせ、定番の幽霊のひとつである「平家の落ち武者」が登場しません。安徳天皇の悲劇がないので、壇ノ浦をめぐる呪いの伝説も登場しません。下関のあの特異なカニたちに「ヘイケガニ」という名前も与えられません。下関の鬼火伝説も生まれません。
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日本史ライターYASHIROの独り言
下関に耳なし芳一という琵琶法師は存在せず、よしんば似たような法師がいたとしても、彼は耳を盗られる悲劇には見舞われず安穏と生きて死んでいきます。すると、明治時代に松江にやってきた小泉八雲は『耳なし芳一』を書くこともありません。
小泉八雲『怪談』のオープニングが変わってしまうと、「雪女」「むじな」「ろくろ首」のポピュラー化にも影響が出てしまいます。平氏が壇ノ浦で滅んでいなかっただけで、なんと多くのJホラー・怪談の「定番ネタ」が殺されてしまうことか!
逆の見方をすれば、どれだけ壇ノ浦での平氏の悲劇が、日本文化のコンテンツの源泉としていまだに丁重にされているか、ということでもありますが。このあたりを思い出しながら、この夏は平氏関係・壇ノ浦関係の怪談という、古くてしかし新しいネタをじっくり味わって、ひんやり、涼しくなってみるというのも、いかがでしょうか?
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