もし壇ノ浦の戦いで平氏が勝っていたら日本はどうなっていた?政治史よりも文学やサブカルやオカルト界隈への深刻な波及を考える

11/12/2022


 

コメントできるようになりました 織田信長

 

平家を滅ぼした最大の功労者・源義経

 

源平合戦の最終決戦となったのが、有名な壇ノ浦の戦い。わずか一日の決戦の中にさまざまなドラマや悲劇が生まれました。日本史上においても燦然と輝く「名合戦」というところです。

 

源義経の八艘飛び

 

もちろん後世の私たちは、戦いが源氏の勝利で終わったことを知っているわけですが、あえて、ここで「イフ」を考えてみましょう。すなわち、この最終決戦でもし平氏が勝っていたら、その後の日本史はどうなっていたでしょうか。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

姉妹メディア「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

yuki tabata(田畑 雄貴)おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、姉妹メディア「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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「壇ノ浦の戦いって何だったっけ」とまずは史実のおさらいから

平家物語 書類

 

まずは史実の、背景の整理をしてみましょう。源範頼、源義経が率いていた、対平氏追討軍ですが、内実はさまざまな思惑をもった諸将が集まっている寄り合い所帯。決して一枚岩ではありませんでした。

 

源義経の鵯越の逆落とし

 

源義経の戦術の巧みさのおかげで山陽道にて連勝を飾り、平氏を壇ノ浦の海上に追いつめたものの、この最終決戦は、源氏側には不慣れな海上戦。しかも兵糧問題が出てきていた源氏側にはタイムリミットもあり。

 

自由奔放で武蔵坊弁慶を振り回す源義経

 

もしこの壇ノ浦の一戦で平氏を仕留めそこなえば、ここまでの連戦連勝もムダとなり、そこから参加諸将の間にほころびができて、遠征隊解散、ということもあり得ました。

 

源義経

 

そこでさまざまな準備をして決戦に臨んだ源氏側。史実では勝利を固めたものの、「完全決着をつけねばならない」という条件の厳しさからか、報告を聞いた源頼朝も不満を持つような、いくつかの強引さによる想定外の副産物ももたらしています。

 

 

三種の神器(八咫鏡 天叢雲剣 八尺瓊勾)

 

・女子供も容赦なく死んだ(※入水自殺をされてしまったので義経側には仕方なかったとはいえ)

・都から持ち出されていた三種の神器が紛失した

・平氏側に「あっぱれな死に方」をした勇将が続々と現れ、その後の文芸世界での人気と同情を誘った

 

などなど。

 

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平氏が壇ノ浦の一戦だけをしのげば、これだけの反撃が可能だった?

平知盛

 

いっぽう、もしこの壇ノ浦の戦いを平氏がしのげば、その後、何が起こっていたでしょうか。

 

義仲討伐の総大将に抜擢された源範頼

 

まず、源氏側の侵攻が停止することになります。たとえ大将の源範頼と源義経が脱出したとしても、兵糧問題の限界もあり、平氏追討軍はいったんの撤退、悪くすれば諸将たちが逃げ出しての自然解散となったでしょう。

 

安徳天皇

 

その場合、平氏側は安徳天皇を抱えているわけなので、皇位の正当性を主張することができます。よしんば京都へ帰ることができなくとも、大宰府に拠点を再構築するか、あるいはいったん福原まで押し戻すことで、安徳天皇を軸に「正統な朝廷はこちら」と主張することができたでしょう。

 

再び権力を取り戻した後白河天皇

 

その場合、源頼朝は後白河法皇と組んで別途の天皇を立てるはず。日本は南北朝ならぬ東西朝時代に突入し、その二朝状態が百年くらいは続いたかもしれません。

 

平宗盛

 

この場合、平氏は西日本の勢力圏をかためてもちこたえるので、いずれ東西朝で和解が成立し皇室系統が統合されたとしても、平氏側の要人や、安徳天皇系の皇族が京都に戻り、平氏側の血筋はその後の日本史に継承されていったことでしょう。

 

また地味な話ですが、三種の神器の紛失事件も発生しないので、東西朝和解の際に日本には三種の神器が今でもオリジナルのまま伝えられていたことでしょう。

 

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この場合打撃を受けるのは日本文芸史?

戦国史ライター YASHIRO-ver2

 

この比較的平和な、「東西朝分裂」と、その後の「和解」のイフ世界。とうぜん、その後の日本の歴史は大きく変わりますが、政治史の歴史以上に、日本の文化がまるで違ってしまうことに気づきます。この世界では、平氏が生き永らえて最後には合流するので、少なくとも、我々が知っている形での「平家物語」が登場しないのです!

 

あるいは、登場したとしても、諸行無常をうたう格調の高い文学作品ではなく、「平氏のほうが日本の統治者として正当性がある」ことを主張する、政治色の強い歴史書として編纂されていたことでしょう。あの文学的格調の高い平家物語がない日本文学史?

 

あまりにもその後の文学史の様相が変わってくるのではないでしょうか!

 

そしてその影響は文学にとどまりません。芸能や大衆文芸の世界にも、この影響は波及します。まず、平家物語を語る琵琶法師が登場しません。平家の落人伝説も登場しません。そうなると、現代日本の各地にある「平家の落人伝説の地」もすべて生まれて来ません。

 

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源頼朝

 

 

まとめ:ホラーや怪談をネタにする文学やサブカルやオカルト界隈が深刻な打撃を受ける?

平家の水軍(壇ノ浦の戦い) 平清盛

 

この影響をまともに食らうのが、いわゆるJホラー界や怪談界ではないでしょうか。なにせ、定番の幽霊のひとつである「平家の落ち武者」が登場しません。安徳天皇の悲劇がないので、壇ノ浦をめぐる呪いの伝説も登場しません。下関のあの特異なカニたちに「ヘイケガニ」という名前も与えられません。下関の鬼火伝説も生まれません。

 

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源義経

 

 

日本史ライターYASHIROの独り言

戦国史ライター YASHIRO-ver3

 

下関に耳なし芳一という琵琶法師は存在せず、よしんば似たような法師がいたとしても、彼は耳を盗られる悲劇には見舞われず安穏と生きて死んでいきます。すると、明治時代に松江にやってきた小泉八雲は『耳なし芳一』を書くこともありません。

 

小泉八雲『怪談』のオープニングが変わってしまうと、「雪女」「むじな」「ろくろ首」のポピュラー化にも影響が出てしまいます。平氏が壇ノ浦で滅んでいなかっただけで、なんと多くのJホラー・怪談の「定番ネタ」が殺されてしまうことか!

 

逆の見方をすれば、どれだけ壇ノ浦での平氏の悲劇が、日本文化のコンテンツの源泉としていまだに丁重にされているか、ということでもありますが。このあたりを思い出しながら、この夏は平氏関係・壇ノ浦関係の怪談という、古くてしかし新しいネタをじっくり味わって、ひんやり、涼しくなってみるというのも、いかがでしょうか?

 

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YASHIRO

通説では「ダメ人物」とされている人について、史料に則しつつも「こういう事情があったのではないか?」と「弁護」するテーマが、特に好きです。愚将や悪人とされている人物の評価を少しでも覆してみたい!がモチベーションです。日本人の「負けた者に同情しがちな心理」大切にしたいと思っています
【好きな歴史人物】
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