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鵜殿長照とはどんな人?家康に命を救われるが今川への忠義を貫き討ち死にした三河国人【どうする家康】

10/02/2023


 

コメントできるようになりました 織田信長

armor(鎧を身にまとう武士)

 

鵜殿長照(うどのながてる)は戦国時代の三河国上ノ郷(かみのごう)城主です。桶狭間の戦いの時に今川方の武将として尾張の大高城に入り、織田軍の兵糧攻めにあい落城寸前となりますが、途中で救援に現れた松平元康により兵糧を補給され落城を免れました。長照にとって元康は命の恩人ですが、今川氏の弱体化によって織田方についた松平元康と今川に味方した鵜殿長照は生き残りのための戦いを余儀なくされるのです。

 

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

姉妹メディア「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

yuki tabata(田畑 雄貴)おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、姉妹メディア「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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1556年父の跡を継いで宝飯郡上ノ郷城主となる

今川義元

 

鵜殿長照は戦国時代の武将で三河国宝飯郡(ほいぐん)上ノ郷城主です。1556年、今川氏に従っていた父、鵜殿長持(うどのながもち)が死去したために上ノ郷城主となります。鵜殿氏の所領は三河の東西を結ぶ重要な拠点にあったので今川氏に重用されて鵜殿氏の地位は向上。また長照の母は、今川義元の妹でもあり一門衆に準じた扱いでした。

 

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桶狭間の戦いで松平元康に救われる

どうする家康 正面ver

 

長照は桶狭間の戦い以前から尾張大高城の城代に任命されていましたが、織田信長の調略により動きを封じられ兵糧攻めに遭います。城内の兵糧が枯渇すると長照は将兵を鼓舞して山野の草木の実を採取して飢えをしのぎました。落城寸前の大高城でしたが、今川義元が派遣した松平元康の荷駄隊が織田方の砦を切り抜けて大高城に到着、城は落城を免れます。鵜殿長照は義元の命令で大高城の守備を元康と交代になりますが、直後に桶狭間で今川義元が織田信長に討たれる事件が発生しました。

 

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三河の今川派国人として独立勢力と戦う

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桶狭間の敗戦により、三河や遠江における今川氏の支配は弱まり、各地で国人が蜂起、三河では松平氏が急速に台頭します。しかし今川氏と縁続きの鵜殿長照は今川を支持し元康改め、徳川家康と敵対します。ところが長照は人心を得る事が出来ず、一門の中からでさえ松平氏に降った者や駿府へ逃げる者が出て結束が弱まりました。1561年、鵜殿長照は、近隣の竹谷城に夜襲をかけますが、城兵が夜通しで博打をしていたのを夜襲がバレたと勘違いして撤退。千載一遇のチャンスを逃がします。

 

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上ノ郷城を徳川家康に落され討ち死に

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長照は以後も竹谷松平氏を相手に善戦したものの、1562年松平勢は家康自ら軍勢を率いて上ノ郷城を攻撃。鵜殿長照は必死に防戦しますが、家康は甲賀衆を上ノ郷城に潜入させ火薬を使い火災を起こします。これにより、鵜殿勢は造反が出たと勘違いして士気が低下、城は攻め落とされ、長照は伴与七郎に討ち取られます。鵜殿長照の子の氏長と氏次は家康に捕らえられ、駿府に留められていた家康の妻子と交換する形で今川氏へと送り返されます。陥落した上ノ郷は、家康の生母、於大の2番目の夫である久松俊勝に与えられました。

 

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日本史ライターkawausoの独り言

kawauso

 

今回は鵜殿長照を解説しました。桶狭間において兵糧攻めに遭い、徳川家康の救援によって救われた鵜殿長照ですが、今川義元の死で三河国の今川支配が揺らいだ時に、今川に残る選択をした事が独立した徳川氏との命運を分けてしまいました。鵜殿氏は、それだけ今川氏に重んじられ大事にされていたのかも知れませんね。

 

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カワウソ編集長

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日本史というと中国史や世界史よりチマチマして敵味方が激しく入れ替わるのでとっつきにくいですが、どうしてそうなったか?ポイントをつかむと驚くほどにスイスイと内容が入ってきます、そんなポイントを皆さんにお伝えしますね。日本史を勉強すると、今の政治まで見えてきますよ。
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