今川氏の桶狭間までの歴史を4分で解説

21/01/2023


 

 

コメントできるようになりました 織田信長

 

今川義元

 

2023年のNHK大河ドラマは「どうする家康」です。よく知られている通り、家康は幼少期から青年期まで今川義元の人質でした。しかし、そんな今川氏はどのように成立し戦国大名になったのでしょうか?今回は今川氏の誕生から桶狭間の戦い直前までを解説します。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

姉妹メディア「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

yuki tabata(田畑 雄貴)おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、姉妹メディア「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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鎌倉御家人、足利義廉が先祖

今川家発祥の地

 

今川氏は鎌倉時代初期の御家人、足利義兼(あしかがよしかど)の孫、吉良長氏(きらながうじ)の次男、国氏(くにうじ)三河国幡豆郡今川庄(みかわのくに・はずぐん・いまがわのしょう)を領有した時から始まります。鎌倉幕府の滅亡後、今川頼国(よりくに)が4人の弟や子供たちを率いて足利尊氏の北朝に味方し各地で戦功を挙げました。

 

この功績で頼国の子、頼貞(よりさだ)は丹後、但馬、因幡の守護となり、頼国の末弟、範国(のりくに)も駿河と遠江の守護となります。

 

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室町時代に駿河半国に没落

鶴岡八幡宮 建物 モブ

 

以後、範国の嫡男、範氏(のりうじ)が観応の擾乱で尊氏について駿河守護職を継承し、今川家嫡流として駿河守護を世襲します。隆盛を誇った今川氏からは南北朝期に今川了俊(いまがわりょうしゅん)という名将が出ますが、了俊は足利義満に危険視され、謀反の嫌疑をかけられて遠江半国の守護に没落してしまいました。

 

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戦国時代、今川氏親が勢力拡大

北条早雲

 

戦国時代初期の15世紀末、伯父伊勢盛時(いせもりとき)の助けで家督争いに勝利した龍王丸(たつおうまる)(今川氏親)は亡父、義忠の時代に頓挫していた遠江へ侵攻を再開。敵対する斯波氏を排除し遠江守護職を獲得します。その後氏親は甲斐国の内乱に介入し、甲斐西部の国衆を従属させました。

 

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後継者が相次いで急死し花倉の乱へ

悪い顔をしている今川義元

 

 

氏親没後は正室、寿桂尼が嫡男、氏輝を後見しますが、氏輝と弟の彦五郎が相次いで死去。そのため出家していた玄広恵探(げんこうえたん)栴岳承芳(せんがくしょうほう)の間で家督争い「花倉(はなくら)の乱」が勃発します。花倉の乱は栴岳承芳が勝利し、今川義元と改名して家督を継ぎます。

 

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甲相駿三国同盟へ

singen-takeda(武田信玄)

 

義元は、それまで敵対していた甲斐の武田氏と和睦し、甲駿同盟が締結されます。それにより武田と仲が悪かった後北条氏との関係が悪化、河東の乱を引き起こしますが、武田晴信の仲介で今川と後北条氏が和睦して同盟が締結され、それに武田も加わり1554年甲相駿三国同盟に発展します。

 

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駿河、遠江、三河、三国の太守へ

三国の太守

 

三国同盟で背後の憂いが消えた義元は、三河進出に力を注ぎ、弱体化した松平氏を従属させ、尾張の織田氏と安城合戦や小豆坂の戦いを経て、三河から織田氏を締め出しました。義元は、三河の戦国大名松平広忠の嫡男である松平元康を人質とし、今川氏の重臣である関口氏から瀬名姫を娶らせて一門衆とし、駿河、遠江、三河、三国に尾張の一部を領有するまでになります。

 

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尾張知多郡を巡り桶狭間へ

知多半島

 

その後、義元は尾張知多半島に勢力を張る織田方の水野信元を攻め滅ぼそうとして軍を出しますが、織田信長は本拠地を美濃の斎藤道三に守らせる奇策で水野信元を救出。

 

これに対し義元は、甲相駿三国同盟を締結して背後の安全を確保すると、知多郡制圧と尾張も併合を画策し、駿河、遠江、三河に号令を掛け、大軍を擁して進軍し桶狭間の戦いが起きるのです。

 

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日本史ライターkawausoの独り言

朝まで三国志2017-77 kawauso

 

今川家は鎌倉時代の御家人、足利義廉を先祖とし、足利将軍家の縁戚として戦国時代随一の名門でした。織田家や松平家のような新興勢力とは比較にならない地位の高さがあったのです。義元の貴族趣味も公家かぶれというよりは、京都の将軍家に連なる存在としてのプライドの裏返しだったのかも知れませんね。

 

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カワウソ編集長

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日本史というと中国史や世界史よりチマチマして敵味方が激しく入れ替わるのでとっつきにくいですが、どうしてそうなったか?ポイントをつかむと驚くほどにスイスイと内容が入ってきます、そんなポイントを皆さんにお伝えしますね。日本史を勉強すると、今の政治まで見えてきますよ。
【好きな歴史人物】
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