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前田慶次郎は前田利家より年上のオッサンだった?中年二人のどうしようもない「かぶき対決」の顛末は?

19/09/2020


前田慶次

 

特に漫画作品の影響でしょうか、

「戦国一のかぶき者」としての前田慶次郎(まえだけいじろう)という人物が、すっかり有名になりました。

 

「前田慶次郎って誰?よく知らないけど」という方のために、特に有名なエピソードを紹介しておきましょう。

長い槍が得意な前田利家

 

加賀藩(かがはん
)
の藩祖である前田利家(まえだ としいえ
)
という超大物大名の、甥っ子だった

・そんな偉大な叔父とまさに対極の、「いたずらもの」「派手好き」キャラ(=かぶき者)として人気を博した

・冬にキンキンに冷やした水風呂に「あったかいお風呂を用意しました、湯気が立っていて、いい感じでしょ?」と利家をだまして飛び込ませる、という、ヘタをすれば命に関わるイタズラをした

・それで利家を本気で怒らせてしまい、「これはヤバイ」と前田家から出奔した

・その後上杉家に仕え、関ヶ原の頃に会津戦線で戦ったが、これが、めちゃくちゃ強かったらしい

・そんな「慶次郎の真似をするな」という意図を込めてか、利家死後の前田藩は、わざわざ領内に「かぶき禁止令」を出した

 

といったところでしょうか。まさに手のつけられない破天荒キャラ、という風情ですね。

 

無断参戦して手柄を立てる前田利家

 

ところが史実を追いかけると、実は前田慶次郎のこのような「かぶき」ぶり、

「偉大で高潔な叔父、前田利家との対比で、そういうことをやっていた」のではなく、二人の関係はもっと複雑なことがわかってくるのです。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

姉妹メディア「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

yuki tabata(田畑 雄貴)おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、姉妹メディア「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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そもそも前田利家のほうがひどい「かぶきもの」だった!

浪人生活を送る前田慶次

 

前田利家は、漫画やドラマでは、比較的晩年の姿で描かれることが多いのですが、若いころ尾張にいた際には、慶次郎も真っ青になるほどの「かぶき者」でした。

 

たとえば、

・派手な意匠をこらした槍を振り回して城下を練り歩き、大人たちに眉をひそめられていた

・戦に参加した際、顔面に敵の矢が突き刺さったのを「このままでいい」と、抜きもせず戦い続けた。合戦が終わっての首実検に立ち会った際も、顔に矢が刺さったままという異相だった

・同輩とケンカになり、カッとなって相手を殺害してしまったことがある

・その「殺害した同輩」というのが信長お気に入りの男子だったので、さすがにヤバイと出奔した

 

前田利家の武勇を賞賛する信長

 

・出奔して浪人になっていたが、桶狭間の戦い(おけはざまのたたかい
)
等の、織田家の重要な合戦には「無断で参加」し、手柄を立てていた。そんなこともあって、ようやく信長に帰参を許された

 

「かぶき者」としての年季はすさまじい上に、「同輩を殺している」という、いくらなんでもドンビキな過去を持っているのです。このような若いころの利家のひどさを見ると、こんな印象が強まったのではないでしょうか?

 

「なるほど、甥っ子の前田慶次郎は、そんな叔父の若いころのエピソードを聞いて感化され、それへの憧れと対抗心から、『かぶきもの』になったのかもしれないな」と。ところが、前田利家と前田慶次郎の関係については、さらに驚くべき説が出されています。

 

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そもそも慶次郎のほうが利家よりも年上だった?

同年小録(書物・書類)

 

「利家が叔父」で「慶次郎が甥」という先入観で、どうしても慶次郎のほうが、オッサンの利家にいろいろとイタズラをする「なまいきな若造」のイメージがありますが、実は慶次郎のほうが年上なのでは、という説があるのです。

 

これは慶次郎の没年の記録に、「享年」が添えられているから可能な計算となるのですが、没年および享年から逆算すると、慶次郎は利家より五歳くらい年上でないとおかしいことになるそうです(むろん、加賀藩から出奔して浪人になった慶次郎の没年記録なので、記録のほうが間違っている可能性もあり、決定打ではないのですが)。

 

しかし、戦国の複雑な婚姻関係の中で、「叔父よりも甥っ子のほうが年上」などという事態は、それほど珍しいことではありませんでした。もし、慶次郎が利家よりも上だったら、「かぶきもの」としての二人の関係は、より複雑なものになってきます。

 

利家と慶次郎は良き「かぶきぶり」ライバルだったのに、利家が出世してカタブツになっちゃった?

 

慶次郎のほうがむしろ年上だったら、どういうことになるのか?

 

利家が同輩を殺害している事件も、慶次郎はリアルタイムで知っているハズです。それをきいて、「利家は人さえ殺した!オレのかぶきぶりは、まだまだだ!」と、焦るようにかぶき度を深めた慶次郎の反応は、なんだか年上のオトナの反応としてはぶっとんでいる印象になります。

 

さらに、「利家にイタズラをして、水風呂に入れさせた」という有名な事件は、どうなるのでしょうか?

 

「やんちゃな甥っ子が、出世した叔父を頓智でからかった」という構図ではなく、

「出世して丸くなった年下の親戚を、いまだにロックをやっているオッサンがいじめている」ような構図になります。

 

そもそも、いい年齢をこいたオッサン二人が、

「お前、なんでかぶきをやめたんだよ」

「いやいや、もうかぶきなんてやっている年齢じゃないんだよ」

「うーん、まぁ、ともかく、風呂を沸かしているので、入っていくか?」

というやり取りをしながらの「水風呂事件」だったとしたら?

 

かわいげ、というものがなくなり、なんだかちょっと気持ち悪いというか。

 

まとめ:きわだってくる「かぶき禁止令」の矛盾

 

さらに言えば、その利家が亡くなった後、加賀前田藩から正式に出された「かぶき禁止令」の意味合いは、どうなってしまうのでしょうか。

 

「有名になってしまった前田慶次郎の真似をするな」という領内への牽制だけでなく、

「藩祖である利家様の、若い頃の真似をするな」という意味にもなってきます。

 

利家自体、かぶきものであることを愛されて出世を始めた経緯もあるので、「その真似をするな」というのも藩史に対する自己否定にも見えますが、これも江戸時代への移り変わりの時期の、やむをえない話だったのでしょう。

 

戦国時代ライター YASHIROの独り言

三国志ライター YASHIRO

 

ともあれ、

「利家公の真似をするな!」と命令されたとしても、

「凡人にはそもそも真似できませんや」と藩士たちも思ったことでしょうけど。

「顔に矢が刺さったまま首実検に同席したり、同輩を殺害したりを、『マネするな』いわれてもねえ」と。

 

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通説では「ダメ人物」とされている人について、史料に則しつつも「こういう事情があったのではないか?」と「弁護」するテーマが、特に好きです。愚将や悪人とされている人物の評価を少しでも覆してみたい!がモチベーションです。日本人の「負けた者に同情しがちな心理」大切にしたいと思っています
【好きな歴史人物】
南朝側の武将全員!

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