NHK大河ドラマ「どうする家康」でムロツヨシが演じ、そのあまりのクズっぷりに注目が集まっている豊臣秀吉。これまでも秀吉は二面性を持つ存在として描かれていましたが、ここまでストレートにクズっぷりを見せたのは、どうする家康が初めてかも知れません。では、本当の所、秀吉はクズだったのでしょうか?
ルイス=フロイスによると秀吉はかなりクズ
では、同時代の人々の秀吉の記録についてみてみましょう。宣教師ルイス=フロイスは秀吉について以下のように記しています。
優秀な武将であり戦闘に熟練していた。
気品に欠けていた。
淫乱で悪徳に満ち獣欲に溺れていた。
抜け目がない策略家であった。
決して本心を明かさず偽る事が巧妙だった。
悪知恵が働き人を欺く事が上手いと自慢していた。
ほぼ、すべての人間を汝や彼奴呼ばわりした。
ルイス=フロイスの評価から浮かび上がる秀吉は武将としての才能は優れているが、スケベで悪徳に満ちていて、本心を偽って人を騙す事を得意とし、誰でも見下して呼び捨てる下品な男なので、これは「クズ」と認定して間違いなさそうです。
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信長をなめていたクズ秀吉
また、秀吉は自分を引き立ててくれた織田信長についても対して尊敬していなかったようです。秀吉は信長の死後に政権を奪うと、家臣脇坂安治に宛てた書状で信長を呼び捨てにし、信長の肖像画の着物の色が派手だとして、地味な色に塗り替えたり、信長の子である信孝とは敵対して領地を奪い殺害し、信雄の領地も取り上げています。
また、織田軍の武将だった時にも、上杉攻めの途中に軍議で大将の柴田勝家に反発し、勝手に領地へ引き上げて信長に叱られたり、中国攻めでも宇喜多直家の寝返りと所領安堵を勝手に決めて信長に怒られたりしています。自分を引き立ててくれた主君、信長に対するこの態度を見ると、これは控え目に見てもクズと呼ばれても不思議はないのかも知れません。
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些細な事で大勢を殺す狭量さ
秀吉については度量が広い逸話が伝わる一方で、非常に世間の評判を気にし、自分への批判を許さない料簡の狭さがありました。
たとえば聚楽第に秀吉を非難する落書が書かれた際、秀吉は激怒し犯人を探索し7人を捕えると鼻削ぎ耳切りにした上で磔にして殺し、それでも収まらず、老若男女63人を追加で磔刑とし、最終的には130人に刑罰を下しました。たった一つの落書で、130人も殺してしまうサイコぶりは、一片の正当性も見えず、クズと呼ばれても仕方ないかも知れません。
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身内には優しい
色々なクズっぷりを見せる秀吉ですが、親孝行であった事は疑いなさそうです。特に生母である大政所に対する親孝行は並外れていて、小牧・長久手の戦いの後で、家康を上洛させるため母と妹の朝日姫を人質として家康に差し出した時、大政所を粗略に扱った本多重次を恨み、後に家康に命じて蟄居に追い込んでいます。
朝鮮征伐の途中に、大政所危篤の報が知らされるとすぐに京都に引き返すも間に合わず、秀吉はショックで卒倒し、しばらく口もきけないほどに嘆き悲しんだと言われています。
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日本史ライターkawausoの独り言
従来のドラマでは、人懐っこい好人物の評価が与えられる秀吉ですが、個人に絞ってみると、織田信長の恩を仇で返すわ、悪口ひとつで130名も磔にするわで、なかなかクズである事がわかりました。今回の大河の秀吉は、そのような歴史上のクズエピソードを煮詰めたような人物なのかも知れません。
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