戦国時代に日本に入った火縄銃ですが、その後天下が統一されると、銃兵の進化は停止していました。ヨーロッパでは銃を装備した銃兵が隊列を組んで一斉に射撃する形式になりましたが、日本では幕末まで、銃兵はそのように進化しませんでした。これはどうしてなのでしょうか?
この記事の目次
日本で銃兵が発展しなかった理由
理由はいくつもあると思いますが、大きな理由として日本の鉄砲足軽は狙撃手としての性格が強かった事が挙げられます。戦国時代の鉄砲足軽はあくまで敵を狙い撃って倒しその者の首を獲るための小者まで雇っていました。鉄砲足軽はスナイパーであり、集団になって銃撃する銃兵とは性質が違うのです。
こちらもCHECK
-
美濃三人衆とは?信長に美濃を取らせた西美濃の実力者が辿る三者三様の運命
続きを見る
ヨーロッパの銃兵の特徴
ヨーロッパの銃兵は相手を狙撃するものの、自分の弾が命中した相手の首を獲る事はありません。それよりも数の力で一斉に射撃して敵の隊列をいかに崩すかが目的でした。それに19世紀後半までの銃は単発式の前装銃なので一発撃てば、次に撃つチャンスはありません。大体は射撃後は大急ぎで銃剣を着剣して白兵戦に移行するのが主でした。
本来、銃兵の横にはパイクと呼ばれる槍を装備した槍兵がいて、射撃が終わった銃兵の前に出ていたのですが銃剣が発明されると槍兵はヨーロッパでは消滅して銃兵に吸収されました。
ヨーロッパと違い鉄砲足軽の仕事は狙撃なので大勢で固まって射撃する事もなく、狙撃が終われば銃剣を取り付けて白兵戦という事は、ありませんでした。日本で銃剣を装備した銃兵が登場するのはオランダの兵書を使い洋式軍隊が初めて導入された江戸時代の天保年間の事であるようです。
こちらもCHECK
-
信長の親衛隊「馬廻衆」はなぜ本能寺を守れなかったのか?結果として完璧な段取りだった明智光秀のクーデター!
続きを見る