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美濃三人衆とは?信長に美濃を取らせた西美濃の実力者が辿る三者三様の運命

12/12/2021


三好三人衆

 

美濃(みの)三人衆とは西濃(せいのう)三人衆とも呼ばれ、西美濃(にしみの)に勢力を築いて土岐氏(ときし)・斎藤氏に仕えた国衆の代表者で、稲葉良通(いなばよしみち)安藤守就(あんどうもりなり)氏家直元(うじいえなおもと)の3名を指します。

 

生前にこの3人が美濃三人衆と呼ばれた事実はなく、三好三人衆(みよしさんにんしゅう)などから着想を得た後世の呼称と考えられますが、今回は織田信長に美濃を取らせた美濃三人衆に迫ってみましょう。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

姉妹メディア「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

yuki tabata(田畑 雄貴)おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、姉妹メディア「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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美濃三人衆を紹介

名古屋城

 

では、最初に美濃三人衆を簡単に紹介します。

 

稲葉良通(一鉄(いってつ) 永正(えいしょう)12年(1515年)美濃の国人稲葉通則(いなばみちのり)の六男として美濃池田郡本郷城に誕生。幼少時に崇福寺(すうふくじ)に預けられ僧となるが、に父と5人の兄達全員が牧田(まきた)の戦いで浅井亮政(あざいすけまさ)と戦って戦死したので還俗(げんぞく)曽根城(そねじょう)に入る。最初は土岐頼芸(ときよりのり)に仕え、その後斎藤道(さいとうどうさん)三に鞍替えし義龍(よしたつ)龍興(たつおき)と斎藤氏3代に仕えた。
氏家直元(卜全(ぼくぜん) 永正9年(1512年)美濃牧田城主氏家行隆(うじいえゆきたか)の子として誕生。

当初は土岐頼芸の家臣として仕え、斎藤道三に頼芸が追放されると道三に仕え、以後、義龍、龍興と3代に仕えた。

一時は美濃の1/3を支配し三人衆最強の勢力を誇った。

安藤守就(道足(みちたり) 文亀(ぶんき)3年(1503年)美濃北方城(きたがたじょう)主、安藤守利(あんどうもりとし)(定重)の子として誕生。はじめ土岐頼芸に仕え斎藤道三によって頼芸が追放されると、道三の家臣として仕え、以後、義龍、龍興と3代に仕えた。

 

このように見ると、安藤守就が10歳あまり年上なだけで、美濃三人衆は年齢も近く、所領も隣り合っていて互いに協力しあっていたようです。確かに最初は土岐頼芸、次に斎藤道三、義龍、龍興と主君を変えるのも同じです。

 

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信長と戦う稲葉良通

稲葉一鉄(稲葉良通)

 

美濃三人衆は道三、義龍、龍興と仕えてきましたが、龍興は14歳と若年で家督を継いだ事もあり、森可成(もりよしなり)坂井政尚(さかいまさなお)堀秀重(ほりひでしげ)斎藤利治(さいとうとしはる)明智光秀(あけちみつひで)などの人材が尾張にヘッドハンティングされていきます。

 

合戦でも、森部(もりべ)の戦いで織田信長軍を撃退しますが、森部の戦いでは多くの重臣を戦死させてしまいました。美濃三人衆の中で稲葉良通は、この重要な森部の戦い、そして痛み分けとなった軽海(かるみ)の戦いに従軍し信長を退けています。

 

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織田信長スペシャル

 

 

婿の竹中半兵衛と稲葉山城を奪う安藤守就

稲葉山城を乗っ取る竹中半兵衛

 

永禄6年(1563年)織田信長は再び美濃にちょっかいを出してきます。新加納(しんかのう)の戦いと呼ばれた戦いは、織田軍が5700で斎藤軍3500を上回りましたが、ここでは竹中半兵衛(たけなかはんべえ)の伏兵策が効果を挙げ、信長は撤退しました。

 

斎藤龍興がたるんでいると感じる竹中半兵衛

 

本来ならば龍興は半兵衛に褒美を取らせてもいい所ですが、龍興は重臣で評判の悪い斎藤飛騨守(さいとうひだのかみ)を信じ切っていて、飛騨守と仲が悪い半兵衛を相変わらずバカにします。

 

竹中半兵衛もこれには堪忍袋の尾が切れてしまい舅にあたる安藤守就と共に挙兵して、斎藤飛騨守を殺害すると稲葉山城を攻め落とし龍興は城を捨てて逃げていきました。

 

竹中半兵衛

 

後に和解して稲葉山城を龍興に返した半兵衛ですがこの事件は斎藤氏の勢力衰退を内外に知らしめてしまいます。それにしても半兵衛もスゴイですが、婿の恨みを晴らすために共に挙兵する守就は、ナイスダディですね。

 

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遂に龍興を見限る美濃三人衆

城から逃走する斎藤龍興

 

織田信長は小牧山に城を築いて東美濃に圧力をかけ、東美濃の国衆は次々と織田家に内応し、永禄8年には中濃地方も攻略し、龍興の支配領域はどんどん小さくなっていきました。

 

永禄10年(1567年)稲葉良通、氏家直元、安藤守就の3人は織田信長に内応して人質を派遣、これを受けて織田軍は稲葉山城を襲撃し、孤立無援になった斎藤龍興は船で長良川を下って伊勢長島に脱出。美濃は全て織田家の領地となります。

 

天下布武を唱える織田信長

 

美濃三人衆は、斎藤龍興が奸臣(かんしん)、斎藤飛騨守を重用した事を不服として叛いたとされますが、実際には龍興の力では美濃を統治できず、自分達の領地を守れないと考えた上で信長に鞍替えしたのが真実に近いと思います。

 

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その後の三人衆

火縄銃を撃つ侍(鉄砲)

 

斎藤龍興を見限り織田信長に鞍替えした美濃三人衆は、その後どうなったのでしょうか?

こちらも表で見ていきましょう。

 

稲葉良通(一鉄) 織田信長の上洛に参加。長島一向一揆征伐、長篠(ながしの)の戦い等、織田軍の主要な合戦に従軍し武功を挙げ、天正8年同じ美濃三人衆の安藤守就が信長の勘気(かんき)を被り追放されると安藤氏の領地を与えられ西美濃最大の勢力となる。本能寺の変後、旧領を取り戻しに来た安藤一族を迎え撃ち守就を敗死させた。その後、秀吉に仕え天正16年(1588年)74歳で大往生を迎える。
氏家直元(卜全) 織田信長の上洛に従い、北畠具教(きたばたけとものり)攻めや姉川の戦いに参加する。

元亀年(1571年)伊勢国長島攻めで柴田勝家(しばたかついえ)に従い従軍するが敗北

殿を務めるが、六角一族の佐々木祐成(ささきすけなり)に討ち取られた。享年59

安藤守就(道足) 織田信長の上洛に参加、伊勢長島攻めでは氏家直元と従軍し負傷する。

その後も柴田勝家、羽柴秀吉の与力として各地を転戦するが、天正8年に信長の勘気を被り追放され領地は稲葉良通に奪われる形となる。

本能寺の変が起きると領地を奪い返そうと子の安藤定治(あんどうさだはる)と共に挙兵し北方城の奪還を図るが稲葉良通に破れて自刃した。

 

本能寺の変で「是非に及ばず」と切り替えの早い織田信長b

 

このように美濃三人衆は天寿を全うしたのは稲葉良通だけであり、しかも同じ三人衆同士で城を争うという仁義なき戦いを繰り広げている事が分かります。

 

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日本史ライターkawausoの独り言

朝まで三国志2017-77 kawauso

 

織田信長に仕えた後は、明暗が分かれた美濃三人衆ですが、氏家直元のように負け戦で殿を務めて討死したり、本能寺の変後に奪われた城を同僚から奪い返そうとしたり、逆に返り討ちに遭わせたり、どちらも非常に独立心が旺盛なのが共通点です。

 

彼らは寄らば大樹の陰ではなく、最後の最後まで独立心を失わない戦国武将として家の存続と発展の為に戦い抜いたのです。

 

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はじめての戦国時代

 

 

 

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カワウソ編集長

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