皆さんは「堀」について知っていますでしょうか?
武田信玄が「人は城、人は生垣、人は堀」と言ったように……この場合は人こそが大事という意味ではありますが、堀というのは古来から敵と戦う上で重要なものでした。
今回はこの堀の内、障子掘とは?に加えて、現代でもこの障子堀が見れる場所もご紹介させて頂こうと思います。
この記事の目次
堀って何ぞや?実は色々な役割があった堀!
さて堀とは、簡単に言いますと、重要な拠点を囲うように掘られている溝のことです。もちろん重要な拠点と言うと城や御所、お偉い方の住まいなどを想像するかと思いますが、重要な拠点、という意味ではお寺や古墳なども堀で周囲を囲うように作られていました。また偉い人の住居の周囲だけでなく、集落の周辺を取り囲むように作られていたケースもあります。これはただ敵との戦いを想定したものではなく、野生動物の侵入を防ぐため、堀を作られていたケースもあるようですね。また深い堀を作ることで、外敵の侵入経路を限定する、という目的としても使用されていました。
水堀と呼ばれる堀、そして障子堀
さて、堀には大きく分けて水堀と空堀があります。空堀は文字の通り、空の堀で、水堀とは堀の中に水を流しているものですね。この水堀にも種類があり、壇を付けて区画を区切ったものがありました。
堀に流す水は河川から引き入れたものであったり、もしくは元々あった川を利用して天然の堀を作っていたケースもあります。今回ご紹介する障子堀は、この水堀の一種です。
障子堀とはどんなものか?名前の由来は多岐
前述したように、障子堀は水堀の一種。掘る上で区画を区切ったように作られていたケースの水堀もありますが、その中にも堀の底に落とし穴を更に掘ったり、障害物を設置することで更に侵入妨害を試みるような形状として作られているものもあります。この水堀を「障子堀」と呼んだのです。そもそも障子とは「視線を遮る」ことから障子、とされたので、この障子堀という名前は言い得て妙でしょう。ですが、障子堀にはもう一つの名前の由来、と考えられるものもあります。
形状としての障子堀……現代では他のものに例えられて?
障子堀の名前の由来、それは形状です。障子堀は水堀の底にいくつもの壇を付けて、区画が四角でいくつかに区切られています。この形状こそが「障子の桟」に似ているから障子堀、と呼ばれるようになった、という説もあります。実際には「遮る」意味の障子堀、という意味の方が主流であり、障子の桟の方は俗説とも言われていますが、形状からの名前というのも分かりやすくて面白いですね。またこの形状から付けられた名前に付いては現代ではもっと別の名前で呼ばれることもあるようですが……それはまた最後に。
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現代でも見ることができる、障子堀の場所
堀自体は現代でもいくつかの城跡でみることができますが、障子堀もまた、現代においてその姿を見ることができます。障子堀、と呼ばれる堀は戦国時代にいくつもの城で造られてきました。その中でも有名なのが、静岡県にある山中城です。山中城は北条氏康によって築城されたもので、小田原城の支城として位置づけられている、箱根十城の一つです。そしてこの山中城の特徴として、現代においてもその遺構が見られる場所、という点があります。
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遥かなる戦国時代に想いを馳せる、現代の障子堀の姿
山中城は静岡県三島市山中新田にあり、1973年から三島市が公園として整備が始められました。この際に当時を反映した整備改修がなされたことにより、現代でも障子堀の構造を良く知ることができるスポットとなっています。完全に当時の姿そのままとはいかず、堀や土塁には上芝が張られていますが、これは風化を避けて保護するためのものであり、三島市の篤い気遣い感じることができるでしょう。この山中城はJ R・伊豆箱根鉄道三島駅からバスでアクセスすることも可能なので、興味のある方はぜひ、障子堀を見に行ってみて下さいね。
現代風な障子堀の「名前」
さて障子堀の名前の由来の一つとして、その形状が挙げられる、という話をしましたね。俗説とは言われていますが、障子の桟と堀の形を掛け合わせて「障子堀」というのは形状が伝わりやすい名前と言えるでしょう。ですが現代では障子の桟よりももっと形状が伝わりやすい呼び名もあるということで……この障子堀は「ワッフル」とも呼ばれているようです。お菓子のワッフル、その形状を思い出して頂くと、山中城の障子堀の形が良く思い起こされるかもしれません。時代変われば言葉も変わる、このワッフルに見立てられた障子堀、何だか親近感が湧いては来ませんか?
戦国ひよこライター センのひとりごと
今回は障子堀のお話をさせて頂きました。余談ですが、山中城跡での売店でこの山中城ワッフルを頂くこともできます。見比べながらワッフルを頂くことで、より障子堀に親しみが……湧くかもしれません。
ともあれ、障子堀をワッフルと呼ぶのは何とも面白いと思いました。確かに風情とは少し遠ざかるかもしれませんが、分かりやすく、伝わりやすい説明だと思います。個人的にはこういった現代に溶け込んでしまうような説明、好きですね。
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