本願寺と長尾為景の確執
信者を利用して一向一揆を起こし、戦国時代に全国の大名と戦った本願寺。それは越後の周辺も同じでした。長尾為景にとって本願寺は父の仇です。殺された能景は、越後長尾氏の6代目で謙信の祖父にあ当たる人物。この時代の時点で、守護代でありながら守護の越後上杉よりも力を持っていました。また当時の関東管領だった上杉顕定の救援の軍勢を差し向けています。
ところが1506年。能景40歳のときに行われた般若野の戦い。越中で行われた一向一揆に手が回らない、越中守護・畠山尚順の救援依頼のために越中に駆けつけます。
ところがここで越中守護代の神保慶宗が一向宗側についたため、能景は劣勢となり打ち取られてしまいます。その結果父の跡を継ぐことになった為景は、慶宗を父の仇と考えます。慶宗は一向宗と提携。為景は一度越中の慶宗と戦いますがこれを退けます。
ところがこれでますます力を得たと考えた慶宗は、主家である尚順からの独立を図ります。しかし尚順はそれに対して為景と同盟を組み慶宗打倒の要請を行います。1520年に父の仇とばかりに為景は出陣。
一方慶宗は一向宗の援軍を期待していましたが、一向宗は中立として動かず、最終的に為景によって殺害。仇討ちが実現しました。慶宗の死後に越中では一向一揆が起こり、一向宗も父の仇と思っている為景はそれに忙殺されます。その結果越後では一向宗禁止令を出しました。
その影響は謙信の時代にまで及び、本願寺主導で行われた信長包囲網に、謙信が積極的に出陣しなかった理由ともいわれています。
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国衆を統制できず苦しむ為景
長尾為景の治世でどうしても従わせることが出来ず、苦しめられた存在が越後領内にいます。それは揚北衆と呼ばれる国人集団です。越後北部に群雄割拠していた豪族で、阿賀野川(揚河)北岸地域にいたために、このように名づけられました。
主に14の氏族で構成されており、彼らは鎌倉時代からこの地域を支配しているという自負があります。そのため南北朝の時代から新参者として越後に来た上杉や長尾に対して従う気はありません。
越後の国は長尾氏が実効支配していましたが、決して安定しておらず、その背景がこの国人衆です。為景は関東管領の攻撃と戦いそれに勝利していますが、この国人衆の反乱にたびたび泣かされました。為景の治世では完全に制圧することが出来ません。
しかし揚北衆は、後を継いだ謙信の兄・晴景の時代分裂します。このとき越後守護・上杉定実の養子縁組問題や、東北の伊達家の内紛などが複雑に入り組んだ「天文の乱」が勃発。
それまで協力関係にあった、揚北衆のうち中条氏が上杉定美側、その他は晴景側につき双方が戦いました。戦いは6年間も行われ、その結果揚北衆は弱体化します。こうしてようやく取り込むことに成功したのは上杉謙信。以降は謙信の軍団の中でも独自の存在感と巨大な軍事力を保持していました。
そのため武田信玄と争った第4次川中島の戦いでの活躍が目覚ましいものがあります。この戦いで謙信は「血染めの感状」と呼ばれる文書を4名の揚北衆に送っています。
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山内上杉・扇谷上杉とは?
長尾氏も分家筋ができるのと同時に上杉氏も分家を重ねていきます。越後上杉氏は越後長尾氏に実効支配されていきますが、その他の上杉氏でも関東管領を継ぐ家筋は関東を中心に力を持っていました。
その代表格が扇谷上杉と山内上杉です。扇谷上杉は鎌倉の扇谷に移住して鎌倉公方に仕えたことからこの名が付きました。関東管領を担当できる家格を持っていましたが、この職は山内上杉が独占していました。
対して山内上杉は関東管領を世襲した家格で、上杉家でも最も格式がある一族。足利将軍家との婚姻関係を深めて勢力を高めていました。このふたつの「上杉」が激突した戦いで最も有名なのが長享の乱と呼ばれるもので、1487年から1505年までと18年間もの間続いた戦乱です。
長享の乱は、初めて江戸城を築城した扇谷上杉の家臣・太田道灌の暗殺がきっかけで勃発。両上杉が決着のつくことのない膠着状態の戦いを繰り広げました。これに古河公方と呼ばれた足利やこのころに新興勢力として現れだした北条早雲らが関わります。
長享の乱以外にも両上杉は同盟と戦いを繰り広げ続けます。やがて勢力が落ちて行き、代わって早雲を祖とする後北条氏が関東で実権を握り、勢力を拡大しました。扇谷上杉は1546年に行われた河越城の戦いで北条氏康によって滅ぼされます。
また関東管領家である山内上杉は、かろうじて生き残りますが、最終的に長尾氏出身の景虎(謙信)が家督を継ぐことになりました。その後同じ長尾系の景勝と続いていくことになります。
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