ほのぼの日本史TVをご覧の皆さん、今週も1週間お疲れさまでした。今回のお疲れキャラは豊臣秀吉です。さて現在にもキラーワードがあるように戦国時代も、それを言われると人生オシマイになる強力なキラーワードがありました。
それは「臆病者」の3文字です。
例えば秀吉の朝鮮出兵では大友義統一、島津忠辰、波多親の3名が秀吉に臆病者のレッテルを貼られています。
最初の大友義統は、鳳山の城を守っていましたが文禄2年に明の大軍が南下してくると知ると前方の味方を援護する事もなく城を捨てて逃げました。秀吉はこれに激怒し「豊後之臆病者」として、朝鮮に在陣している諸将に対して書状を出しています。こうして、大友義統は万座の前で恥をかかされ改易させられますが、命だけは助命されました。
2人目の島津忠辰については、島津義弘の与力でしたが、病気を理由に出陣しないのを秀吉は臆病と決めつけ身柄を小西行長に預けてしまいますが、まもなく忠辰は死んだそうで、本当に病気だったかも知れません。肥前松浦の波多親は、鍋島直茂の与力でしたが、仮病を使って動かないので秀吉に「前代未聞之臆病者」として改易され身柄は黒田長政に預けられました。
その後許されたとも、改易、追放されたのは彼の父だったという説もあるようです。いずれにせよ戦国時代に臆病者のレッテルを貼られると武士の場合は人生が終わるレベルのダメージを受けるようですね。
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