NHK大河ドラマ鎌倉殿の13人第25話「天が望んだ男」では死の恐怖に憑りつかれた頼朝が、阿野全成に詰め寄り延命のための陰陽五行におけるタブーを執拗に聞いていました。
最初は淀みなく答えていた全成ですが、執念深く次から次に聞き出そうとする頼朝に恐怖を感じ、途中から思いつきで誤魔化し最後は逃げてしまいます。では、鎌倉時代のタブーやジンクスにはどんなものがあったのでしょうか?
端午の節句には藍色の服を着せる
鎌倉時代、端午の節句を迎えた男の子には、藍色の衣服を着せる習慣がありました。これは、藍色が褐色(かちいろ)とも呼ばれ、勝つに通じて縁起がよいからだそうです。
そればかりでなく、鎌倉時代の鎧や兜にも藍色は好んで使用されました。
なんだよ、ダジャレかよと思いますが、自分の実力以上の運が左右する戦いでは少しでも運を味方につけたいので、色にもこだわったのです。
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77、88、99は縁起が悪い
鎌倉時代には、77、99のような奇数の並びと88については縁起が悪いとされました。本来、奇数と偶数の8は古代中国からの伝承で吉数とされていましたが、これが並ぶと逆に大凶数になるとされ避けられたのです。
しかし、年齢については避けようとしても回避できないので、大凶数だからこそ、盛大に祝って凶を福に変えようという話になり、喜寿、米寿、白寿のお祝いが生まれました。
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神様は臭いものが嫌い
鎌倉時代初期にまとめられた「諸社禁忌」という史料には、伊勢神宮や石清水八幡宮、賀茂社などの神社仏閣に参詣するさいのタブーが記されています。
それらには、鹿肉、韮、蒜、葱を食べた時には、七日間参詣を控えるという記述が見え、神様は臭いが強いものを嫌うとする認識が鎌倉時代にはあった事が分かります。
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すでにあった星占い
北斗七星といえば、北斗の拳を連想してしまうカワウソですが、すでに鎌倉時代には、人は生まれながらに自分の星を背負いその星の影響を受けると信じられていました。
これを属星と言います。
属星は、本命星と年度で替わる当年星に分かれていて、本命星は北斗七星のそれぞれの星、当年星は九つの星に分類されます。
ますます北斗の拳ですが、本命星は以下の通りです。
貧狼星 | 子年生まれ |
巨門星 | 丑年と亥年生まれ |
禄存星 | 寅年と戌年生まれ |
文曲星 | 卯年と酉年生まれ |
廉貞星 | 辰年と申年生まれ |
武曲星 | 巳年と未年生まれ |
破軍星 | 午年生まれ |
そして、当年星は以下の通り
日 |
月 |
木 |
火 |
土 |
金 |
水 |
羅睺 |
計都 |
実際に、頼朝の急死を受けて18歳で二代将軍となった頼家を心配した政子や時政は、当年星の祭りを毎月おこなう事にし京都から陰陽師を呼び寄せています。
しかし、頼家の能力不足は当年星の祭りではどうにもならず、やがて外戚比企氏と北条氏の抗争に発展、北条氏は頼家を伊豆の修善寺に幽閉し殺害してしまいました。
方忌みと物忌み
方忌みとは、占いで決められた特定の方角を回避する事で、物忌みとは日常生活での行動や言葉遣いに気を付け、自分に穢れをつけない事を意味します。
ドラマでも、方忌みについては頼朝が相模川に向かう途中に縁起の良い方向として、和田義盛の別邸を中継して向かうように梶原景時に進言され、そこで巴御前に初対面していました。
物忌みについては、かなりの数がありますが、代表例は以下の通りです。
物忌み① | 死者を弔う事 |
物忌み② | 肉食する事 |
物忌み③ | 刑罰の言い渡しの署名 |
物忌み④ | 笞刑の実施 |
物忌み⑤ | 音楽の演奏禁止(神事の雅楽は除く) |
また、同時に言ってはいけない忌語もあり、どうしても言わねばならない時には言い換えがおこなわれました。
死ぬ→ | なおる |
病→ | やすみ |
哭く→ | 塩たる |
血→ | あせ |
宍(しし)→ | 菌(きん) |
宍とは獣の肉の事で古代には特にタブーではありませんでしたが平安時代に仏教が浸透すると、殺生と血を流すイメージで獣の肉を食べる事に禁忌が広がって、ジンクスにまで発展しています。
このように鎌倉の人々は穢れを回避しようとかなり神経を使っていました。
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日本史ライターkawausoの独り言
今回は、鎌倉時代の禁忌やジンクスについて調べてみました。
ドラマの中で阿野全成は、平家の赤を避け、久しぶりの人間との対面を避け、恨みを持つ者の縁者に気をつける、昔を振り返り人に先を託すのはご法度、仏事神事を欠かさぬこと、赤子を抱くと命を吸い取られると様々なタブーを並べていました。
これらのタブーの大半は物忌みとして、恐らく鎌倉時代には実在したものでしょう。
しかし、隠居して外に出る事も稀な老人なら兎も角、現役の征夷大将軍である頼朝に、これらのタブーを守るのは不可能に近く、結局はバカらしいと止めてしまうのです。
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