頼朝が全成にしつこく聞いたタブーやジンクスって鎌倉時代にあったの?【鎌倉殿の13人】


法力で源頼朝を支えた阿野全成

 

NHK大河ドラマ鎌倉殿の13人第25話「天が望んだ男」では死の恐怖に憑りつかれた頼朝が、阿野全成(あのぜんじょう)に詰め寄り延命のための陰陽五行(おんみょうごぎょう)におけるタブーを執拗(しつよう)に聞いていました。

 

最初は淀みなく答えていた全成ですが、執念深く次から次に聞き出そうとする頼朝に恐怖を感じ、途中から思いつきで誤魔化し最後は逃げてしまいます。では、鎌倉時代のタブーやジンクスにはどんなものがあったのでしょうか?

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

姉妹メディア「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

yuki tabata(田畑 雄貴)おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、姉妹メディア「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


端午の節句には藍色の服を着せる

直垂を着用する源頼朝

 

鎌倉時代、端午の節句(たんごのせっく)を迎えた男の子には、藍色(あいいろ)の衣服を着せる習慣がありました。これは、藍色が褐色(かちいろ)とも呼ばれ、勝つに通じて縁起がよいからだそうです。

 

そればかりでなく、鎌倉時代の鎧や(かぶと)にも藍色は好んで使用されました。

 

ドンドン出世していく和田義盛

 

なんだよ、ダジャレかよと思いますが、自分の実力以上の運が左右する戦いでは少しでも運を味方につけたいので、色にもこだわったのです。

 

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北条政子

 

 

77、88、99は縁起が悪い

動物の行動まで神のお告げと考えてお祓いをしていた阿野全成

 

鎌倉時代には、77、99のような奇数の並びと88については縁起が悪いとされました。本来、奇数と偶数の8は古代中国からの伝承で吉数とされていましたが、これが並ぶと逆に大凶数になるとされ避けられたのです。

 

しかし、年齢については避けようとしても回避できないので、大凶数だからこそ、盛大に祝って凶を福に変えようという話になり、喜寿(きじゅ)米寿(べいじゅ)白寿(はくじゅ)のお祝いが生まれました。

 

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はじめての平安時代

 

 

神様は臭いものが嫌い

スサノオノミコト(日本神話)

 

鎌倉時代初期にまとめられた「諸社禁忌(しょしゃきんき)」という史料には、伊勢神宮や石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)賀茂社(かもしゃ)などの神社仏閣に参詣するさいのタブーが記されています。

 

それらには、鹿肉(しかにく)(にら)(ひる)(ねぎ)を食べた時には、七日間参詣(さんけい)を控えるという記述が見え、神様は臭いが強いものを嫌うとする認識が鎌倉時代にはあった事が分かります。

 

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はじめての鎌倉時代

 

 

すでにあった星占い

北条政子による「承久の乱」の名演説

 

北斗七星といえば、北斗の拳を連想してしまうカワウソですが、すでに鎌倉時代には、人は生まれながらに自分の星を背負いその星の影響を受けると信じられていました。

これを属星(ぞくしょう)と言います。

 

属星は、本命星(ほんみょうじょう)と年度で替わる当年星(とうねんじょう)に分かれていて、本命星は北斗七星のそれぞれの星、当年星は九つの星に分類されます。

何を考えているのかわからない 智謀の士・三浦義村

 

ますます北斗の拳ですが、本命星は以下の通りです。

 

貧狼星(どんろうせい) 子年生まれ
巨門星(こもんせい) 丑年と亥年生まれ
禄存星(ろくぞんせい) 寅年と戌年生まれ
文曲星(ぶんきょくせい) 卯年と酉年生まれ
廉貞星(れんていせい) 辰年と申年生まれ
武曲星(ぶきょくせい) 巳年と未年生まれ
破軍星(はぐんせい) 午年生まれ

 

そして、当年星は以下の通り

 

羅睺(らこう)
計都(けいと)

ゴッドマザー北条政子

 

実際に、頼朝の急死を受けて18歳で二代将軍となった頼家を心配した政子や時政は、当年星の祭りを毎月おこなう事にし京都から陰陽師を呼び寄せています。

 

しかし、頼家の能力不足は当年星の祭りではどうにもならず、やがて外戚比企氏(がいせき・ひきし)と北条氏の抗争に発展、北条氏は頼家を伊豆の修善寺(しゅぜんじ)に幽閉し殺害してしまいました。

 

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源頼朝

 

方忌みと物忌み

大庭景親と共に源頼朝追討の軍を率いる伊東祐親

 

方忌(かたい)みとは、占いで決められた特定の方角を回避する事で、物忌(ものい)みとは日常生活での行動や言葉遣いに気を付け、自分に(けが)れをつけない事を意味します。

 

御家人の行動を監視して源頼朝に報告する梶原景時

 

ドラマでも、方忌みについては頼朝が相模川に向かう途中に縁起の良い方向として、和田義盛(わだよしもり)の別邸を中継して向かうように梶原景時に進言され、そこで巴御前(ともえごぜん)に初対面していました。

 

物忌みについては、かなりの数がありますが、代表例は以下の通りです。

 

物忌み① 死者を弔う事
物忌み② 肉食する事
物忌み③ 刑罰の言い渡しの署名
物忌み④ 笞刑(むちけい)の実施
物忌み⑤ 音楽の演奏禁止(神事の雅楽(ががく)は除く)

 

また、同時に言ってはいけない忌語(いみご)もあり、どうしても言わねばならない時には言い換えがおこなわれました。

 

死ぬ→ なおる
病→ やすみ
哭く→ (しお)たる
血→ あせ
宍(しし)→ 菌(きん)

 

宍とは獣の肉の事で古代には特にタブーではありませんでしたが平安時代に仏教が浸透すると、殺生と血を流すイメージで獣の肉を食べる事に禁忌が広がって、ジンクスにまで発展しています。

 

このように鎌倉の人々は穢れを回避しようとかなり神経を使っていました。

 

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鎌倉殿の13人

 

 

日本史ライターkawausoの独り言

朝まで三国志2017-77 kawauso

 

今回は、鎌倉時代の禁忌やジンクスについて調べてみました。

 

ドラマの中で阿野全成は、平家の赤を避け、久しぶりの人間との対面を避け、恨みを持つ者の縁者に気をつける、昔を振り返り人に先を託すのはご法度、仏事神事を欠かさぬこと、赤子を抱くと命を吸い取られると様々なタブーを並べていました。

 

これらのタブーの大半は物忌みとして、恐らく鎌倉時代には実在したものでしょう。

しかし、隠居して外に出る事も稀な老人なら兎も角、現役の征夷大将軍である頼朝に、これらのタブーを守るのは不可能に近く、結局はバカらしいと止めてしまうのです。

 

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北条義時

 

 

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カワウソ編集長

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