岡山県の戦国時代特集!大内、尼子、毛利、織田が抗争し宇喜多が暗躍する仁義なき戦い

27/06/2022


戦国時代の合戦シーン(兵士モブ用)

 

youtubeで話題沸騰!お馴染み、ほのぼの日本史のご当地戦国特集。今回は岡山県の戦国時代を中心に取り上げてみます。

 

岡山県は、本州の南部にある県で大部分が田園地帯で占められ、江戸時代、複数の藩が置かれた事情から岡山城をはじめ城跡が多く、美術館が複数あるのも特徴です。

 

四国に渡る玄関口、瀬戸大橋も岡山県にあり古代から東西交通の要衝として複雑で重層的な歴史を育みました。では、そんな岡山県が辿った歴史を見ていきましょう。

 

 

 

旧石器時代から人が住んだ岡山県

 

岡山県に人が住み始めたのは旧石器時代までさかのぼります。

 

代表的な遺跡には鷲羽山遺跡(わしゅうざんいせき)恩原遺跡(おんばらいせき)があり、25000年前の地層からナイフ形土器が出土し、上層の1万年前の地層からは細石刃出土しています。このように岡山県は、日本全体でも古くから人が住み着いた土地であると言えます。

 

縄文人 縄文時代の狩り

 

縄文時代に入ると、地球が温暖になり海面上昇で瀬戸内海が出現しました。温暖な気候は魚介類や海藻など、狩に比べて食糧が得やすい環境を生み出し、人々は海岸に移動して狩猟、採集、漁労の生活を送るようになります。

 

瀬戸内海形成の時期を教えてくれる貴重な遺跡には瀬戸内市牛窓町の黄島貝塚(きしまかいづか)があります。縄文時代も晩期になると気候が再び寒くなってきた事で狩猟や採集とともに水稲耕作も開始され、岡山市北区の津島江道遺跡(つしまえどういせき)では水田遺構そのものが検出されました。

 

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吉備国として大和王権成立のキーマンとなる

前方後円墳(古墳)

 

弥生時代を経て古墳時代に入ると岡山県一帯は吉備国と呼ばれ、畿内地方や北九州、出雲地域などとともに日本の中心地でした。特に吉備は優れた製鉄技術を持ち、支配地域は岡山県から広島県中東部、香川県島嶼部(とうしょぶ)、兵庫県播磨地方(はりまちほう)と広範囲に及び加古川(かこがわ)を境として四国や芸予諸島(げいよしょとう)にまで至っていたと推定されるようです。

 

 

勢力の強大さは豪族の墓である古墳に反映され、大きさが全国の古墳で4位、一般人でも立ち入れる古墳としては全国1位の規模を持つ造山古墳(つくりやまこふん)両宮山古墳(りょうぐうざんこふん)など大型古墳が岡山県内に残されています。

 

強大な吉備国は畿内勢力と同盟関係を築き、大和朝廷を中心とする最初の統一政権の樹立に影響を与えました。

 

大和朝廷を建国したカムヤマト

 

しかし、大和王権は強大な吉備国の存在を危険視し、6世紀前半に臣従させると、吉備国を3つに分割し備前(びぜん)備中(びっちゅう)備後国(びんごこく)を置きます。さらに、備前国からは美作国(みまさかこく)が分国されました。

 

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大和朝廷

 

 

吉備真備、和気清麻呂を輩出し伊勢平氏の拠点となる

公家同士の会議(モブ)

 

古代の代表的な吉備国出身の人材としては、遣唐使として唐に渡り、日本人として初めて孫子の兵法を修めた吉備真備。そして道鏡の天皇位簒奪を阻んだ忠臣、和気清麻呂などが出ています。

 

平安時代には、備前、備中は受領にとって官物の実入りが多い上国のひとつで農業生産力が高く、鹿田荘(しかたのしょう)藤原長者(ふじわらのちょうじゃ)が受け継ぐ4つの荘園のひとつに選ばれていました。

 

平家の総帥・平清盛

 

高い生産力から伊勢平氏は備前・備中を勢力圏に置き、源平合戦で名高い、水島の戦い・藤戸の戦いは岡山県倉敷市玉島地区(おかやまけん・くらしきし・たましまちく)で起きています。

 

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はじめての平安時代

 

 

伊勢平氏滅亡後、東国御家人が支配者となる

那須与一

 

伊勢平氏の支配地だった岡山県には、伊勢平氏の滅亡後に、平家討伐で手柄のあった東国の御家人が地頭として流れこんできます。彼らは、那須与一(なすのよいち)で名高い那須氏、松田氏、三村氏、庄氏(しょうし)、赤城氏などで西遷御家人(せいせんごけにん)と呼ばれています。

 

岡山県は鎌倉時代の末に後醍醐天皇(ごだいごてんのう)が隠岐に流される際の通り道になった関係で、児島高徳(こじまたかのり)など後醍醐天皇に協力する武士が登場します。特に隠岐(おき)を脱出した後醍醐天皇が最初に拠点を構えた伯耆船上山(ほうきせんじょうざん)が近かったので、岡山県の武士勢力が多く後醍醐天皇に味方しました。

 

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元寇

 

 

山名・赤松の仁義なき戦い

足利義教

 

観応の擾乱(かんのうのじょうらん)で室町幕府が分裂すると、山陰に勢力を持つ山名氏が侵攻し北部美作を中心に岡山県は山名氏の支配下に入りますが、その後、山名氏は明徳の乱で衰退します。

 

足利義満

 

室町幕府3代将軍、足利義満の時代以後、鎌倉幕府倒幕に活躍した播磨豪族、赤松則村が播磨、備前、美作の3国の守護を命じられました。しかし、赤松満祐(あかまつみつすけ)嘉吉(かきつ)の乱で将軍足利義教を暗殺したために赤松氏は衰退し、再び山名氏が岡山県の支配者になります。

 

細川勝元vs山名宗全(応仁の乱)

 

追い落とされた赤松氏ですが応仁の乱では東軍に参加、管領細川勝元(かんれい・ほそかわかつもと)より備前、備中、美作三国守護職を約束され、赤松政則(あかまつまさのり)が西軍の山名氏の勢力を追い払い、再び三国守護に返り咲きました。

 

長く続いた山名氏と赤松氏の岡山県争奪戦は、赤松氏の勝利で幕を閉じます。

 

しかし、赤松氏は戦国時代に守護代であった三石城主(みついしじょうしゅ)浦上村宗(うらがみむらむね)により赤松政則の子が殺されて衰退します。こうして赤松氏に代わり岡山県の支配者になった浦上氏ですが、浦上宗景の時代に家臣の宇喜多直家により滅ぼされました。戦国の岡山県は、赤松、浦上、さらに宇喜多と下克上が繰り返された土地だったのです。

 

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はじめての戦国時代

 

 

三村氏を宇喜多氏が駆逐

鬼畜の所業を行った宇喜多直家

 

戦国期の備中国では出雲から侵攻してきた有力国人の尼子氏が鎌倉時代以降の豪族庄氏を従えていました。

 

その後、毛利氏の支援を受けた三村家親(みむらいえちか)が備中国の大部分を統一し美作と備前の一部を勢力下に収めて三国を支配する勢いでしたが、永禄9年(1566年)に三村家親が宇喜多直家の手の者に暗殺され、後継者の三村元親も翌年の宇喜多氏との明善寺合戦に敗退。

 

三村氏はその後、毛利を切って織田家に従い、ついに滅亡してしまう事になります。

 

鉄甲船

 

一方で備中の南西、笠岡などは村上水軍の支配地となり村上隆重により笠岡城が築かれました。このように戦国時代の岡山県地域は、多数の戦国大名が群雄割拠したまま、岡山県域を統一する勢力は出現しませんでした。

 

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東西勢力の草刈り場と化した岡山の戦国

討死する坂東武士(モブ)

 

岡山県域全体を統一するリーダーが登場しなかった理由としては、岡山県域が東西交通の要衝だった事情があります。このため戦国前期は尼子氏と大内氏の草刈り場となり、後期は毛利と織田の衝突地点でした。岡山県域の豪族は、東西どちらかの強大な大名に従属せざるをえず、活躍した在地勢力も宇喜多氏や三村氏に留まりました。

 

また宇喜多氏や三村氏も、今日は毛利、明日は織田というように支配者を変えながら立ち回った代理戦争の手駒であった一面は否定できません。

 

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武田信玄

 

 

岡山県の戦国の雄、宇喜多直家

宇喜多直家

 

ご当地英雄の活躍が少ない岡山県の戦国時代で異彩を放つのはやはり宇喜多直家です。岡山県という地名も、元々は備前国の西部の農村地帯で岡山、石山、天神山(てんじんやま)と呼ばれた3つの小高い丘に因んでいます。

 

3つの小高い丘の1つ石山には金光氏の当主、金光宗高(かねみつむねたか)の居城がありましたが、宇喜多直家は石山城の利便性に注目。宗高が毛利に通じていると難癖をつけ切腹に追いやり開城させ石山城を拠点としました。

 

直家の子、宇喜多秀家(うきたひでいえ)は備前、備中、美作の3カ国の守護の座に就くと秀吉の許しを得て岡山に築城。商人を備前福岡から呼び寄せるなどして城下町が形成されました。

 

長安(俯瞰で見た漢の時代の大都市)

 

ところが秀家は、五大老に任命されるなど豊臣と縁が強すぎ、関ケ原の戦いで西軍に味方し敗北。家康は秀家から所領を取り上げて八丈島に流罪とします。

 

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宇喜多氏没落後の備前国

名古屋城

 

備前、備中、美作は小早川秀秋(こばやかわひであき)が領有して51万石を得ますが、僅か2年後に幼少期から酒を飲んでいた事による肝硬変で死去。

 

酒や遊びに溺れる小早川秀秋

 

慶長8年(1603年)西国将軍と称された姫路藩主池田輝政の次男、池田忠継が分家として備前38万石に入ります。その後、池田本家の鳥取藩から領地の交換で岡山に31万5千石で池田光政が入り、備前岡山藩の基礎を築き明治維新を迎えるまで光政の家系が藩政を担う事になりました。

 

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小早川氏改易後の備中国と美作国

野望を持ち始めた徳川家康

 

備中においては小早川氏改易のあと、一国を管轄する藩が置かれる事はなく、大名領と旗本領が錯綜します。備中松山藩を筆頭に足守藩(あしもりはん)庭瀬藩(にわせはん)新見藩(にいみはん)、岡田藩、浅尾藩、岡山藩の支藩である鴨川藩及び生坂藩(いくさかはん)が成立しました。

 

また現井笠地域(いがさちいき)の大部分は備後福山藩領(びんごふくやまはんりょう)であり、備後国と一体的に扱われ福山藩主導の新田開発で干拓が進められます。

 

美作(みまさか)には森家が18万6000石で入封し4代目で断絶の後、越前松平家の宗家筋の津山藩10万石、三浦家の勝山藩2万3千石が成立しました。

 

幕末 大砲発射

 

幕末に入り、薩摩藩や長州藩による倒幕の動きが広がると外様であった岡山藩は勤皇を掲げます。逆に、親藩や譜代大名が入った津山藩、備中藩、松山藩は佐幕を標榜。戊辰戦争では、岡山藩が幕府老中板倉勝静(いたくらかつきよ)を藩主とする松山藩に攻撃を加えています。

 

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廃藩置県後14県が林立するが岡山県に統合される

幕末77-14_錦の御旗

 

明治維新後、廃藩置県になると旧岡山藩を受け継いで岡山県が備前国を範囲として設立されます。

 

当初、岡山県域には、津山県、鶴田県(つるたけん)真島県(まじまけん)、岡山県、鴨方県、生坂県(いくさかけん)、足守県、新見県、庭瀬県(にわせけん)、岡田県、浅尾県、高梁県(たかはしけん)成羽県(なりわけん)、倉敷県の14県がありましたが、津山県、鶴田県、真島県を併合して北条県が成立。

 

次に鴨方県、生坂県、足守県、新見県、庭瀬県、岡田県、浅尾県、高梁県、成羽県、倉敷県が深津県に合併され小田県に改名。その後、明治8年(1875年)に備中国と備後国に当たる小田県を岡山県に編入し、翌年には備後国6郡を広島県に移管。最後に、美作国にあたる北条県を岡山県に併合して現在の岡山県が誕生しました。

 

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麒麟がくる

 

 

岡山県民の特徴

野球を応援する女子(女性)

 

岡山県にプロ野球チームはありません。

 

しかし、隣接する兵庫県には甲子園が、そして広島県には広島カープのホームグラウンドMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島があるので、岡山県民は阪神ファンと広島ファンに二分されます。

 

しかし、歴史的経緯から広島県に対抗意識を持つ岡山県人も多く、その場合、広島カープの話題はNGになります。

 

また、昔話桃太郎発祥の地であり、岡山駅には桃太郎像がイヌ、サル、キジをお供にしていますが、ここには鳩や烏も集まるので、桃太郎のお供が二匹と三羽になる事があります。

 

もうひとつ、岡山県民には頭が良い人が多いので、中途半端な知識を話すと言い返されて恥をかく恐れがあります。あやふやな知識は岡山人の前では喋らない方がいいでしょう。

 

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47都道府県戦国時代

 

 

日本史ライターkawausoの独り言

朝まで三国志2017-77 kawauso

 

岡山県は旧石器時代から人が住み着く歴史の古い土地です。縄文時代の晩期には稲作が伝来し、製鉄技術が進んだお陰で作物の収穫量も多くなり、大和王権の全国統一の原動力にもなりました。

 

しかし、交通の要衝にあり、強大な吉備国は大和朝廷に危険視され備前、備中、備後、美作の四国に分割され、豊かな地域ながら団結する事がないように、絶えず外の地域から領地を争奪される運命を背負いました。

 

戦国時代には、前期は大内氏と尼子氏、後期は毛利氏と織田氏の争奪の場になり、支配者も赤松氏、浦上氏、宇喜多氏と三度も変遷するなど忙しい土地です。

 

江戸時代に入ると吉備国の復活を警戒し、徳川氏は外様の池田藩と親藩・譜代の津山藩や備中藩、松山藩を隣り合わせて互いを牽制し、幕末には岡山県域で勤皇と佐幕藩の激突が発生しました。それでも維新後は、備前、備中、美作の三国が岡山県として1つになり、過去の吉備国が復活する形になっています。

 

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ガンバレ徳川

 

 

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カワウソ編集長

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