衝撃!現代では考えられない平安時代の非常識な常識を7つ紹介!

06/02/2022


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「あなたが朝起きて最初に確認するのはスマホじゃないですか? 平安時代の貴族が最初に確認するのは○○なんです。」

 

はじめての三国志編集長kawauso

 

皆さん、こんばんはカワウソ編集長です。社会の常識って気が付かないほどにゆっくりとしたペースで変化していくものですよね?

 

ましてや、それが千年も前の平安時代だったら、今では考えられない事が常識だったりするものです。そこで今回は、今からは考えられない1000年前の平安時代の常識を紹介します。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

姉妹メディア「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

yuki tabata(田畑 雄貴)おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、姉妹メディア「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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平安貴族が最初に確認するのは○○

 

皆さん、朝起きたら最初に何を確認しますか?

 

おそらく99%の人は目覚ましアラームを停めてスマホを確認するでしょうね。そして、確認と同時にメールや最新ニュースをチェックして気がついたら寝たまま1時間が過ぎていたという事もあるんじゃないですか?

 

編集長日記02 kawausoさん、おとぼけさん

 

これはスマホ中毒というより、今では仕事のスケジュールも大事な取引先の連絡先もスマホに登録してパソコンと同期している人がほとんどでしょうから、スマホを見ないと仕事にならないというのが真実かも知れません。

 

実は平安時代の貴族も朝起きると必ず確認するものがありました。それは(こよみ)です。現在でも家にカレンダーくらいはありますが、平安時代の暦は日付を確認するだけではありませんでした。

 

西遊記 閻魔大王

 

平安時代には、科学などというものはなく、平安の人々は物の怪や怨霊の実在を信じ、祟りを恐れながら生きていました。そうした恐怖を免れる手段こそ陰陽師(おんみょうじ)が作成した暦で、暦には縁起がよい方角や縁起の悪い方角、風呂に入るべき日や、やってはいけない事など、その日一日守らないといけない事が大量に書かれていたのです。

 

なので、貴族は朝起きると即座に暦をチェックし、今日すべきこととしてはいけない事を確認して、ようやく安心して一日を送る事が出来たのです。

 

その確認すべきことには「方違(かたたがえ)え」という方角の吉凶もあり、例えば自分の家から御所の方角が凶だった場合には、「今日は方角が悪いんで仕事を休みます」と連絡し大っぴらに休んでもオッケーでした。

 

 

平安貴族がうらやましいですが、実はそう単純でもありません。方違えによっては忌日(きにち)と言い、その日一日屋敷から出てはいけない日もありました。そんな場合、晴天で絶好の行楽日和(こうらくびより)でも自分一人一日中留守番もあり得たのです。

 

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烏帽子はパンツ!

今川義元

 

最近では、年中マスクをつけている人の間で、マスクを外すと恥ずかしくて人前に出られないとして、マスクはパンツという認識が広がっているそうですが、実は平安時代にも似たような事があり、当時の男性にとり烏帽子(えぼし)はパンツでした。

 

 

元服をしているシーン(日本人)

 

平安時代の男性は成人すると、身分に関係なく烏帽子という黒い山形の被り物をしていました。烏帽子は絹製や和紙製、庶民は木綿で出来たものを被りましたが、決して脱がず、寝る時や風呂に入る時まで着用しています。

 

当時の男性は頭に(まげ)を結っていたのですが、これを他人に見られるのを裸を見られるよりも恥ずかしい事と考えていて、常に烏帽子で隠していました。

 

たとえば、東北院職人歌合絵巻には博徒というギャンブラーが登場しますが、彼は賭け双六で全財産を失いフンドシまで取られ陰嚢(いんのう)が丸出しになっているにもかかわらず、烏帽子だけは取られずにちゃんと被っているのです。つまり平安時代の人は、全裸よりも烏帽子を取られる方が恥ずかしいという事ですね。

 

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大和朝廷

 

 

平安貴族が眉を剃り顔を白く塗っていた理由

騒いでいる公家

 

平安時代の貴族と言えば、真っ先に思い浮かぶのが、眉を剃り落として額に描き、顔を真っ白に塗るバカ殿メイクでしょう。あれをコントや映画の誇張と思う人がいるかも知れませんが、誇張ではなく事実でした。

 

 

現在、眉を剃って額に描き、顔を真っ白に塗った人が道を歩いていたら職質間違いなしですが、どうして平安時代の人々は、こんなふざけたメイクをしていたのでしょう。

 

あれは決してふざけているのではなく、当時の家の暗さに関係がありました。平安時代には窓ガラスがないので、御所のような建物にも明かり窓がなく、昼でも薄暗いのが普通です。

京都御所

 

当然、人の顔もよく見えないので、貴族たちは顔を白く塗って暗闇に浮かび上がらせ、上役に顔を覚えてもらい、出世に繋げようと必死だったのです。また、眉があると白粉を塗るのに邪魔なので剃ってしまい、額に点を描いて代用しています。

 

当時には当時の常識があり、顔が白いのもちゃんと理由があったのですね。

 

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平安貴族もメールの達人がモテた

和歌を楽しむ小野小町

 

物の怪や怨霊の祟りに震えていた平安時代の人々ですが、意外にも現代人と同じくメールが上手な人が異性にモテるという共通項がありました。

 

もちろん、平安時代のメールは電子メールではなく郵便物のメールで、当時は(ふみ)とか消息(しょうそく)と言っています。

 

では、どうして平安時代もメールが上手な人が異性にモテたかというと平安時代の貴族の女性は、結婚できる年齢になると屋敷の奥に入り、父や兄弟にも顔を見せなくなり、家から移動する時でも、牛車の前には御簾を垂らし人前に出るときは檜扇(ひおうぎ)で顔を覆うなど、徹底して姿を隠したからです。

 

はじ三倶楽部 些細な好きでも肯定しあえれば、より自分の好きなことをさらに深めることができる

 

現在なら男女は、一度グループで顔合わせをしてから交際スタートですが、平安時代には貴族女性が人と会いたがらないので、出会いの場がありません。

 

だから、屋敷に美しい姫君がいるという噂があると、貴族の男性は顔も知らない女性の顔を妄想しながらメールを書いて使用人に渡して届けていました。

 

貴族趣味な今川氏真(和歌)

 

メールを受け取った女性も、もちろんメールをよこした男性の顔を知りません。相手の顔はメールの文面や文字の美しさ、(みやび)な心配りで想像するしかないのです。

 

つまり、現実の容姿がどうでも、メールが女性の気を引くような楽しい内容や面白い内容、また教養の高さを見せつけるようなメールを書ければ、女性が勝手に相手をイケメンの貴公子と思い込んで返事を出す確率が上がりました。

 

当時の貴族男子は美しい文字を書けるように努力し、面白い内容になっているかに気を配り、中には手紙にお香を()き込めたり、桃の枝を折ってそこにメールを差し挟んで雅を演出するなど涙ぐましい努力をして顔も知らない女性の気を引こうと努力しています。

 

逆に言えば、イケメンでも、文字が汚く面白い文面をかけない貴族男子は、いくら手紙を書いても返事がもらえないという事も珍しくありませんでした。

 

こうして女性から返事が来ると男性貴族は返事を書き、これを複数回繰り返して、最後に「あなたの屋敷に行ってもいいですか?」と訪ねて許可をもらうと晴れてカップル誕生という事になります。

 

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ながら日本史

 

 

交際はウヒョから始まる

長安(俯瞰で見た漢の時代の大都市)

 

さて、意中の女性から来てもいいですよと返事を受け取ると男性貴族は夜になるのを待って、女性の屋敷に忍び込んでいきます。

 

でも、そんな事をして相手の家族に泥棒と間違われないのか?

 

そこは大丈夫、貴族ともなれば交際相手の事を女性の両親はちゃんと報告を受けて承知しあえて忍び込んでくる男性に知らんふりをしていました。

 

当時夜這(よば)いはメジャーな恋愛形式として公認され、なんなら、貴族女性は年頃になると家族の家とは別に離れに個室を建ててもらい、家族に遠慮なく夜這いをしてくる男性を呼んだくらいでした。もし、女性が相手を気に入らないなら大声を出して助けを呼べば、家族や家来が飛んできて夜這い男は退散するか捕まって袋叩きになる事になります。

 

こうして屋敷に忍び込んだ男性とフィーリングが合うと、男女はその場でウヒョに及びます。夜這いして初めて顔を見た女性といきなりウヒョ!とは、現代では考えられませんよね。でも当時はそれが普通でした。

 

劉備 結婚

 

そして、男性がそこから三日三晩、女性の屋敷に通ってウヒョを続けると結婚するという習慣でした。これは三日連続でウヒョできないようでは体の相性がよくないから飽きて離婚すると考えられたからだそうです。体の相性の不一致は現代でも離婚理由に上がるくらいなので、人間の真理を突いた習慣なのかも知れません。

 

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平安時代のマスオさんは強気でOK

戦国時代の武家屋敷b

 

平安時代の結婚は通い婚で、男性が女性の家に単身で住みつく事になりました。今でいうとサザエさんのマスオさん状態で、なんだか男性の肩身が狭そうな感じですが、そんな事はありませんでした。

 

平安時代には、別々の夫婦が同じ家に住むのは良くないという考え方があり、妻の両親が住む屋敷と新婚夫婦が住む屋敷は、台所まで全て別々の二世帯住宅だったからです。

 

また、通い婚と言っても婿になった男性は実家との縁が切れて財産や地位を喪失するわけではなく、身柄だけを妻の家に置いているだけでしたから、居候のように肩身を狭くする必要はなかったのです。

 

麒麟 於牧の方(明智光秀の母)

 

余談ですが、この二世帯住宅制度は平安から鎌倉、室町を越えて戦国期まで同じで、当時の女性は結婚しても夫の両親と同居しなくていいので、いわゆる嫁姑問題もありませんでした。こちらは羨ましいと感じる既婚(きこん)女性は多いかも知れませんね。

 

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男が妻の下に通わなくなれば離婚成立

 

平安時代は通い婚で男性が妻の下に通う事が婚姻の証でした。ですので離婚はその逆、男性が妻の下に通わなくなればそれで成立します。なんと男性に有利な習慣と思いますが、女性の方でも男性が屋敷に通わなくなれば別の男性を探しても良かったのです。通い婚の場合、男性は身一つでやってくるので財産分与の問題も起きません。こなくなったらそれで縁切りです。

 

女性が男性の建てた家に同居している時は、当然立ち退く事になりますが、その場合でも、実家に出戻りするのが普通で、離婚したから暮らしに困るという事は、少なくとも父母が生きている限りはありませんでした。また、子供は全て妻の家で養育されて育ち、父親より母親に親しみ、父親の実家とは疎遠なので親権問題も起きにくいのです。

 

もちろん女性に未練が残っているなら、自分を捨てた男の薄情を恨んで、毎日、さめざめとセンチメンタルに泣く事もあったのでしょうが、結局、それだけの事であり、財産や親権問題が起きない分、気が楽だったと言えるでしょう。

 

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まとめ

朝まで三国志2017-77 kawauso

 

今回は平安時代の貴族の非常識な常識について解説しました。社会の常識なんて、今の時代だけで通じるものであり、時代が変化するとガラッと変わってしまうものですね。

 

ただ、今回解説した事は、現時点で分っている限りは、こんな感じですよという話であり、研究が進んで事実が書き換えられる可能性がある事をご留意ください。

 

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はじめての鎌倉時代

 

 

 

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