大賀弥四郎(大岡弥四郎)とはどんな人?ノコギリ引きで殺された謀反人


 

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家臣にどうする?と迫れられる徳川家康

 

大河ドラマ「どうする家康」第20話は岡崎クーデターです。ここで登場するのが毎熊克哉(まいくまかつや)さんが演じる大岡弥四郎(おおおかやしろう)(大賀弥四郎)で、彼は岡崎城を丸々武田勝頼に寝返らせようとして失敗。捕らえられて首をノコギリでじわじわ切断される残酷な方法で殺されたと言われています。今回は大岡弥四郎について解説してみましょう。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

姉妹メディア「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

yuki tabata(田畑 雄貴)おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、姉妹メディア「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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有能で勇気があった大岡弥四郎(大賀弥四郎)

馬にのり凱旋する将軍モブ(兵士)

 

大岡弥四郎は岡崎領主古記(おかざきりょうしゅこき)という史料によると、松平新右衛門(まつだいらしんえもん)江戸右衛門七(えどうえもんしち)とともに岡崎城主、松平信康の町奉行でした。それ以前の弥四郎は低い身分でしたが、徳川家康の馬丁(ばてい)を勤めていた頃、矢作川(やはぎがわ)が氾濫して水深がおぼつかなくなった時に弥四郎が真っ先に川に入り、浅瀬を探したので勇気があるとして家康に賞賛され二百石を受ける旗本に抜擢されその後、渥美郡(あつみぐん)の代官に任じられたと岡崎東泉記(おかざきとうせんき)にあります。また、徳川実記によれば、弥四郎は民政と算盤に長けていたので抜擢され、岡崎城を往来して家康と信康に仕えていたそうです。

 

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武田勝頼と内通する大賀弥四郎

大軍を率いて攻める武田勝頼

 

伝馬町旧記録(でんまちょうきゅうきろく)によると、大岡弥七郎は天正2年頃までに松平新右衛門(まつだいらしんえもん)らと一揆の契約を交わし、武田勝頼に内通してその侵攻を助けたとされます。仲間には信康の家老、鳥居氏の陪臣(ばいしん)小谷甚右衛門(こたにじんえもん)倉地平左衛門(くらちへいざえもん)がいました。

 

仙台城

 

三河物語によれば、弥四郎(大賀弥四郎)の計画は家康が岡崎にやってきたと偽って城の門を開けさせ、その隙に武田軍は東三河から岡崎へ侵攻して占領し信康を自害させる。そうして、岡崎在留の武士の妻子を人質に取って徳川家臣団を服属させ進退窮まった家康や一部の家臣が浜松城を落ちた所を待ち伏せて討ち取るというものだったようです。

 

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山田重英の密告で失敗

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しかし、最初はクーデター計画に参加していた鳥居氏の陪臣、山田重英(やまだしげひで)は途中で恐ろしくなり謀反の企てを信康に密告。信康が家来に命じて密談を盗聴させクーデターが露見しました。家康は弥四郎(大賀弥四郎)の裏切りに激怒し捕らえた上で岡崎と浜松城下で引きまわした上にノコギリ挽きで処刑し、弥四郎の妻子は(はりつけ)になったそうです。

 

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異説では歩き巫女が登場

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また一方で「岡崎東泉記(おかざきとうせんき)」によると、武田氏が派遣した歩き巫女が岡崎城中まで入り込んで信康の生母築山殿まで到達、築山殿は信康を国主とするという武田の提案に乗り謀反を計画していたとも言われます。大河ドラマどうする家康の歩き巫女、千代にはモデルがいたんですね。

 

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ノコギリ挽きというと、織田信長を狙撃して逮捕された杉谷善住坊(すぎたにぜんじゅうぼう)が有名ですが家康もクーデターという最悪の陰謀を画策した弥四郎に容赦(ようしゃ)しませんでした。家康は岡崎城外で、弥四郎を首を残して地面に埋め、切れ味が悪い竹のノコギリを置いて通行人に少しずつノコギリを挽かせます。苦痛といつ死ぬか分からない恐怖に弥四郎は恐れ(おのの)いた事でしょう。

 

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どうして大賀弥四郎は叛いた?

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従来の歴史では、武田信玄の死去後は没落の一途をたどったと思われがちな武田氏ですが、実際には、勝頼の時代になっても精強で、長篠の戦いに勝頼が敗北するまでは、家康は決して安泰とは言えない状況でした。

 

石垣を登る忍者

 

そこで、岡崎では武田に味方して家康を見限ろうとする勢力が暗躍し、大岡弥四郎の背後には松平信康や築山殿がいたという話もあります。家康もその事は承知していましたが、武田勝頼の勢力が没落するまでは手が出せないと考え、長篠の戦いの終結後に信康と築山殿を処分したとも考えられるそうです。つまり、大岡弥四郎は決して単独犯ではなく、信康や築山殿の指示で動いていたものが、トカゲの尻尾切りされたという見方も出来るのです。

 

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日本史ライターkawausoの独り言

kawauso

 

今回は岡崎でのクーデターの首謀者、大岡弥四郎(大賀弥四郎)を紹介しました。史料により情報は食い違いますが、弥四郎が単独で武田に内通しても成功するとは思えず、やはり背後には、信康や築山殿の指示があったような気が編集長はしますね。

 

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カワウソ編集長

カワウソ編集長

日本史というと中国史や世界史よりチマチマして敵味方が激しく入れ替わるのでとっつきにくいですが、どうしてそうなったか?ポイントをつかむと驚くほどにスイスイと内容が入ってきます、そんなポイントを皆さんにお伝えしますね。日本史を勉強すると、今の政治まで見えてきますよ。
【好きな歴史人物】
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