亀姫とはどんな人?家康の長女は政略結婚から逞しく成り上がる

02/06/2023


 

コメントできるようになりました 織田信長

織田信長に翻弄される徳川家康を支える榊原康政

 

NHK大河ドラマ「どうする家康」21話「長篠を救え」では織田信長に同盟解消を通告されて窮地に陥った徳川家康を救う為に長女の亀姫(かめひめ)が活躍します。そんな亀姫、兄の信康とは違い大きなトラブルに巻き込まれる事もなく江戸時代まで生きて大往生しました。今回は家康の長女、亀姫の人生について解説します。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

姉妹メディア「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

yuki tabata(田畑 雄貴)おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、姉妹メディア「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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桶狭間の戦いの年に駿府で生まれる

Changan(長安)

 

亀姫は永禄3年(1560年)家康と正室築山殿(つきやまどの)との間に長女として誕生します。

 

産まれてまもなく、父、松平元康は桶狭間の戦いに参加して尾張に向かい今川義元が織田信長に討たれたので岡崎城に留まり、やがて織田信長と同盟を締結します。これにより駿府に留まっていた築山殿と嫡男の信康、長女の亀姫は今川氏真(いまがわうじざね)の人質となりますが、後に上ノ郷城(かみのごうじょう)を元康が陥落させ、鵜殿長照(うどのながてる)の2人の息子を捕えた時、人質交換で築山殿と信康と亀姫は家康の元に戻りました。

 

 

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政略結婚で武田方の奥平信昌の正室となる

名古屋城

 

元亀4年(1573年)頃、家康が奥三河における武田勢力を牽制しようと国衆の奥平氏の帰順を試みます。この時、織田信長の提案で亀姫と新城城主奥平信昌(しんしろじょうしゅ・おくだいらのぶまさ)の婚約が家康に提示されました。奥平信昌は徳川に味方して長篠の戦いでも奮戦し、家康は褒美として亀姫を信昌に輿入れさせます。

 

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奥平信昌(貞昌)とは?

armor(鎧を身にまとう武士)

 

さて、亀姫が輿入れした奥平信昌はどんな人物なのか、ここで簡単に解説します。信昌は、三河国作手(さくて)の有力国人奥平定能(おくだいらさだよし)の長男でした。この奥平氏、当初は今川に服従していましたが、桶狭間の戦い後、徳川家康の傘下となり遠江掛川城攻めに加わりました。

 

しかし、元亀元年(1570年)武田の重臣秋山虎繁(あきやまとらしげ)が2500以上の兵力を率いて東美濃の遠山氏の領地を通過して奥三河へ侵攻。奥平信昌と父の定能は山家三方衆(やまが・さんぽうしゅう)と三河衆、及び同盟関係を結んだ遠山氏と伴に秋山虎繁と対峙。三河との国境の美濃国恵那郡(えなぐん)上村にて上村合戦(かんむらがっせん)を戦います。

 

singen-takeda(武田信玄)

 

数の上で有利だった遠山・徳川連合軍でしたが、遠山氏が惨敗すると奥平定能と信昌は、ほとんど戦わずに城に逃げて、まもなく武田軍に寝返りました。しかし、家康としては武田の勢力を牽制するために奥平氏の勢力が必要であり、何度か使者を送り、同盟を提案しますが、奥平定能からの返事は芳しくありません。そこで家康が織田信長に相談すると信長は「家康の長女亀姫を定能の長男、信昌に与えよ」と助言したので家康はその提案を飲み、亀姫は奥平信昌と結婚する事になったのです。

 

 

武田勝頼

 

 

めでたしめでたしですが、一方でめでたくない人もいました。信昌の妻で武田勝頼の人質になっていたおふうと信昌の弟の仙千代です。勝頼はみせしめとして天正元年(1573年)9月21日に信昌の人質を処刑しました。亀姫婚姻の裏には、こんな哀しい戦国時代の宿命もあったのです。

 

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奥平信昌に側室を置かせず

豊臣秀吉の家臣に転職した石川数正

 

奥平信昌に嫁いだ亀姫ですが、次第に父家康の権勢が強まったせいか、母親の築山殿譲りの気丈な所があったのか信昌に一人の側室も置かせず、亀姫自身で、家昌(いえまさ)家治(いえはる)忠政(ただまさ)忠明(ただあき)の4人の男子と1女を産みました。こうしてみると亀姫が奥平信昌を尻に敷いていたようですが、信昌自身も優秀で武田勝頼の猛攻から長篠城を守り切り、石川数正出奔後の徳川軍の軍制改革でも家康に協力している事から、夫婦仲睦まじかったのかも知れません。

 

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奥平信昌が美濃加納10万石の大名に

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亀姫は、関ヶ原の戦いに家康が勝利した事により、翌年、夫、信昌が美濃加納(みのかのう)10万石に封じられます。こうして三男の忠政と共に加納に移動し、加納御前、あるいは加納の方と呼ばれるようになりました。ここまで順風だった亀姫ですが、やがて三男の忠政、嫡男の家昌、さらには夫の信昌と肉親が相次いで死去。世を儚んだ亀姫は剃髪して盛徳院と号し、幼くして藩主となった孫たちの後見役となり、寛永2年(1625年)加納において66歳で死去します。

 

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宇都宮吊り天井事件の黒幕説

仙台城

 

亀姫には、宇都宮吊り天井事件の黒幕説があります。亀姫の長男奥平家昌の遺児で、宇都宮藩主となった孫の奥平忠昌(おくだいらただまさ)は、12歳の時に下総古河藩(しもう・さふるかわはん)に転封となりました。この時、忠昌の替わりに宇都宮へ入封したのが本多正信の子本多正純(ほんだまさずみ)でしたが、亀姫は正純を快く思っていませんでした。

 

徳川家臣団の嫌われ者・本多正信

 

亀姫の娘は大久保忠隣の嫡子である大久保忠常に嫁いでいました。しかし忠常は早死にし、大久保忠隣も不可解な改易に遭います。世間では、本多正信と本多正純の奸計で大久保忠隣が陥れられたと風聞がありました。相次ぐ不幸に心を痛めていた亀姫は、本多正純と本多正信が奸計で忠隣を陥れたと信じ、異母弟の第2代将軍徳川秀忠に、本多正純が宇都宮城の湯殿に吊り天井を仕掛けて暗殺しようとしていると密告したというのです。

 

吊り天井自体は事実無根でしたが、すでに秀忠の不興を買っていた正純は面目を損ねて流罪となりました。その後、孫の奥平忠昌が再び宇都宮藩へ返り咲いたというのですが、本当に亀姫が吊り天井事件の黒幕かどうかは分かりません。

 

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日本史ライターkawausoの独り言

kawauso

 

今回は徳川家康の長女、亀姫の生涯について解説しました。政略結婚で奥平信昌に嫁いだ亀姫ですが、夫も優秀であり家康の権勢が強まっていくのに合致したので、当時の戦国大名の姫としては幸福な人生を送ったと考えていいのではないでしょうか?

 

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カワウソ編集長

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日本史というと中国史や世界史よりチマチマして敵味方が激しく入れ替わるのでとっつきにくいですが、どうしてそうなったか?ポイントをつかむと驚くほどにスイスイと内容が入ってきます、そんなポイントを皆さんにお伝えしますね。日本史を勉強すると、今の政治まで見えてきますよ。
【好きな歴史人物】
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