信長と松平清康はどちらが本物の“革命児”だったのか?|消えた覇王と生き残った天才


 

オンライン授業の講師を務めるkawauso編集長

 

この記事で以下がズバリ分かります

 

・信長と清康の共通点

・決定的に違ったもの

・なぜ清康は消え、信長は残ったのか

・歴史は本当に実力主義なのか?

nobunaga-oda-Honnoji(本能寺の変の織田信長)

織田信長。

 

戦国時代最大の革命児。

 

では、その20年前に

 

同じことをやっていた男がいた

 

としたらどうします?

 

存在しました。

その名は松平清康。

どうする家康 正面ver

 

徳川家康のじいちゃんです。

 

18歳で三河統一。

尾張侵攻。

一万の軍勢。

 

信長と似すぎていませんか?

 

しかし歴史に残ったのは信長。

 

清康は25歳で暗殺されます。

 

似ている2人の命運は

どうして別れたのでしょうか?

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

姉妹メディア「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

yuki tabata(田畑 雄貴)おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、姉妹メディア「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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共通点① 若すぎる覇者

松平清康 織田信長
家督相続 12歳 17歳
領国統一 18歳(三河) 30代(尾張統一)
革新性 城下町整備・行政再編 楽市楽座・兵農分離

 

 

 

 

 

信長も清康も

 

若年で家督を継ぎ、急速に勢力拡大しました。

 

だから内部反発が強い。

 

どちらも長く続く家なので古参の重臣がいます。

こいつらから見ると、自分たちを頼らずに

ドシドシ前に進む若い主君は煙たい

若すぎる成功者は、必ず敵を作ります。

 

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47都道府県戦国時代

 

 

 

 

 

共通点② 旧勢力を容赦なく削る

 

清康は18存在する一門衆を従属させ、三河国人を制圧。

 

信長は尾張の守護代勢力を排除してゲコクジョー!

 

どちらも

 

「身内に甘い」ということがない。

 

これが革命児の条件です。

旧来の勢力とも仲良くやるという選択肢だと

滅亡もしないけど、天下も取れない

覇者は振り切るのが上手とkawausoは思います。

 

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共通点③部下に殺された

 

信長は重臣明智光秀の奇襲で討死に

清康も部下の阿部弥七郎に

背後から斬り殺されました。

織田信長の首を持って逃げ出す弥助

 

光秀にしても弥七郎にしても憶測はあるものの

どうして主君を討ったのか?

動機については不明な部分が多いのも共通

 

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本能寺の変の特集

 

 

 

 

決定的な違い① 生き延びたかどうか

 

清康:25歳で暗殺(森山崩れ)

信長:49歳まで生存(本能寺まで拡大)

 

歴史は、生き延びた者に書かれます。

途中で脱落すると何も残らない

 

清康は能力が足りなかったのではない。

「時間」が足りなかったのです。

 

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はじめての戦国時代

 

 

 

 

決定的な違い② 外交ネットワーク

 

信長は

 

・徳川家康と同盟

・浅井と婚姻

・朝廷との関係構築

石山合戦 織田信長、本願寺顕如

 

多層的な外交チャンネルを持ちました。

若い頃から奥州の伊達や北陸の上杉

中国の毛利とも書状をやり取りする

信長は視野が広い

 

一方清康は、

 

三河内部掌握に全力。

 

外部との同盟は限定的。

 

急成長の代償として、

内部反発を吸収しきれなかった。

当然、25歳の若さで死んだからとも

考えられますね。

 

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どうする家康

 

 

 

 

決定的な違い③ 情報と恐怖の使い方

 

信長は

 

“恐怖”を政治に利用した。

敵将の頭蓋骨を盃がわりにして酒を飲む織田信長

 

比叡山焼き討ち。

長島一向一揆の女子供までの虐殺

 

「逆らえば滅ぶ」という印象を徹底。

 

清康は

 

慈悲深く、公平であったと伝わる。

 

それは美徳。

 

しかし戦国では、

優しさは必ずしも武器にならない。

清康にも犬猿の仲はいたそうですが、

恐怖とはそういう事ではない

 

個人の好き嫌いを超えて

地雷を踏んだら処断するのが

恐怖の使い道

 

清康は個人としては慈悲深くても

恐怖を操るノウハウがなかった。

 

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もし清康が40歳まで生きていたら?

 

想像してみましょう。

 

三河統一を完成。

尾張併合。

美濃と連携。

 

その場合、

 

信長は“地方豪族の一人”で終わっていた可能性が高い。

 

つまり――

 

信長は

 

清康が消えたことで生まれた存在。

逆に言えば三河の清康が果たせなかった事を

尾張で果たした存在。

 

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織田信長スペシャル

 

 

革命児とは何か?

 

信長は「革命を完成させた男」。

 

清康は「革命の可能性だった男」。

 

歴史は、完成した側を覚える。

 

しかし可能性のほうが、

実は大きかった場合もあるのでは

とkawausoは思います。

 

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麒麟がくる

 

 

清康の生存フラグは?

 

松平清康を殺した阿部弥七郎は

父が織田信秀に内通していると清康に疑われ

成敗されると恐れていました。

自分の鎧が目立ちすぎて怯える徳川家康

 

清康が弥七郎に直接、疑いはないと

説明していれば背後から斬られる

無念の最後は無かったでしょう。

 

清康の悲運は今の組織でもありがちの

報連相の不足だったのです。

これは、刺さる人には刺さる話

 

 

kawausoの独り言

kawauso編集長

 

松平清康と織田信長は

 

・若き統一者

・急進的改革者

・内部反発を生む存在

 

ただ一つ違ったのは、

 

生存時間。

 

信長は革命をやり切った。

 

清康は革命の途中で消えた。

 

だから私たちは信長を知り、

清康を忘れている。

 

長く生きるのは

天下統一には必須の能力

 

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ガンバレ徳川

 

 

 

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日本史というと中国史や世界史よりチマチマして敵味方が激しく入れ替わるのでとっつきにくいですが、どうしてそうなったか?ポイントをつかむと驚くほどにスイスイと内容が入ってきます、そんなポイントを皆さんにお伝えしますね。日本史を勉強すると、今の政治まで見えてきますよ。
【好きな歴史人物】
勝海舟、西郷隆盛、織田信長

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