織田家(戦国)

織田信長が神を名乗った理由は寄付目的?

天下布武を唱える織田信長

 

戦国の風雲児織田信長(おだのぶなが)、そんな彼は天下統一が近づくと自分を拝む事を領民や家臣に強要し神のように振る舞うようになったと言われます。

 

本能寺の変で「是非に及ばず」と切り替えの早い織田信長a

 

しかし、よく考えてみると神を名乗った所で不老不死になれるものでもなく、本能寺(ほんのうじ)の変でも、まったく生に執着せず、あっさり死を選んだ信長のサッパリした性格にも合致しません。

 

ありのままに織田信長に従属(アナ雪風)する穴山梅雪

 

もしかして信長が目指したのは神ではなく、教祖だったのではないでしょうか?

 

織田信長は教祖になりたい!

五重塔(仏塔)仏教

 

宣教師ルイス=フロイスの「日本史」の記述によると織田信長は安土城領域に摠見寺(そうけんじ)を建立し礼拝場として位置づけると共に、多くの人に礼拝させる為、信長を拝めば4つの功徳があるとお触れを出したそうです。

 

そのお触れの内容は以下の4つにまとめられます。

 

金持ちが参詣すると増々金持ちに、貧しい者が参詣すると裕福になる。
また、子供が出来ない者が拝むと子宝に恵まれるだろう
八十歳まで長生きし同時に病気も治り健康に過ごす事が出来る
信長の誕生日を聖日とし、見寺に参詣するように命じる
㈰から㈫を実行すれば、間違いなく幸福が実現するだろうだが、
信長を信じない邪悪な輩は現世でも来世でも滅亡する!
従って万人は大いなる信仰心と尊敬で信長を仰ぎ見るべきだ

 

確かに③と④で信仰を強制しているとも取れます。しかし、信長を拝めば金持ちになり子供に恵まれ、無病息災で長生きできるという煽りは、新興のカルト宗教の勧誘文句にそっくりそのままじゃないですか?

資金が豊富な織田信長

 

もっと、単刀直入な言い方をすると

「俺を拝めば幸せになれる!お前ら俺に寄付しろ!じゃないと滅亡するぞ!」

こうして滅亡の文言で脅しているものの、本音はお金であるように感じます。

 

つまり信長は神になりたいのではなく、新興宗教信長教の教祖になって信者を大勢集め、多額の寄進を得る事が目的ではないでしょうか?

 

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宗教の集金システムに目をつけた信長

京都御所

 

従来、神仏を信じない合理主義者として描かれてきた織田信長ですが、実際は先祖が越前劔神社(つるぎじんじゃ)の神官で、信長本人も劔神社を織田氏の氏神として信仰するなど当時の人と同程度には、信仰心を持っていた事が明らかになっています。

 

つまり信長は、宗教とは全く無縁ではなく、その仕組みについては先祖の行動を通じてある程度、把握していたとも考えられるでしょう。

 

織田信長と本願寺顕如(石山合戦)

 

また上洛後、延暦寺や本願寺のような宗教勢力と衝突し、その特権を剥ぎ取ってきた信長は、宗教が持つお金集めのノウハウを目のあたりにする事も多くあったでしょう。

 

特権をはぎ取っても、信者の寄進により富を得る事が可能な宗教の集金力を見て、自分も真似しようと思いついたのでないでしょうか?

 

経済政策が得意な織田信長

 

「死後の救済しか与えられぬ無力な坊主どもでも、信者から金をせしめられるのだ。戦乱を終わらせ、経済を盛んにしたワシが教祖になれば、信者はもっと大金を納めてくれるに違いない!」

 

信長は、こんな軽い気持ちで信長教を興したのかも知れません。

 

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【戦国風雲児の意外な素顔】
織田信長スペシャル

 

伊勢神宮の経営戦略

長安(俯瞰で見た漢の時代の大都市)

 

信長の根拠地に近い伊勢神宮は、皇室の祖先を祀る場所であり、運営資金は神戸(かんべ)と呼ばれる専用領地からの年貢でした。しかし、平安時代以降、武士の力が強まると神戸からの年貢は武士に横領されて届かなくなり伊勢神宮は困窮、建物の修復や20年ごとの式年遷宮(しきねんせんぐう)も出来なくなります。そこで、伊勢神宮は大胆な方針転換を打ち出しました。

 

それまで、禁止されていた一般客の参詣を許可すると同時に、神宮までのルートに関所を設けて通行料を取り、同時に御師と呼ばれる神宮の職員を全国各地に派遣して大麻(伊勢神宮の神札)を配布して初穂と呼ばれる賽銭を得たのです。

 

地方に下りた御師は支部を築いて檀家を募り、檀家が伊勢参りに来ると自宅に泊めて歓待し、伊勢神宮のガイドなどもしたので、口コミは檀家を通して日本全国に広がっていきました。

 

伊勢神宮も戦国時代には、かなりのダメージを受け、巨額の費用がいる式年遷宮も120年間停止されていたりしますが、信長は伊勢参りの行列を見ていた可能性は高いでしょう。

 

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俺は伊勢神宮を超えるぞジ〇ジョ!

安土

 

劔神社の神官の家系で、祖父の代から経済に着眼して大きくなった信長は、信長教が大きくなれば、それだけで伊勢神宮の人の流れが安土城に来ると踏んでいたのではないでしょうか?

 

例え信仰目的でも、大勢の人が集まれば、飲食店や、雑貨店や料理屋、茶屋が賑わい、日本中から豪商が引っ越してきて安土が京都や大坂のようになる可能性もあります。

 

楽市楽座(日本史)

 

信長の本音は自分を神格化する事ではなく、教祖として最高の集客・集金マシーンになる事だったのではないかと推測できそうです。

 

また安土城の本丸御殿には、清涼殿を模した建物があり、信長はここに天皇を遷すつもりだったとも言われています。伊勢神宮は皇室の祖先を祀る場所として大勢の参詣客を集めているわけですから、信長はその上を行き

 

織田信長

 

「安土城にはモノホン天皇がいるもんねー!伊勢神宮より御利益あるもんねー!ぶっちゃけ信長教は伊勢神宮を超えているもんねー!」

 

みたいに無邪気に考えていたのではないでしょうか?

 

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日本史ライターkawausoの独り言

朝まで三国志2017-77 kawauso

 

ルイス=フロイスが不遜と考えた織田信長の自己神格化ですが、そもそも西洋の一神教と違い、日本は多神教で無尽蔵に神様が存在します。

 

例えば松下幸之助(まつしたこうのすけ)は経営の神様、手塚治虫(てづかおさむ)は漫画の神様、赤塚不二夫(あかつかふじお)はギャグの神様というように決して神格化していないものの、日本人は飛びぬけた能力を持つ人に神という称号を与える事に抵抗がなく、西洋人とは感覚が違います。

 

寿命で亡くなる豊臣秀吉

 

自己顕示欲が強い信長は、庶民や家臣が言い出す前に自分から「俺って神!」と言い出しただけで、それは秀吉(ひでよし)が死後に神格化されたり、家康(いえやす)東照大権現(とうしょうだいごんげん)にされたのと、感覚的には、そんなに違わないのではないでしょうか?

 

参考文献:お金の流れで見る戦国時代 kadokawa

 

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