偉人の銅像と言うと、大体正装をして記念写真でもとるかのような造形であるのが普通です。特に近代の偉人になると洋装か軍服を着ているのが普通でしょう。
しかし、上野恩賜公園の西郷隆盛像は違い、西郷さんは着流し姿で犬を連れまるで散歩しているかのような雰囲気です。でも、上野の西郷隆盛像は一体何をしている所なのでしょうか?
上野恩賜公園の西郷隆盛像はウサギ狩りしている
上野恩賜公園の西郷隆盛像は、薩摩犬を連れてウサギ狩りに向かう西郷どんをかたどったものです。一部では、西郷どんが散歩している様子と言われたりしますが、散歩ではない証拠として腹帯に兎罠と呼ばれる藁で編んだ罠を差し込んでいるのが確認できます。しかし、それはそうとして、どうして西郷どんはウサギ狩りをしていたのでしょうか?
理由は極度の肥満でした。明治維新後、陸軍大将になった西郷隆盛はデスクワークが仕事の主になり体を動かす事が大幅に減ります。
さらに西郷どんは大の甘党であり、おまけに脂っこい食事が大好きで体格相応に大食いでした。40代を迎えていた西郷どんは肥満街道を一直線に突き進み、遂には110キロの体重を抱え、軍馬にも乗れず股ズレで速足行軍も出来なくなる始末でした。そして遂には、息切れや胸の痛みを訴えるようになります。
西郷の健康を心配した明治天皇が、お雇い外国人医師ホフマンに診察させると西郷どんの体は脂肪分が増えて血管を塞ぎ、血液の循環が悪くなっていて内臓も負担を抱えているとの診断でした。ホフマンは、内臓についた脂肪を落とさないと、あなたの命に関わると厳しく指摘します。
こうして、西郷どんは明治天皇の勅命で、ホフマンの指導の下、糖質制限ダイエットを開始。同時に運動も必要という事で、賑やかな日本橋から野山が残る青山渋谷界隈にお引っ越し、愛犬を連れ、朝夕合計8キロの散歩をこなして減量に励んだのです。
ダイエットが上手く行ったかどうかは史料がないので定かではありませんが、西南の役の頃の西郷は、かなり痩せていたという証言があるので上手く行ったのではないでしょうか?
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上野公園の西郷像は、どうして着流し姿になったの?
では、どうして上野の西郷隆盛像は着流し姿になったのでしょうか?
その理由は幾つかあり、元々騎乗する西郷隆盛像を製作するつもりが寄付金が制作費に満たず、陸軍大将服の西郷像に変更したものの、さる筋から陸軍大将姿に猛烈な反対が巻き起こり着流し姿に落ち着いたというものです。
一方で、西郷隆盛の従兄弟である大山巌は、着流しの西郷像はイタリアの英雄ガリバルディのシャツ姿に倣ったもので、西郷の本当の姿は一切の名利を捨てて山に入って兎狩りをした飾りの無い本来の姿にこそあるとして発案したとも言われています。
西郷は赦免されたとはいえ、幕府を倒した維新回天の英雄であり同時に新政府に反旗を翻した逆賊でした。さらには、「新政府に尋ねたき議これあり」として明確に明治政府を批判した事から、反政府的な機運に利用されるのではないか?という懸念がありました。
その為に、敢えて着流しの犬を連れた姿にし西郷の反政府的なアイコンから牙を抜こうと考えたようですが、むしろ着流しの西郷像は親しみやすさから知名度が高まり、日本で最も有名な銅像になったのです。
生涯に17頭の犬を飼った西郷どん
西郷隆盛は、その生涯に17頭の犬を飼っていたそうです。つまりは西郷どんは、相当な犬好きと言え、西郷どんの人生の局面には必ず犬がいました。ただ、西郷どんの犬好きには、人間不信に陥った心の寂しさが影響しているそうです。
西郷どんは若い頃に、主君の島津斉彬や藤田東湖、それに橋本左内のような腹を割って何でも話し合えるような師や友人を失っていました。以来、西郷はずっと孤独で、本当の気持ちは飼っている犬に話して寂しさを紛らわせていたようです。でも、犬を飼う人は飼わない人に比べて運動量は1・5倍、そして犬と接する事で人は幸せホルモンと呼ばれるオキシトシンが脳内に分泌されストレスを緩和して全身をリラックスさせる効果があります。
明治4年に上京してから征韓論の決裂で下野するまで、西郷どんにとって厳しいストレスがある時期に犬は西郷どんに寄り添い、その大事業をアシストしたのです。
幕末維新ライターkawausoの独り言
上野の西郷隆盛像は今でも異彩を放っています。実際には軍服姿の西郷像も鹿児島にはあるのですが、こちらは陸軍大将の姿で怖い顔をしていますし、霧島の紋付き羽織姿で腕組みしている西郷像も威厳が勝り親しみやすさでは上野の西郷像よりは落ちます。
それらに比べると高村光雲作の上野の西郷隆盛像は、動きだしそうな躍動感と言い、間の抜けたようなユーモラスな表情といい、まさしく西郷どんと親しみを込めて呼びたくなる隣人のような何とも言えない愛嬌に満ちています。
維新回天の立役者として位人臣を極めながら、少しもそれに奢る事なく遂には築き上げた地位を全て投げうって藩閥政治に立ち向かった無私の人西郷隆盛。その人生を表すのは、やはり軍服でも紋付き袴でもなく普段着の飾り気のない姿が一番似つかわしいのかも知れません。
文:kawauso
参考文献:偉人たちの健康診断 マガジンハウス
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