坂本龍馬の末裔は現在も生きている?坂本家を継ぐ子孫は何をしているの?

04/01/2022


坂本龍馬(幕末時代)

 

国の未来を考え、縦横無尽に駆け抜け、新時代の日本を切り開いた一人である坂本龍馬(さかもとりょうま)。彼の活躍が無ければ今の日本は存在しなかったといっても過言ではありません。自らの信念を貫き活躍する様はまさにラストサムライ。

 

そんな坂本龍馬ですが、子孫は今も存在しているのでしょうか?

何代目まで続いているのでしょうか?

坂本龍馬のように行動力があり、国のために奔走する方なのでしょうか?

 

今回は坂本龍馬の家系図や末裔、坂本龍馬の祖先についてご紹介していきます。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

姉妹メディア「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

yuki tabata(田畑 雄貴)おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、姉妹メディア「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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坂本龍馬の家族構成

剣術を磨くため江戸にいた19歳の坂本龍馬

 

まずは坂本龍馬の家族構成を確認していきましょう。

 

父 坂本直足(さかもとなおたり)八平(はちへい)

母 (こう)

長男 直方(なおかた)

長女 千鶴(ちづる)

次女 (えい)

三女 乙女(おとめ)

末っ子 龍馬

 

父、母、5人きょうだいの7人家族で、龍馬は末っ子になります。ちなみに幸は、長男である直方を産んだのは10代だったのに対し、龍馬を産んだのは40代だったそうです。ハイリスクと言われている40代で子供を産めて、喜びもひとしおだったでしょう。幸は龍馬が10歳の時に亡くなってしまいます。

 

坂本家は幸しか子供がいなく、婿養子として直足を養子に迎えました。父親の直足は土佐藩の下級武士(郷士)です。直足は武芸に優れ、槍は免許皆伝をもらうレベルの実力だったそうです。

 

直足は19歳になる龍馬を剣術修行で江戸へ送り出す際、「修行中心得大意(しゅぎょうちゅうこころえたいい)」という訓戒書を渡します。

 

訓戒書には、

  • 忠孝の気持ちを忘れずに修行を第一にすること
  • 道具ばかり買って、無駄遣いしないこと
  • 色恋にうつつを抜かし、国の大事を忘れるような心違いをしないこと

この3つが書かれています。

 

龍馬はこの訓戒書を生涯お守りとして大切にしていました。尚修行中心得大意は、現在京都国立博物館に保管されています。

 

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坂本龍馬の直系の子孫はいない

 

坂本龍馬は1864年にお(りゅう)という女性と結婚しますが、31歳の若さで亡くなったため、子どもはいませんでした。なので、龍馬の姉である千鶴の息子「直」を養子に迎えましたが、それでも5代目で途絶えてしまっています。よって現在龍馬の直系の子孫はいないとされています。

 

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こんにちは西洋

 

 

坂本家を継ぐ子孫は生きている

 

兄である直方の家計は、千鶴の次男である「直寛(なおひろ)」を養子として続いています。直方の子孫は現在北海道に移住しています。坂本家の家計の中で著名な方に、画家の坂本直之(さかもとなおゆき)が挙げられます。直之は北海道で有名な「六花亭」の包装紙のデザイン担当していました。現在の坂本家の子孫は坂本登氏が継承しています。偉大な人物の兄の家系をこれからも守っていって欲しいですね。

 

さて、先ほど坂本家の子孫は北海道に移住したと言いましたが、なぜ出身地の高知県や京都府ではなく、北海道なのでしょうか。龍馬は現在の北海道にあたる蝦夷地開拓を構想していました。そして龍馬の亡き後、甥である直は龍馬の意思を継いで蝦夷地経営に関する所を明治政府に提出しました。

 

ですが、キリシタンだったことを理由に免職。仕方なく、東京で官公庁で職を転々とするも、同じ理由で長くは続きませんでした。北海道へ移住するようになったのは5代目である直寛からになります。

 

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ながら日本史

 

 

坂本龍馬の11代目の子孫が健在

 

なんと坂本龍馬の子孫は2021年現在11代目まで続いています。11代目は坂本龍哉(さかもとりゅうや)さんであり、2017年の時取材を受けており、中央大学の法学部の学生だということが分かっています。取材で龍哉さんは「優しい法曹人」を目指すと言っていたそうです。

 

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坂本龍馬の祖先は明智光秀?

明智光秀(麒麟がくる)

 

実は坂本龍馬の祖先は明智光秀(あけちみつひで)ではないかという意見があります。龍馬の祖先である才谷直海は、郷士となり名字を名乗ることを許された際、明智家とのつながりをもとに坂本城から坂本という名字をつけたという説があります。

 

また家紋が明智家と同じ桔梗紋(ききょうもん)であることからも噂が囁かれたと思われます。しかし、明智光秀を含め、光秀の子孫も土佐を訪れた記録もなく、明智光秀の末裔である可能性は低いでしょう。龍馬の仲間の維新志士たちが明智光秀の子孫に違いないと思いたかった説があるようです。

 

敵は本能寺にあり!と叫ぶ明智光秀

 

明智光秀は織田信長(おだのぶなが)を謀反で討ち取っており、龍馬も打倒江戸幕府に向けて何かやってくれるだろうという期待がったのかもしれません。

 

参考:坂本龍馬の子孫 第11代は法学部2年生(YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 

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浜 俊章

浜 俊章

これまで日本がどのような歴史を辿ってきたかを分かりやすく丁寧に解説していきますね。歴史は知れば知るほど面白いですよ。
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