坂本龍馬の幼少期はどんな子だったの?幼少期の逸話は本当?

12/01/2022


ピストルを乱射する坂本龍馬

 

尊敬する偉人ランキングなど歴史上の人物ランキングで毎回上位に食い込み、歴史ドラマでも度々登場するほどの人気を誇る坂本龍馬(さかもとりょうま)

 

薩長同盟が結ばれるシーン 坂本龍馬と西郷隆盛と桂小五郎

 

龍馬は薩長同盟締結の手助けや海援隊、大政奉還など日本の未来のために走り続けました。そんな龍馬ですが、行動力があり、おおらかな人物というイメージをお持ちの方が多いと思いますが、幼少期はどんな子だったのでしょうか?

 

今回は、坂本龍馬の幼少期について紹介していきます。

 

坂本龍馬の家族構成

剣術を磨くため江戸にいた19歳の坂本龍馬

 

1836年龍馬は下級武士である土佐藩郷士の元に生まれます。曽祖父の代に豪商の坂本家本家から分家した龍馬の生家は、財産を多くもらい、裕福な暮らしをします。

 

家族構成は、父である八平(はちへい)、母の(こう)、兄権平(ごんぺい)、3人の姉千鶴(ちづる)(えい)乙女(おとめ)、龍馬の7人家族でした。龍馬の名前の由来は、幸が龍が天を飛ぶ夢を見たことから付けられたと言われています。

 

龍馬が生まれた時、権平は21歳、千鶴は18歳、栄は15歳、乙女は3歳でした。乙女は龍馬と歳が近いこともあり、龍馬を一番気にかけていて、母である幸が亡くなってから乙女が母親代わりになっていました。

 

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こんにちは西洋

 

 

坂本龍馬の幼少期

 

龍馬は末っ子で兄弟が乙女以外10歳以上離れていたので、お手伝いさんも多く、大変可愛がられました。自分が何もしなくても周りの人が何もかもやってもらっていたせいか、幼少期の龍馬は気が弱く、マイペースで、頭もあまり良くなかったそうです。

 

実は幼少期の龍馬は落ちこぼれだったのです。日本の未来を切り開いた龍馬が子どもの頃は落ちこぼれだったなんてとても意外ですね。さらに、龍馬は10歳頃までおねしょをしていたり、常に鼻が垂れていたり、落ちこぼれだったため、周りからは「よばいったれ(おねしょをする)」、「泣き虫」、「鼻たれ」と、からかわれていました。

 

1846年、龍馬は12歳になり、龍馬は楠山塾(なんざんじゅく)へ通い始めます。ですが、一年もかからずに退塾させられてしまいます。

 

理由は諸説ありますが、

  • 上士と口論になってしまい、龍馬が短刀で斬りかかったため。
  • 逆に上士が龍馬に斬りかかった。それにより、上士は退塾させられるが、父八平も後難を 恐れて龍馬も辞めさせた。
  • 入塾すると、龍馬は毎日泣いて帰り、文字を教えられても、簡単に覚えられず、師匠の楠 山庄助に見放されたため。

 

このような説がありますが、現在では2つ目の説が有力とされています。

 

実は幸がなくなったのが入塾した年だったため、学問に身が入らなかったのは、12歳の多感な年頃の龍馬にとっては当然だったのかもしれません。乙女はそんな龍馬に読み書きやそろばん、武芸、精神面などを教えました。龍馬は学問はあまり花開きませんでしたが、剣術の腕前はみるみる上達しました。

 

14歳の頃、日根野弁治道場(ひねのべんじどうじょう)に入門し、小栗流(おぐりりゅう)和兵法を学びます。そして、19歳で「小栗流和兵法目録」を授与され、剣術修行のため、江戸に旅立ちました。江戸で桶町千葉道場に入門し、「北辰一刀流長刀兵法目録(ほくしんいっっとうりゅうなぎなたへいほうもくろく)」を得ました。

 

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幼少期の逸話は本当?

 

しかし、坂本龍馬の幼少期の逸話は本当なのでしょうか?

幼少期に関する重要資料はいくつかあります。

 

 

坂崎紫蘭(さかざきしらん)汗血千里駒(かんけつせんりのこま)」や瑞山会(ずいざんかい)編「維新土佐勤王史(いしんとさきんのうし)」、千頭清臣(ちかみきよおみ)「阪本龍馬」、司馬遼太郎(しばりょうたろう)「竜馬がゆく」などで龍馬の幼少期の逸話について書かれていますが、確たる証拠はなく、後世の創作である可能性もあります。

 

龍馬が楠山塾に通っていたことは事実ですが、退塾の理由も諸説あり、今後も調査が必要です。

 

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ながら日本史

 

 

おねしょは大物の証!?

 

坂本龍馬は10歳頃までおねしょをしていた逸話が残されていますが、おねしょは大器晩成の証というのはご存知でしょうか?これは脳科学で研究されており、脳科学者である澤口俊之(さわぐちとしゆき)氏によると、おねしょをしてしまう原因として、前頭前野(人間の知性を司る部分で、尿を我慢する部分でもある)の発達が遅れているためだと言われています。

 

前頭前野は幼少期に発達が遅いほど、成長した時高度に発達するという調査があるようです。なので、幼少期の龍馬は落ちこぼれでしたが、大人になるにつれ、前頭前野が高度に発達したため、後世に名を残すような功績を残すとができたと考えることもできますね。

 

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浜 俊章

浜 俊章

これまで日本がどのような歴史を辿ってきたかを分かりやすく丁寧に解説していきますね。歴史は知れば知るほど面白いですよ。
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