坂本龍馬は何をしたの?どんな功績を残したの?亀山社中、海援隊、薩長同盟、大政奉還など一挙紹介

16/12/2021


長崎で亀山社中を結成する坂本龍馬

 

歴史上の偉人の中でも、トップクラスの知名度と人気を誇る坂本龍馬(さかもとりょうま)。歴史ドラマや学校の歴史の授業でも坂本龍馬は必ず載っているので、知らない人はいないのではないでしょうか。

 

二人で共に支え合う坂本龍馬と中岡慎太郎

 

ですが、龍馬は具体的に何をした人物か、と聞かれると分からない人もいるかと思います。今回はそんな坂本龍馬の功績を解説した後、意外な幼少期についても紹介します。

 

坂本龍馬の魅力を編集長が7分で語ります!

 

坂本龍馬の功績

坂本龍馬(幕末時代)

 

坂本龍馬は明治維新を語る上で欠かせないほど大きな功績を残しました。坂本龍馬がいなければ今の日本もなかったかもしれません。数々の功績を知れば偉大な人物だったことが再認識できるでしょう。

 

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公家

 

亀山社中から海援隊へ

日本初の株式会社した坂本龍馬

 

坂本龍馬は1865年に薩摩藩や長崎の豪商小曽根家(こぞねけ)の援助を受けて、同志とともに設立された結社です。当初は貿易を行い交易の仲介や物資の運搬等で利益を得ていて、「日本初の商社」と言われています。

 

亀山社中(かめやましゃちゅう)は貿易等で利益を得るだけではなく、徳川幕府の倒幕を目的としていました。薩摩藩名義で武器を購入し、長州藩へ渡すなどの斡旋をし、薩長同盟の締結に向けて活動していました。

 

勝海舟から航海術を学んだ坂本龍馬

 

1867年4月には龍馬の脱藩が許されて隊長になり、海援隊と改称されます。会社と海軍を備えた組織であり、航海術や政治学、語学などを学ぶ学校でもありました。メンバーは脱藩浪人、軽格の武士、庄屋、町民と様々でした。

 

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こんにちは西洋

 

薩長同盟

薩長同盟が結ばれるシーン 坂本龍馬と西郷隆盛と桂小五郎

 

坂本龍馬は薩長同盟(さっちょうどうめい)締結の立役者です。なぜ犬猿の仲である薩摩藩と長州藩に同盟を結ばせたかというと、お互いの利害が一致したためです。

幕末 大砲発射

 

薩摩藩は当時、財政状況が良好であり、既に疲弊していた幕府は薩摩藩を疎ましく思っていました。そのため、薩摩藩に長州藩に攻めるよう仕向けます。当然、長州と戦えば、多くの犠牲やお金がかかり、国力の衰退は目に見えています。幕府の命令には逆らえないが、長州藩との戦争も避けたい状況でした。

 

幕末77-14_錦の御旗

 

一方の長州藩は藩の存続に関わる状況にありました。倒幕運動を展開していたため、幕府が各藩に長州討伐を命じました。また長州藩は朝敵(天皇の敵)とされたため武器の購入ができません。

 

幕末76-4_七卿落ち

 

両者このような危機的状況にあり、どちらも倒幕をしたいという利害が一致したため、同盟を結ぶことになります。その同盟を仲介したのが坂本龍馬でした。薩摩藩に内密に長州藩に武器を送るなどをし、倒幕へ向けてお互い準備を進めていきました。

 

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俺達尊攘派

 

 

坂本龍馬と大政奉還

大政奉還した徳川慶喜

 

大政奉還(たいせいほうかん)とは、江戸幕府第15代将軍である徳川慶喜(とくがわよしのぶ)が政権返上を1867年11月9日に明治天皇へ奏上し、翌15日に天皇が奏上を勅許した事です。

 

これにより、鎌倉以来約700年続いてきた武家政治が終了し、朝廷による新しい政治が始まりました。大政奉還前、龍馬は薩長の仲介をし、倒幕の準備を進めていました。薩長は戦争による倒幕を目指していましたが、龍馬は平和裏に政権移行を目指そうとする非戦論者でした。

 

後藤象二郎

 

龍馬は土佐藩の参政である後藤象二郎(ごとうしょうじろう)に大政奉還の案を授けます。龍馬の大政奉還案に感銘を受けた後藤は将軍徳川慶喜に大政奉還を建白。慶喜は大政奉還を受け入れ、江戸幕府はなくなり、新しい時代を迎えることになりました。

 

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ガンバレ徳川

 

船中八策

幕末68-8_山内容堂

 

船中八策(せんちゅうはっさく)とは坂本龍馬がつくった新政府の方針です。1867年に前土佐藩主である山内容堂(やまうちようどう)に大政奉還を進言するために乗っていた船に、後藤象二郎に語る形で、作り上げた新国家への基本方針のことです。

 

この龍馬が考案した船中八策は明治新政府の基本方針に影響を与えたと言われています。ですが、この船中八策ですが、龍馬が一から作ったわけではないようです。これに似たものが既に作られていました。熊本藩士である横井小楠(よこいしょうなん)国是七条(こくぜしちじょう)という政府の基本方針を作っていました。

 

次元の高い考えを持つ勝海舟を尊敬した坂本龍馬

 

そして、龍馬は1864年2月、勝海舟(かつかいしゅう)の使者として横井小楠の元に訪れた時、本人から直接国是七条を説明してもらっていました。船中八策は国是七条の影響を受けて作られたものでした。

 

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幼少期は実は泣き虫だった

剣術を磨くため江戸にいた19歳の坂本龍馬

 

そんな数々の功績を残してきた龍馬ですが、実は幼少期は甘えん坊で泣き虫だったようです。鼻を垂らして、寝小便も11歳ぐらいまで治らなかったそうで、12歳の頃塾に通い始めますが、早々に落第生になってしまいました。

 

青年期以降の龍馬と比べると別人のようですね。剣術の腕前はピカイチで14歳で日根野道場(ひねのどうじょう)に通いだし、みるみる上達し、剣術修行のおかげか人間的にも大人に成長していきました。

 

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激動の幕末維新を分かりやすく解説「はじめての幕末はじめての幕末

 

 

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浜 俊章

浜 俊章

これまで日本がどのような歴史を辿ってきたかを分かりやすく丁寧に解説していきますね。歴史は知れば知るほど面白いですよ。
【好きな歴史人物】
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