江戸時代の農民の年貢というと秋に収穫した作物を差し出しあとは豊年を祝う盆踊りで終わりのイメージです。しかし、現代も様々な名目で税金が取られるように江戸時代の年貢も秋ばかりではありませんでした。
江戸時代の年貢の納め方
江戸時代の農民は年に3回分納で年貢を納めていました。年貢は夏と秋・冬の3回で夏は銭で年貢を納め、秋と冬は銭か農作物で納めていたそうです。幕府や藩にとって年貢は命の綱なので、決して取りはぐれがないように巧妙な制度を採用していました。毎年、藩や幕府では、村人ひとりひとりがその年に納める年貢を決定します。
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年貢を集める人
しかし、この年貢を集めるのはサムライではありません。各家を回って年貢を集めるのは村役人と言われた村の三役である名主(庄屋)組頭(年寄)百姓代という上級農民でした。このような村役人は藩や幕府により年貢完済の責任を背負っていて年貢を支払えない村人は村役人から借金して年貢を支払っていました。
幕府や藩が領収書である小手形を発行
幕府や藩は、年貢の支払いがあるごとに領収書である小手形を村役人に交付。全ての年貢を支払い終えた村役人は、3枚の手形を提出します。そこではじめて「年貢皆済目録」が交付され1年の義務が終了するのです。江戸時代の農民は秋の収穫物さえ支払えばOKと思っていましたが実際には年に三回も支払い義務があるとはなかなか大変ですね。
【参考文献】
大石 学「図解でスッと頭に入る江戸時代」昭文社 (2020/11/24)
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