ほのぼの日本史チャンネルをご覧のみなさん今週も一週間お疲れ様でした。今回のお疲れキャラは徳川家康です。
家康についてよく言われるのは保守的な政治家という評価です。具体的には、信長が本能寺で死ななければ日本は鎖国せずに海外にどんどん出ていき幕末を待たずに西洋と肩を並べたみたいな話があります。でも、それは本当でしょうか?
家康は本当に保守的で信長のように革新的な事が出来ない大名なのでしょうか?
例えば家康が信長や秀吉のように商業の発展よりも農本主義を取ったのは家康が保守的だからではなく彼の領地である東国が西国に比較して経済で大きく出遅れていたからでした。皮肉な事に家康が江戸を整備した結果東国に初めて江戸という巨大な消費と物流拠点が誕生西の大坂や京都に負けない経済機構が整いました。それでも東西では決算貨幣が金と銀で違ったり暦が違ったり、埋めないといけないギャップがありそれらは江戸時代中期頃まで続くのです。
例え、信長が天下を統一しても秀吉が長寿して家康の出番がなくても東国と西国の経済格差を放置したままで統一王朝を樹立して海外に打って出るのは難しかったでしょう。また、貿易立国を目指すにしても戦国期の日本には世界と戦うだけの商品は乏しく金、銀、銅のような貴金属に比重がかかり輸入が増えると貴金属が国内から出ていき貨幣改鋳で対応してインフレを招くので制限貿易をして貴金属の流出を制限しその中で輸入品を国産品で代替する政策を開始します。
これが伊万里のような焼物になり欧州にも輸出される特産品になるのです。そんなわけで、家康が天下を取らなくても秀吉や信長が日本を統一しても日本はかなり長い期間、貿易立国として世界に出て行くのは難しかったと思います。ロマンのある話だとは思いますけどね
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