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藤原北家の暗闘!権力の頂点を極めた家系の秘密

09/03/2024


 

コメントできるようになりました 織田信長

 

kawauso編集長

 

 

NHK大河ドラマ「光る君へ」で一番モヤモヤするのは、登場人物がほとんど藤原氏で、どんな関係なのか分からない点ではないでしょうか?

 

人間関係が分っているのは、主人公の藤原道長と姉の詮子、兄の道隆、道兼、異母兄弟の道綱、それに父の兼家くらいで、後は道長とどういう血縁関係があるか不明です。そこで今回は道長が所属する藤原北家の血縁関係を紐解きつつ、その中で起きた権力闘争を解説します。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

姉妹メディア「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

yuki tabata(田畑 雄貴)おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、姉妹メディア「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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藤原の中の藤原、藤原北家

公家同士の会議

 

藤原氏は8世紀の藤原不比等(ふじわらのふひと)の時代から勢力を増していき、不比等の息子たちが起こした藤原北家(おっけ)、藤原南家(なんけ)、藤原式家(しきけ)、藤原京家(きょうけ)藤原氏四家(ふじわらしよんけ)に分離していきますが、四家の中で飛びぬけて高い勢力を誇ったのが藤原北家です。藤原北家の祖である房前(ふささき)は元正天皇の時代、他の兄弟に先んじて参議に昇進し、天皇側近として皇族長屋王(ながやおう)と政権を争い、聖武(しょうむてんのう)天皇の時代に長屋王の変で政権を掌握しますが、天平(てんぴょう)九年(737年)に天然痘で病死します。その後、光仁(こうにん)天皇の時代には房前の子、藤原永手(ながて)や藤原魚名(うおな)が左大臣に昇進しますが、桓武天皇の時代に永手の嫡男、家依(いえより)は若死、魚名も氷上川継(ひがみのかわつぐ)の乱に連座して失脚し冬の時代を経験しました。

 

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藤原北家の復活

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しかし平城(へいぜい)天皇の時代の大同(だいどう)二年(807年)の伊予親王(いよしんのう)の変で南家の大納言藤原雄友(ふじわらのおとも)や、中納言藤原乙叡(ふじわらのたかとし)が伊予親王の変に連座して失脚。式家も藤原種継(たねつぐ)の子である藤原仲成(ふじわらのなかなり)と娘の藤原薬子(ふじわらのくすこ)が弘仁元年(810年)の薬子の変で失脚。次の嵯峨(さが)天皇の時代に信任を得た北家の藤原冬嗣(ふじわらのふゆつぐ)が急速に台頭していきます。こうして冬嗣が文徳天皇(もんとくてんのう)の外祖父、冬嗣の子良房(よしふさ)が清和天皇の外祖父、良房の甥の藤原基経(ふじわらのもとつね)朱雀(すざく)天皇と村上天皇の外祖父となり、北家嫡流が三代の天皇の外祖父となった事で、ライバルだった南家と式家を抜き去り、藤原氏と言えば藤原北家の事となります。

 

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摂関政治の礎、藤原忠平

Changan(長安)

 

藤原基経の死後、宇多天皇(うだてんのう)は摂関を置かず、基経の子、左大臣藤原時平(ふじわらのときひら)と右大臣菅原道真(すがわらのみちざね)を相談役として「寛平(かんぺい)()」と呼ばれる安定した統治を実現します。しかし、時平は藤原氏の勢力拡大に邪魔な菅原道真を政変で追い落としてライバルを排除。時平は39歳で死去しますが、弟の忠平(ただひら)が次の醍醐(だいご)天皇に信頼され勢力を維持しました。延長8年(930年)病が篤くなった醍醐天皇は朱雀天皇に譲位しますが、朱雀天皇は7歳の上に病弱で、醍醐天皇は遺言で左大臣、藤原忠平のいう事を聞くように言いつけます。忠平は基経以来、長く途絶えていた摂政(せっしょう)に任命されます。さらに忠平は朱雀天皇が成人した後、引きつづき、関白に任じられ政治を主導しました。摂政を退いた人物が続けて関白に任じられたのは忠平が最初とされ摂関政治は、藤原忠平から始まると言ってもいいでしょう。忠平は長命で朱雀天皇の次の村上天皇の時代にも関白を務め、天暦(てんりゃく)三年(949年)に病死します。

 

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藤原師輔の子孫たちの戦い

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藤原忠平の子の中では、嫡男の実頼(さねより)と次男の師輔(もろすけ)が出世頭となります。現時点で大河ドラマに出ている主要な人物は、ほぼ、この実頼と師輔の系統の従兄同士と言ってよく、NHK大河ドラマ「光る君へ」は、実頼系統と師輔系統の権力闘争と断定してよいです。この師輔の三男が藤原道長の父である藤原兼家(かねいえ)であり、兼家の上席の左大臣にいるのが実頼の子藤原頼忠(よりただ)です。以下はそれぞれの関係を表にしました。

 

藤原師輔と実頼の系統

 

 

こうしてみると、現在、大河ドラマに出演している主要人物のほとんどが、忠平の嫡男の実頼と次男の師輔の系統である事が分かりますね。

 

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九条流VS小野宮流

 

では、藤原忠平の息子である実頼と師輔の権力争いはどうなったかと言うと、こちらは師輔の圧勝でした。理由は師輔が実頼よりも実力的に秀でていたというわけではなく、師輔の娘の安子(あんし)が村上天皇に輿入れして、後の冷泉(れいぜい)天皇と円融(えんゆう)天皇を産んだからです。一方、実頼の小野宮流は、天皇に娘を嫁がせても男子が誕生する事はなく、藤原北家を代表するのは師輔の九条流になります。師輔の没後は嫡男の藤原伊尹(ふじわらのこれまさ)が権力を継承。娘の懐子(かいし)が冷泉天皇に嫁ぎ、後の花山天皇(かざんてんのう)を産んだので外戚の地位を確立する事になりました。ところが伊尹は、三弟の兼家を重用した一方で、次弟の兼通(かねみち)を冷遇します。このため兼通は弟の兼家を恨み、伊尹が死んで自身が太政大臣になると兼家を冷遇。従兄である実頼の子、藤原頼忠と協力して政治をおこなうようになりました。そればかりではなく、兼通は死の直前にも、左大臣を弟の兼家ではなく、頼忠に譲るという徹底ぶりで、兼家は師輔の系統でありながら右大臣に留まり、頼忠の後塵を拝する状況でした。

 

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兼家の活躍で盛り返す

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兼通と兼家の険悪さのお陰で左大臣、後に太政大臣になった頼忠ですが、円融天皇に娘を嫁がせても男子が誕生しませんでした。一方で右大臣兼家が天皇に嫁がせた詮子は懐仁(やすひと)親王、後の一条天皇を産みました。兼家は円融天皇に孫の懐仁親王を皇太子にするように働きかけて譲位を促し、次の花山天皇を策謀で退位に追い込んで、自分の孫である懐仁親王を天皇に即位させる事に成功しました。その間に頼忠は健康を害して989年には病死。兼家は後任の太政大臣に就任します。その後、摂政と関白は、兼家の子、道隆、道兼、道長と譲られる事になり、小野宮流と九条流の権力闘争は九条流の勝利となりました。

 

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日本史ライターkawausoの独り言

kawauso編集長

 

今回はキングオブ藤原というテーマで藤原氏四家から藤原北家が抜きんでていく様子と藤原北家出身で、摂関家の礎である藤原忠平の子、実頼と師輔の系統の権力争奪を解説してみました。俯瞰してみると個々の政治力もさることながら、天皇に娘を嫁がせて、首尾よく男子を得た人物が藤原氏の中で抜きんでていく様子が分かりますね。

 

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日本史というと中国史や世界史よりチマチマして敵味方が激しく入れ替わるのでとっつきにくいですが、どうしてそうなったか?ポイントをつかむと驚くほどにスイスイと内容が入ってきます、そんなポイントを皆さんにお伝えしますね。日本史を勉強すると、今の政治まで見えてきますよ。
【好きな歴史人物】
勝海舟、西郷隆盛、織田信長

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