鎌倉殿の13人第28話「名刀の主」では、梶原景時が御家人結城朝光を鎌倉殿を非難した事を理由に逮捕しようとし、逆に梶原景時を嫌う66人もの御家人に訴えられ失脚する場面が描かれました。
いわゆる梶原景時の変ですが、ドラマみたいな訴訟は事実だったのでしょうか?
この記事の目次
鎌倉時代の訴訟窓口は3つ
鎌倉時代の訴訟は以下の通り、管轄が別れていました。
侍所 | 御家人同士の刑事事件を担当(梶原景時は侍所別当) |
政所 | 鎌倉における民事訴訟を担当(別当は大江広元や北条時政) |
問注所 | 民事訴訟を担当(執事は三善康信) |
それぞれの部署には奉行人と呼ばれる担当者がいて、訴えを受理していました。
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鎌倉時代の訴訟の流れ
では、実際に訴訟が起こされた時の流れを見てみます。
まず問題が起きると訴人(原告)が奉行人に訴状を提出します。
↓
奉行人は訴状を受け取ると、論人(被告)に対して、訴状が出ているので弁明があれば提出せよと問状を出します。
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論人は奉行人に対して陳状(弁明書)を出すという行動を三度繰り返します。
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その後、訴人と論人を呼び出し口頭弁論をやり、奉行人は双方の言い分を吟味して報告書を作成し評定会議に報告します。
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最後に評定衆が奉行人を呼び出した上で、色々問い質し判決を下しました。
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原告が被告に挑戦状を叩きつける
被告に弁明を促す問状ですが、奉行人が持って行くのではなく原告が直接被告に手渡していました。
ちょうど原告が被告に「上等だ法廷に出ろ」と挑戦状をたたきつけるような感じですね。
もし、関係がこじれて互いを憎悪していれば、原告と被告双方が刀を抜く騒ぎになったかも知れません。まあ、鎌倉幕府の訴訟は御家人しか担当していないので、武士なら自分で挑戦状くらい持っていけ程度に考えていたのかも知れませんね。
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嫌われ者の梶原景時には無理ゲー?訴訟の問題点
鎌倉時代の訴訟には困った問題がありました。それは勝訴しても周囲に嫌われていたり、実力がない人間には判決が無力という事です。鎌倉時代の訴訟は民事訴訟については、判決を力ずくで守らせる事まではしなかったのです。
具体的に解説しましょう。梶原景時が所有するAという土地を和田義盛が横領したとします。景時は政所に訴えを起こし、政所は景時の訴えを認め、義盛に土地を返すように判決を下しました。
現在は、土地の返還は公機関がちゃんとやってくれますが、鎌倉時代はそうではありません。鎌倉時代の判決には法的拘束力がなく義盛が開き直って土地を返さない場合、景時は判決を根拠に実力で土地を取り返さないといけなかったのです。
では、嫌われ者で人気がない景時に土地を取り返す力がない時はどうなるのか?
可哀想ですが、その時は泣き寝入りという事になりました。
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嫌われ者の梶原景時に不利な鎌倉時代の訴訟
判決が出ても自力で判決を有効にしないといけないなら、訴人も論人もなるだけ多く仲間を集めようとします。どうせ最後は腕力の勝負なので、相手が力ずくでの抵抗を諦めるように大勢の味方が必要なのです。
さて、鎌倉殿の13人でも梶原景時は66人もの御家人に訴えられ弁明する事無く鎌倉を退去していきました。
これはどういう事か?といえば、たとえ源頼家が景時は無罪と判決を下しても、今後、景時に味方する御家人はいないという事です。嫌われ者の景時は、もはや幕府で影響力を行使できないと悟り、弁明する意欲を無くし失脚を受け入れる事になったのでした。
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嫌われ者の景時もやった神判
明快な判決が出ればいいですが、実際はどちらの言い分が正しいか証拠が少なくて決められない事もあります。そのような場合には、神判と言い神様に判決を出してもらう事もあります。
方法は、被告と原告の双方が「神に誓って嘘は申しません」と書いた起請文を備えます。あとは神社に7日間籠り、この7日間に「鼻血が出る」「烏や鳶に尿をかけられる」「ネズミに着物を食いちぎられる」「飲食の時にむせる」「馬が倒れる」「親類に不幸が起きる」などがあると、偽りが神に見破られたとして敗訴になりました。
鎌倉殿の13人でも、上総広常暗殺に迷った景時が、双六に負け続ける広常を見て、これは天が広常を見放した印として殺害に及ぶ演出があります。
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法的拘束力がない判決がなんで必要?
しかし、ここで疑問が湧いてきます。法的拘束力がない鎌倉幕府の判決をどうして皆が欲しがったのだろうという事です。
言いっぱなしの幕府判決ですが、意味がない事はありません。いざ判決を実力で守らせようとした時に、幕府の判決があるとないでは味方する人間の数が大きく違うのです。
敗訴した側に味方すると、幕府に盾突いた事になるので味方する者は少なくなり、逆に勝訴した側に味方する者は多くなります。腕力があるもの同士がぶつかる際は、幕府の判決はお墨付きとして効果があったのです。
つまり鎌倉幕府の判決は、自力救済可能な強者同士がぶつかる場合にしか機能しませんでした。
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日本史ライターkawausoの独り言
梶原景時は、侍所別当として刑事事件の判決を下していました。そのため、訴訟では、多くの御家人の味方をつけられないと無意味だと承知していました。だから、66人もの御家人が自分を訴えた時、もう勝ち目はないと悟ったのです。
梶原氏は決して弱い御家人ではありませんが、それでも66人もの御家人が合戦で敵にまわれば勝てないのは当然で、鎌倉殿である頼家が庇ってもどうしようもない事でした。
嫌われ者の梶原景時は、鎌倉時代の訴訟においては極めて不利だったのです。
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