広告

梶原景時は嫌われ者だからイジメ訴訟で失脚?鎌倉時代の訴訟を解説【鎌倉殿の13人】

26/07/2022


源頼朝に恩義を売っておこうと考えた梶原景時

 

鎌倉殿の13人第28話「名刀の主」では、梶原景時(かじわらかげとき)が御家人結城朝光(ゆうきともみつ)を鎌倉殿を非難した事を理由に逮捕しようとし、逆に梶原景時を嫌う66人もの御家人に訴えられ失脚する場面が描かれました。

 

いわゆる梶原景時の変ですが、ドラマみたいな訴訟は事実だったのでしょうか?

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

姉妹メディア「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

yuki tabata(田畑 雄貴)おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、姉妹メディア「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


【誤植・誤字脱字の報告】 バナー 誤字脱字 報告 330 x 100



【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 ほのぼの日本史レポート引用について



鎌倉時代の訴訟窓口は3つ

京都御所

 

鎌倉時代の訴訟は以下の通り、管轄が別れていました。

 

侍所(さむらいどころ) 御家人同士の刑事事件を担当(梶原景時は侍所別当)
政所(まんどころ) 鎌倉における民事訴訟を担当(別当は大江広元や北条時政
問注所(もんちゅうじょ) 民事訴訟を担当(執事は三善康信)

 

それぞれの部署には奉行人と呼ばれる担当者がいて、訴えを受理していました。

 

大人しい日本人は嘘?中世日本は訴訟社会

噂話をする戦国時代の庶民
中世日本はアメリカみたいな訴訟社会だった!

続きを見る

 

はじめての鎌倉時代

 

 

鎌倉時代の訴訟の流れ

和歌を詠むなど教養もあった梶原景時

 

では、実際に訴訟が起こされた時の流れを見てみます。

 

まず問題が起きると訴人(そにん)(原告)が奉行人(ぶぎょうにん)に訴状を提出します。

奉行人は訴状を受け取ると、論人(ろんにん)(被告)に対して、訴状が出ているので弁明があれば提出せよと問状(もんじょう)を出します。

論人は奉行人に対して陳状(ちんじょう)(弁明書)を出すという行動を三度繰り返します。

その後、訴人と論人を呼び出し口頭弁論(こうとうべんろん)をやり、奉行人は双方の言い分を吟味して報告書を作成し評定会議に報告します。

最後に評定衆が奉行人を呼び出した上で、色々問い質し(といただし)判決を下しました。

 

借金なんか踏み倒せ!徳政令のとんでもない内容

money(お金・宋銭)
徳政令とは何?借金を合法的に踏み倒せた背景とは?

続きを見る

 

源頼朝

 

 

原告が被告に挑戦状を叩きつける

北条時政ら御家人勢力に嫌われていた梶原景時

 

被告に弁明を促す問状ですが、奉行人が持って行くのではなく原告が直接被告に手渡していました。

 

ちょうど原告が被告に「上等だ法廷に出ろ」と挑戦状をたたきつけるような感じですね。

 

もし、関係がこじれて互いを憎悪していれば、原告と被告双方が刀を抜く騒ぎになったかも知れません。まあ、鎌倉幕府の訴訟は御家人しか担当していないので、武士なら自分で挑戦状くらい持っていけ程度に考えていたのかも知れませんね。

 

鎌倉殿の舞台中世とはどんな時代?

朝廷
中世って何?古代や近世とどう違う?比較ですっきり分かる日本史

続きを見る

 

源義経

 

 

嫌われ者の梶原景時には無理ゲー?訴訟の問題点

暗殺のようなダーティーな仕事もする梶原景時

 

鎌倉時代の訴訟には困った問題がありました。それは勝訴しても周囲に嫌われていたり、実力がない人間には判決が無力という事です。鎌倉時代の訴訟は民事訴訟については、判決を力ずくで守らせる事まではしなかったのです。

 

具体的に解説しましょう。梶原景時が所有するAという土地を和田義盛(わだよしもり)が横領したとします。景時は政所に訴えを起こし、政所は景時の訴えを認め、義盛に土地を返すように判決を下しました。

 

侍所別当の地位を梶原景時に交代させられた和田義盛

 

現在は、土地の返還は公機関がちゃんとやってくれますが、鎌倉時代はそうではありません。鎌倉時代の判決には法的拘束力がなく義盛が開き直って土地を返さない場合、景時は判決を根拠に実力で土地を取り返さないといけなかったのです。

 

では、嫌われ者で人気がない景時に土地を取り返す力がない時はどうなるのか?

 

可哀想ですが、その時は泣き寝入りという事になりました。

 

暴力が支配した中世日本のルール自倹断とは?

Ikko-Ikko( 一向一揆)
なんで農民は戦国大名に従った?農村と運命共同体。ローカル大名の真実

続きを見る

 

北条義時

 

 

嫌われ者の梶原景時に不利な鎌倉時代の訴訟

命令とあらば何でも遂行する梶原景時

 

判決が出ても自力で判決を有効にしないといけないなら、訴人も論人もなるだけ多く仲間を集めようとします。どうせ最後は腕力の勝負なので、相手が力ずくでの抵抗を諦めるように大勢の味方が必要なのです。

 

さて、鎌倉殿の13人でも梶原景時は66人もの御家人に訴えられ弁明する事無く鎌倉を退去していきました。

 

源頼家にも重宝された梶原景時

 

これはどういう事か?といえば、たとえ源頼家が景時は無罪と判決を下しても、今後、景時に味方する御家人はいないという事です。嫌われ者の景時は、もはや幕府で影響力を行使できないと悟り、弁明する意欲を無くし失脚を受け入れる事になったのでした。

 

陰険な眉なし男、梶原景時はどんな人?

暗殺のようなダーティーな仕事もする梶原景時
梶原景時とはどんな人?義経と敵対し悪役にされた頼朝の忠実な部下【鎌倉殿の13人】

続きを見る

 

鎌倉殿の13人

 

 

嫌われ者の景時もやった神判

源頼朝や源頼家に対して忠義に生きた不器用な梶原景時

 

明快な判決が出ればいいですが、実際はどちらの言い分が正しいか証拠が少なくて決められない事もあります。そのような場合には、神判と言い神様に判決を出してもらう事もあります。

 

方法は、被告と原告の双方が「神に誓って嘘は申しません」と書いた起請文(きしょうもん)を備えます。あとは神社に7日間籠り、この7日間に「鼻血が出る」「(からす)(とび)に尿をかけられる」「ネズミに着物を食いちぎられる」「飲食の時にむせる」「馬が倒れる」「親類に不幸が起きる」などがあると、偽りが神に見破られたとして敗訴になりました。

 

鎌倉殿の13人でも、上総広常暗殺に迷った景時が、双六に負け続ける広常を見て、これは天が広常を見放した印として殺害に及ぶ演出があります。

 

お湯に手を突っ込み火傷しなければ無罪?驚きの湯起請

湯起請(日本の裁判)
湯起請とは何?熱湯風呂の百倍過激な審判方法

続きを見る

 

北条政子

 

 

法的拘束力がない判決がなんで必要?

内容に納得がいかないkawauso様

 

しかし、ここで疑問が湧いてきます。法的拘束力がない鎌倉幕府の判決をどうして皆が欲しがったのだろうという事です。

 

言いっぱなしの幕府判決ですが、意味がない事はありません。いざ判決を実力で守らせようとした時に、幕府の判決があるとないでは味方する人間の数が大きく違うのです。

 

源義経に敗れた木曽義仲.jpg

 

敗訴した側に味方すると、幕府に盾突(たてつ)いた事になるので味方する者は少なくなり、逆に勝訴した側に味方する者は多くなります。腕力があるもの同士がぶつかる際は、幕府の判決はお墨付きとして効果があったのです。

 

つまり鎌倉幕府の判決は、自力救済可能(じりききゅうさいかのう)な強者同士がぶつかる場合にしか機能しませんでした。

 

なめられたら負け?サムライの誇り高さの秘密

鎌倉時代の侍(武士)
サムライが異様に誇り高い理由は?自力救済スペシャリストの真実

続きを見る

 

はじめての戦国時代

 

 

日本史ライターkawausoの独り言

朝まで三国志2017-77 kawauso

 

梶原景時は、侍所別当として刑事事件の判決を下していました。そのため、訴訟では、多くの御家人の味方をつけられないと無意味だと承知していました。だから、66人もの御家人が自分を訴えた時、もう勝ち目はないと悟ったのです。

 

梶原氏は決して弱い御家人ではありませんが、それでも66人もの御家人が合戦で敵にまわれば勝てないのは当然で、鎌倉殿である頼家が庇ってもどうしようもない事でした。

 

嫌われ者の梶原景時は、鎌倉時代の訴訟においては極めて不利だったのです。

 

鎌倉幕府の頂点、執権

北条時政
執権とは?将軍でも天皇でもない鎌倉幕府最高指導者の秘密に迫る【鎌倉殿の13人】

続きを見る

 

47都道府県戦国時代

 

 

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
カワウソ編集長

カワウソ編集長

日本史というと中国史や世界史よりチマチマして敵味方が激しく入れ替わるのでとっつきにくいですが、どうしてそうなったか?ポイントをつかむと驚くほどにスイスイと内容が入ってきます、そんなポイントを皆さんにお伝えしますね。日本史を勉強すると、今の政治まで見えてきますよ。
【好きな歴史人物】
勝海舟、西郷隆盛、織田信長

-鎌倉時代
-,