2023年のNHKの大河ドラマは徳川家康を主人公にした「どうする家康」です。徳川家康と言えば、昔から我慢の人辛抱の人とされ、その忍耐力は今川義元の人質であった幼少期から青年期に培われたとされてきました。
しかし、当時の人質を今と同じように考えるのは誤りで、むしろ家康は義元に大事にされた説もあるのです。
家康が今川家の人質になるまでの経緯
徳川家康は天文11年(1543年)に三河の大名、松平広忠と正室於大の方との間に誕生します。当時の三河は十八松平と呼ばれる松平一門が割拠して統一された行動が取れず、さらに東西を織田と今川という強力な戦国大名に挟まれ紛争が絶えない厳しい状態でした。
当主の広忠は、今川義元の庇護を受け、織田家とは敵対していましたが、正室於大の方の兄である水野信元が織田家に内応して今川から離反します。広忠は義元に疑われる事を恐れ、正室於大と離婚して実家に送り返します。この時、家康はまだ3歳でした。
家康が六歳になったとき、広忠は家康を駿府の今川義元の下へ人質に出す事にしました。ところが、駿府へ向かう途中、田原城で家臣の戸田康光が織田家に買収され、家康を織田信秀に売り渡してしまいました。
それから2年後、今川義元は小豆坂の戦いで織田信秀を破り人質交換で家康を取り戻す事に成功します。こうして家康は8歳で駿府に向かいますが、その間に父の広忠は病気で亡くなっていました。
本来家康は父の跡を継いで大名になる予定でしたが、義元はそれを許さず本拠地である岡崎城には今川氏の城代を置き、家康は人質として駿府にとどまる事になったのです。
家康の大ピンチ
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家康は人質時代に優遇されていた
この一連の流れを見ると、当時の松平家の弱さと大国の織田家、今川家に翻弄される悲惨な様子が浮かび上がります。ここから家康は幼少期から織田と今川の人質として不自由な生活を強いられたとする現在まで繋がる家康像が出来上がるのですが、最近の研究では、今川家の人質時代の家康は不自由どころか、戦国大名の基礎となる素養を与えられたとする見方が出ているのです。
家康の馬印
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今川義元は三河を任せるために家康を文武両面で鍛えた
広忠の死後に家督を継がせてもらえなかった家康ですが、当時の家康はまだ8歳でした。松平家は家康の祖父が家臣に殺害されるなど、大名とはいえ安心できるような立場ではなく、家康を岡崎城に置いても敵対勢力から身を守れるかは怪しいところです。
そこで義元は幼少の家康をお膝元の駿府に置き、自ら教育を施して成長させ、その後、時分で政治を執れるようになってから岡崎城へ帰す予定だったようです。今川義元は岡崎城には城代を置いたものの、安祥松平家で唯一の生き残りである家康の叔母、随念院を中核とした松平家臣団による政務を承認、三河を間接統治する方法を採用しました。
また、義元は家康に今川一門関口氏の娘である瀬名(築山殿)を与えて一門衆に準じる扱いを与えていましたし、自分の右腕と頼んでいた太原雪斎を家康の家庭教師としています。
こうしてみると至れり尽くせりの対応ですが、義元は別に底抜けのお人よしではなく、家康を一流の武将として鍛えて恩義を与え、西の織田家の防波堤しようと目論んでいたのです。
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義元死後も暫く今川家に留まる家康
家康も義元には恩義を感じていたのか、桶狭間で今川義元が織田信長に討たれた後も、しばらくは今川家の武将として留まり、織田信長と小競り合いを繰り返しています。
それでも結局、家康が今川家を見限るのは、義元の後を継いだ氏真が長尾景虎の関東侵入に忙殺され、三河の家康に援軍を送ることができなかったせいだと言われています。織田家は松平家にとって差し迫った脅威なので、それを救ってくれない今川家に家康が尽くす義理は無かったのです。
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日本史ライターkawausoの独り言
家康は今川家の人質でしたが、ただ軟禁されているだけの不自由な存在ではありません。むしろ義元は、三河を織田家に対する防波堤とする為に将来の松平家当主である家康を鍛えて、今川家の戦略に役立てようと優遇しました。義元としては、頼りになる駒として成長すればいいと考えていた家康ですが、義元が死んだ事で、家康は天下を手中にする一代の英傑へと成長したのです。
参考:
NHK大河ドラマ歴史ハンドブック「どうする家康」徳川家康と家臣団の時代 2023年1月5日 第一刷発行
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