最近は世の中の人の流れがどんどん変わってきており、東京に本社がある大企業が地方都市への移転を考えたり、地域の良質企業や名物社長に脚光が当たったりすることも増えてきております。そんな中、地域の戦国大名についても、今までとは違った視点で見直しが入ることになるかもしれません。
単純に「戦上手で領土を広げるのが巧かった」とか、あるいは「京を目指しており、あともう少し生きていれば天下を取っていた可能性があった」とか、そういった英雄伝説ではなく、「堅実に地元の人材を大切にし、地元都市の繁栄に尽力した」という、経営の才能で、各地の戦国大名が再評価されるようになるかもしれません。そんな中、私が特に推したい大名がいます。
もとは織田信長と同じ東海出身者ですが、縁あって北陸の大名として大成し、最終的には、今でも「百万石の都」として有名観光地にもなっている、金沢の礎を築いた人物、前田利家です。
なぜ、彼に着目するのか?
天下取りでは、秀吉や家康から一歩後退したところに位置づけられ、合戦上手ではあったものの、信長の桶狭間や秀吉の中国大返しのような伝説化されるような名場面を持っているわけでもない。
しかし調べれば調べるほど、前田利家とは近現代の経営センスを先取りしていたような堅実な人物であり、今生きていればきっと「金沢の名経営者」として、テレビやビジネス誌のインタビューが殺到していたはず、そんなモダンな人物として見えてくるのです!
前田利家が「地域の名経営者になり得た!」と思う理由を、ここでは三つ、あげさせていただきます!
【理由その1】地元の有力者をまるまる味方につける政策をとった
先ほど述べた通り、前田利家というのは織田信長の家来出身であって、もともとは北陸にゆかりのない人物です。そんな彼が金沢に入ったのは、織田家ならびにそれを継承した豊臣家の版図が拡がる中で、重要拠点である能登・加賀の領主としてこの地を抑えることを期待されてのこと。
古くからの地元民たちにとっては、「占領軍の親玉」がやってきたように見えたはずです。ところが前田利家のとった政策は、地元の有力な豪農たちをそのまま組織化し、無理なく各農村を管理させる方式、いわば、「もともとの有力者たちの既得権益をほぼ認めてやる」方法でした。
その上、『前田利家・利長』(平凡社/大西泰正著)という本によると、有名な太閤検地にしても、刀狩にしても、前田利家は必ずしも豊臣秀吉に指示されたやり方そのままを適用はせず、能登・加賀の状況にあわせた範囲での検地・刀狩制度を独自に適用したようです。
地元の有力者たちの心を掴み、守ってやるべきところは守ってやり、たちまち地元の支持を得てしまった手腕は、たいへんなものです。
いっけん当たり前に見えるかもしれませんが、前田利家のライバルである佐々成政が肥後でそうなったように、領主として派遣された先で、地元民の反乱や抵抗を受けて滅亡していった「オオモノ」たちもたくさんいる時代です。前田利家の成功は、実に鮮やかなものではないでしょうか?
関連記事:佐々成政はどんな人?戦国アルピニスト肥後国人一揆に泣いた武人の最期
関連記事:可児才蔵とはどんな人?貧乏くじ8人の主君を渡り歩いた「笹の才蔵」
【理由その2】そろばんができた
「え? そんなこと?」と言わないでください!
戦国時代において、「そろばん」というのは、まだまだ新奇なツール。戦国武将でそれを使える者などほとんどいなかった時代です。にもかかわらず、前田利家は、そろばんを使いこなしていた、と伝えられています。
どこかでこっそり、猛勉強したに違いありません。「これからはそろばんが重要な時代だ」と、殿様が率先して見せているようなその姿。現代でいえば、社長が自ら最新のITリテラシーを猛勉強しているようなものです。
実際、金沢のその後の経済的な繁栄を見れば、利家が「そろばん」に注目するような経営者センスの持ち主であったその伝統が、見事に江戸期に花開いたと言えるのではないでしょうか?
関連記事:関羽がそろばんの発明者というのはウソ?伝承の背景を考察してみた
関連記事:前田利家とはどんな人?槍片手にソロバン!知勇情兼備の猛将の生涯
【理由その3】現代金沢の「武家の町」気質が凄い!
三つめは、なんといっても、その前田利家の影響下に開かれた、「武家の町、金沢百万石」の現在の姿が、藩祖の偉大さを伝えていると言えることでしょう。
というのも「加賀百万石の都」である金沢は、『こんな会社で働きたい 石川編』(クロスメディアHR総合研究所)によると、以下のような特徴を持ち、全国から有力企業を呼び寄せているのです。
・公家の町ではなく、武家の町である。それゆえに、
・茶道をたしなむ人の割合が全国一位
・全国学力がつねに上位
・日展入選者数最多
・男女ともに働く意識が高く、共働き世帯の割合は東京都以上
・女性就業率は全国二位
このような背景を受けて、建設機械大手企業のコマツは、むしろ創業地である石川県への工場の「回帰」を推し進め、働く人たちにも優しい職場を目指しているとか。武家の町としての四百年の歴史を経てきた加賀のポテンシャルは侮れません!
関連記事:前田慶次郎は前田利家より年上のオッサンだった?中年二人のどうしようもない「かぶき対決」の顛末は?
関連記事:蜂屋頼隆は「ジモト仲間愛」人生戦略のモデル?信長時代の母衣衆仲間たちと運命をどこまでも!
戦国時代ライターYASHIROの独り言
いかがでしょうか。
「ここに書いてあることすべてが藩祖前田利家の手腕の影響である」となると、いささか「関係ないのでは?」と突っ込まれそうな点もありますが。はい、率直に申し上げまして、ライターである私自身、石川県が大好きなのです!
決して北陸生まれではないのですが、観光として金沢には何度も訪問しております。知れば知るほど、豊かな歴史と、人材のポテンシャルを感じさせる町です。この礎を築いた前田利家という人は、戦国武将というよりも、近代的な経営者として優秀な人だったに違いない!という想いが募っての、今回の記事となりました。
いずれにしましても、金沢は、良いところ。これまで「前田利家」という名前にいまいち惹かれなかった歴史ファンの方も、ぜひ一度、金沢を訪れてみて、「京都風でも江戸風でもない、こんな文化がきちんとはぐくまれていたとは!」と、前田家の存在感に触れてみてください!
関連記事:前田利家の逸話やエピソードは本当?かぶきものとして名高い喧嘩好き御仁
関連記事:『利家とまつ~加賀百万石物語』とはどんな内容?天下人と身近に接した前田利家