編集長はNHK大河ドラマ「どうする家康」が好きです。中々ぶっ飛んだ内容だけどキャラクターは造り込まれていて、わざとらしさがないし、忍者とか歩き巫女とか歴史の影の存在も上手く取り入れているよなー歩き巫女なんかフィクションだけど、なんて思っていましたが申し訳ない。歩き巫女は実在し、信康事件にも絡んでいたのです。
史料は三河東泉記
歩き巫女の記述が登場するのは、岡崎東泉記(三河東泉記)で元禄時代までに満性寺東泉坊の住職教山が記したものであるようです。その時点で戦国時代より百年が経過していますから一次資料ではありませんが、岡崎で記された史料であり伝聞とはいえ戦国時代当時からの言い伝えが残っているとは言えると思います。
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気になる内容は?
では、歩き巫女千代のモデルが出てくる部分を現代語訳してみましょう。
その節、甲州より口寄せ巫女が大勢来て、家々、村々を巡り口寄せをしていった。この時、武田勝頼が巫女を騙して月山(築山)殿の家来の下女に色々と賄賂を取らせて取り入り、次は下女から中間に取り入り、後には奥上﨟達にまで到達し、ここでも色々の金品を与えて取り入り、終には御前様(築山殿)にお目見えするまでになった。さらに御前様にも取り入り、折を見て若御前(信康)様に武田勝頼と同盟を結べば、あなたも御台所として盤石な立場となりましょう。
云々歩き巫女の口寄せとは、恐山のイタコのように死者の霊を呼び寄せてあれこれ話をする術です。戦国時代は戦乱続きで、若くして死んだ人や戦乱で突如として命を奪われた人が多く、口寄せには需要が一定数存在したのでしょう。だからこそ、歩き巫女はあまり怪しまれず、武田勝頼のような戦国大名のスパイになるケースもあったと考えられます。
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有名な歩き巫女、望月千代女
実際に戦国時代の信濃には信濃巫と呼ばれる人々がいて、最も有名な望月千代女は、このような歩き巫女を武田のスパイとして訓練したと伝わります。千代女はくのいちのルーツとも呼ばれていて、どうする家康では望月千代女と岡崎東泉記の歩き巫女の記述をベースに千代を作り出したと考えられます。
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千代は勝頼に騙される?
ひとつ気になるのは、勝頼が歩き巫女を騙して築山殿の説得に向かわせたという部分です。もしかすると千代は勝頼の真意を知らされずに築山殿の篭絡を命じられるのかも知れません。そうだとすると瀬名と千代は利害を超えて仲間のようになった所で、千代は勝頼の裏切りに遭い、築山殿は夫である家康に謀反人として処刑される悲劇の結末を迎えるのかも…
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日本史ライターkawausoの独り言
よく調べもしないで、歩き巫女の千代なんかいるもんかと決めつけるのはよくないですね。もちろん、ドラマそのままの姿が望月千代女だとは思いませんが、大河ドラマはちゃんと史料を調べて、フィクションに近い存在にも、それなりのリアリティを与えるのだなと再認識した次第です。千代の出番は今後減るどころか、信康事件に向けて増え続け、瀬名との絡みも増えてドラマでも印象深いキャラクターの1人になるかも知れませんね。
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