豊臣家(戦国)

豊臣秀頼は結局、誰の子供だったの?三成か治長かそれともいっそのことゴエモンか?

豊臣鶴松

 

豊臣秀吉(とよとみひでよし)が老年になってから、ついに授かった念願の跡継ぎが、悲劇の2代目こと豊臣秀頼(とよとみひでより)

 

それまでたくさんの妾をとっかえひっかえしてきたのに、秀吉起因と思われる理由での子宝の無さ。それが何十年も続いたあと、57歳という高齢になってから、ようやく淀君(よどぎみ)との間に授かった実子。秀吉自身もたいへんに喜び、溺愛ぶりといったらなかった様子。

 

たとえその秀頼が、体格ががっしりとした、現代でいう190センチの身長という、自分とはぜんぜん似ていない堂々たる青年に育ったとしても!・・・と、まとめればまとめるほど、ツッコミどころ満載な秀吉と秀頼の関係。

 

これで変なウワサが立たないほうがおかしい。

 

ついては、かなり昔から、

 

  • 実は石田三成(いしだみつなり)と淀君の間の、不義の子ではないのか?
  • いや大野治長(おおのはるなが)あたりが怪しいのではないか?

 

などの諸説が立っております。

 

しかしどうしても気になるのは、秀頼が最終的に、当時の平均身長からするともはや「異常値」レベルの巨体に成長したということ。これほどの長身の家系を探せば、もう少し「父親疑惑」の対象者は増やせるのではないでしょうか?

 

そう思いついたところで、今回は、まず旧来から疑いのかけられている三成と治長の「犯人説」をおさらいした後、より大胆な「第三の男」の存在を指摘してみたいと思っています!

 

三国志を楽しく語るライターYASHIRO様

 

多分に「妄想」も含みますので、マジメな歴史ファンの方、あまり目くじらを立てて怒らないでくださいね、とは、あらかじめ。

 

疑惑の再検証1:石田三成

自分に人望がないことに腹を立てる石田三成

 

秀頼の実父の疑いをかけられてきた一人目が、関ケ原で倒れた石田三成。たしかに、秀吉や淀君の近くで生活をしておりました。才覚もあるし、出世頭だし、何より権力を一手に握っていた。そのイケイケな時代に、淀君との間に何かの交流が生まれていた、という疑いをかけられやすいのは確か。

 

ですが、私個人の意見としては、石田三成説はかなり弱いかなと思っています。印象論にはなってしまうのですが、朝鮮出兵に関する庶務とか、関ケ原での戦い方を見るに、どうにも石田三成という人は「一本気な正攻法の仕事人」という感じがします。

 

6時間で決着がついた関ヶ原の戦い(石田三成)

 

仕事熱心でがんばっているうちに、むしろ周囲の人の心が離れていくタイプのような。何が言いたいかというと、男女の浮ついた話からとても遠いキャラのように思えるのですよね。秀吉に対するウラのない忠誠心も含めて、この人が不義を働くとは、どうにも思えません。

 

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疑惑の再検証2:大野治長

日本戦国時代の鎧(武士・兵士)

 

もう一人が、さらに淀君の近くに控えていた武将、大野治長。何よりも大阪の陣において豊臣方の中心に立って指揮を執り、大阪城落城とともに自害した人物です。

 

炎上する城a(モブ)

 

つまり、最後まで秀頼の側にくっつき、秀頼と一緒に死んだ人物。この情の篤さが、「もしや父親なのでは?」というウワサの根拠となっています。たしかに、いろいろな前後関係を見て、石田三成よりはずっと「あやしい」人物であることには違いないのですが。

 

麒麟 於牧の方(明智光秀の母)

 

ただ一点だけ、気になるのは、むしろこの人物が「最後まで豊臣方の中心だった」というところ。徳川の時代になってから、大阪側の主将たちはいろんな意味でキャラクターを貶められました。大野治長が「秀頼の父」というのも、徳川方による都合の良いフェイクニュース作戦の典型のような印象があり、うかつに信じてしまうのは、それはそれで怖いところがあります。

 

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【戦国風雲児の意外な素顔】
織田信長スペシャル

 

もしホームズやポワロのような名探偵だったらどこに着目するか?

小説を執筆するコナン・ドイル

 

三成か、治長か。この二者択一では、どうにもハナシが広がりませんよね。そこで一度、ゼロベースから、考え直してみましょうか。イギリスの探偵小説に出てくるホームズやポワロのように、「人間関係とか、ウワサとかをすべて無視して、客観的な証拠だけ」を探しましょう。

 

浅井長政(あざいながまさ)

 

この場合、客観的データとして、やはり気になるのは秀頼の身長。淀君側の血筋にも、浅井長政(あさいながまさ)という長身で有名な武将がいるわけですが、これもせいぜい180センチくらい。

 

となると、秀頼の父親は、淀君側の血筋すらも上回る長身、すなわち、

 

  • 190センチを超える巨体の武将だった
  • 秀吉や淀君と接する機会に恵まれていた
  • 秀頼が生まれた1593年の頃に、大阪京都一帯で活動していた

の三条件があてはまる男性となります。

 

そんな都合のいい人物はいませんよね?と、思っていたのですが、いたのです!三条件すべてに符号する人物が!

 

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石川五右衛門の怪行動と惨刑の理由は、まさか!?

名古屋城

 

それが世間を騒がせた大盗賊、石川五右衛門(いしかわごえもん)。宣教師たちの報告にもその処刑の場面が記録されているので、実在の人物と見られています。その身長は、伝えられるところによると、現代でいう200センチを超える大男!

 

しかも彼が活動していたのは、まさに1590年代の前半。最後には、大阪城に潜入し、秀吉の寝所にあと一歩で入り込むところまで迫ったと言います。そして刑死となるのが1594年。

 

まさか、この大阪城侵入事件の準備工作段階で、淀君との接近があったのでは?

時期的にも、体格的にも、石川五右衛門が実にあやしい!

 

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まとめ:ハイ、妄想と史実は区別しましょう

三国志ライター YASHIRO

 

と、ここまで整理をしてきましたが、「そんなわけあるか!」という非難が、ほうぼうから聞こえてきそうですね。ハイ、そうですね、調子に乗りました、失礼しました。

 

ミもフタもない言い方をするなら、けっきょく、

 

  • 大野治長がたしかに可能性としてはあやしい、
  • そうでなければ、ただ単に、やはり秀吉の実子が異常に体躯よく成長しただけで、そもそも何の疑問もないかもしれない

 

という当たり前な結論に戻っていってしまいます。

 

とはいえ、「ああだこうだ」と妄想を膨らませられるのも、戦国時代という古い時代の楽しさ。

 

あくまで個人の空想の中でなら、石川五右衛門説も掘り下げていって、

「イフ」を考えてみたら、どうなるか。

「もしそうだったら、どうなっていたか・・・」と、いろいろ夢が膨らみませんか?

 

いかがでしたでしょうか、五右衛門説は!

魅力を感じますでしょうか?

 

「やりすぎ!」と思われましたでしょうか?

「ムチャな論だが、妄想としては悪くない」と思っていただければ幸いです!

 

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はじめての戦国時代

 

 

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