唐突ですが、陣形ってかっこいいですよね。戦術、戦略を立て、陣をしき、時に強大な敵をも破る……更に言うならば、相手の戦い方に合わせて陣を変えて戦う……ロマンです!
誰しも一度は憧れるのではないでしょうか。今回はそんな陣形の一つ、鶴翼の陣のお話を、この陣形の弱点も踏まえて解説して見たいと思います。かっくよくね!(これが言いたかった)
この記事の目次
鶴翼の陣の強みとは……カッコいいだけじゃないぜ!
さて鶴翼の陣とは。敵を前方にして、Vの形となる陣形のことを、鶴翼の陣と言います。文字から分かると思いますが、鶴の翼の陣と書きますように、これは鶴が翼を広げた姿を意味する陣形となるのです。。
中央には大将、及び重要な将を置き、突っ込んできた敵を両翼で挟み込んで包囲殲滅を行うことが目的となります。広げた翼が閉じられていく様は、敵にとって脅威となることでしょう。
鶴翼の陣の弱点とは?中央突破は鍵となるのか?
この鶴翼の陣の弱点ですが、肝心要となるのが中央の部隊です。まあ開けている訳ですから、そこを敵が一気に突破してくることになるため、下手な部隊が中央にいると突破されて陣は破綻してしまうんですね。
そうなると一気に総崩れとなるため、中央の部隊には強さと固さが求められます。翼が閉じ切るまで、中央部隊は敵を引き付け、突破されない強さが求められる訳ですから、ここに総大将を置いておくとなると、その人物の指揮能力が求められることになる訳です。
鶴翼の陣の弱点は、中央だけに非ず!
もう一つ、鶴翼の陣の弱点があります。それはどうしても幅広く陣を布くために、各部隊が薄くなってしまうことです。このため相手の数が多いと各個撃破される危険があります。また中央の部隊は左右の部隊に挟まれているのである程度の救援は可能ですが、V字の両方先端部分、ここの部隊に何かがあっても他の部隊は救援がしにくく、部隊の連携能力の高さも求められる陣形とも言えるでしょう。
あの歴史の転換期にも、この鶴翼の陣は用いられた
では鶴翼の陣の例題として、ある戦いをご紹介しましょう。この鶴翼の陣が用いられた戦いの一つが、関ヶ原の戦いです。この戦では石田三成率いる西軍、徳川家康が率いる東軍がぶつかり合うこととなりました。
そして石田三成が用いたのがこの鶴翼の陣です。この際に西軍は八万、東軍は七万四千ほどの兵力とされ、兵力差はそこまでありませんでした。しかし西軍は高所を押さえることで鶴翼の陣の強みである、包囲殲滅の勢いを付けることで勝利を掴もうとしたのです。
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中央、左翼、右翼、その全てに抜かりはなかった!
さて西軍を率いたのは石田三成ですが、その鶴翼の陣の中央は名将、大谷吉継が固めていました。その左右に広がる翼の一翼、大谷吉継を中央にして左側の翼を担うのが、石田三成、及びその腹心である島左近。
更に高所を抑えた右側の翼には、毛利吉川小早川が陣取っています。これが関ヶ原の戦いにて西軍が用いた鶴翼の陣。もはや徳川家康に逃げ場なし!
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両翼はためく事なく、既に片翼は落ちていた
……さて、感の良い……というか、関ヶ原の戦いを知っている皆さんならこの後に何があるかはご存知でしょう。この戦闘は、戦いが始まる前から決まっていたとされています。徳川家康は西軍の鶴翼の陣に対して、▲の陣形である魚鱗の陣で戦います。これを大谷隊が受け止めている間に、石田、及び小早川、毛利吉川による包囲網が出来上がるはずでした。
しかし、諸説あるものの既に毛利吉川小早川は徳川家康に内応していました。毛利、吉川は動かず、小早川陣はそのまま大谷隊に攻め寄せ、これ自体は警戒をしていたものの大谷隊は崩壊、そしてそれは西軍の敗北に繋がっていくこととなるのでした。鶴翼の陣、それは片方の翼がはためく前にもがれることも弱点の一つだったようで
す。
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実はあんなとこでも使われていた鶴翼の陣
最後にもう一つ、戦国時代に使用された鶴翼の陣の戦いを。それは武田信玄が上洛の際、家康の領内を通過しました。武田信玄が率いる隊は強大であり、戦力に劣る家康は城を枕に討死を覚悟するも……何とスルー。
怒った家康は血気に逸り、鶴翼の陣で武田の背後を突くも、逆に信玄に大きく打ち破られることになるのです。そもそもとしてこの戦いでは家康は信玄に兵力差を大きく付けられていたので、未だ若い家康の失態とされるのですが……。
実は兵力差は大きくとも、家康は背後を取った上で高所を抑えて勢い付かせていた。また武田隊は遠征してきたということもあり、兵力は多くとも披露していた。これらの二点から勝利を掴めると考えていた可能性もあり、きちんと家康も弱点は補っていたと思われます。まあ最大の弱点というか、敵の強みが「総大将が武田信玄」ということだったのは、不運でしかないのですけどね。
戦国ひよこライター センのひとりごと
今回は鶴翼の陣を、拙いながら解説……コホン。鶴翼の陣を、かっくよく解説させて頂きましたが、どうでしたでしょうか!?(ダ・カーポ)面白いのは鶴翼の陣で敗れた徳川家康が、その鶴翼の陣を打ち破る形で勝利しているということです。
どんな陣形でも、確実な勝利というものはありません。正に天の時地の利人の和、それで戦の勝敗が決まるということでしょう。きっと多くの戦にも絶対とはなかったのだ、そう思うと、多くの軍略家がなぜ求められたのか。それが少しだけ分かったような気がします。