歴史上の人物で1,2を争うほど有名で人気のある坂本龍馬。日本の未来のため、薩摩藩と長州藩の仲介をし、新時代の日本の基礎を作ったといっても過言ではないほど、様々な功績を残しました。
そして、龍馬自身は剣術修行を行っており、剣術の達人でもあります。そんな偉大な人物ですが、龍馬にも知られざる逸話があるのです。今回は、坂本龍馬の逸話について紹介していきます。
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この記事の目次
坂本龍馬の幼少期の逸話
新時代の日本を気り開いた龍馬ですが、実は少年時代は落ちこぼれだったという説があります。子どもの頃の龍馬は甘えん坊で泣き虫だったそう。さらにはいつまでたっても鼻を垂れ流しており、13歳頃まで寝小便も治りません。
12歳で楠山庄助の塾に通い始めましたが、いじめにあって塾を退学するほど気弱でした。そんな龍馬をすぐ上の姉「乙女」は積極的に鍛えたそうです。ですが、剣術友達である武市半平太の家に遊びに行き、帰るとき玄関の門に向かって立ちションをする癖は治りませんでした。
そして、龍馬は末っ子特有の可愛さがあり、女性にもモテていました。
坂本龍馬の魅力について編集長が7分で語ります!
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激動の幕末維新を分かりやすく解説「はじめての幕末」
坂本龍馬は妻のお龍より姉の乙女と文通をしていた
乙女は龍馬より3歳年上であり、男勝りな性格をしていて、龍馬がいじめられて泣きながら帰ってきたときは「それでも男かね!」と悔しがっていたそうです。龍馬にとって乙女は良き理解者であり、母の幸の死後は母親を務めるなど強固な信頼関係が結ばれていました。そのため事あるごとにお龍より乙女に事情を伝えていました。
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坂本龍馬は実はADHDだった!?
龍馬はADHD(注意欠陥・多動性障害)だったという説があります。ADHDは注意力が散漫になりがちで多動性・衝動性、過集中が主な症状です。現代の医師たちも坂本龍馬ADHD説を考察していますが、真偽の程は定かではありません。
しかし、脱藩を繰り返して組織に馴染めなかったり、遠慮がなく人の話を聞かない、剣術では二つの流派で免許皆伝を得るなど過集中の傾向があり、ADHDだった可能性も考えられます。
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坂本龍馬は性病持ちだった!?
幸徳秋水が執筆した「兆民先生」のなかに「(龍馬は)梅毒のために髪が後退して額が広くなった」という記述があり、性病を持っていたという説があります。幕末は確かに梅毒が流行っいていましたが、梅毒の脱毛は頭皮の一部または、全体的に脱毛が起こります。
なので龍馬の髪の後退は単なる若ハゲによるものの可能性が高いでしょう。ですが、幕末の時代は夫婦以外の性行為に対する罪悪感が薄かったこと、龍馬は女性にモテていたと言われているので、性病に感染していたと言っても不思議ではないかもしれませんね。
また、作家である司馬遼太郎は、「竜馬がゆく」のなかで「竜馬の持病は、マラリアである。土佐は南国だからこの病を媒介する蚊が多い。竜馬は子供のころにかかって、ずっとこの持病になやまされている」と書かれています。
ですが、これを裏付ける証拠は残っていないので真実化は定かではありませんが、「維新土佐勤王史」のなかで持病のために長府かなや町の開業医・田原先生を受診し、17日安静にすれば治るとの記述があり、もしかすると、その持病がマラリアなのかもしれません。
坂本龍馬はアルコール依存症だった!?
豪快な性格の龍馬ですが、お酒の方も豪快だったようで、お龍が「龍馬の酒量は量りかねます」という言葉を残していることから、お酒に強くお酒が好きだったことが窺えます。龍馬は毎日1升5合も飲んでいました。そのことからアルコール依存症だったとしても不思議ではありませんね。土佐では、酒豪、快男児、ガンコ者、気骨のある男を「いごっそう」と持ち上げていました。
坂本龍馬はお龍にベタ惚れしていた
日本初の新婚旅行をしたのはこの二人です。よく手紙で、「平和になったら日本を巡ろう」と書いており、彼女を愛していました。お龍も再婚後もお酒に酔った時、「私は龍馬の妻だ」と口にするほど。二人の結婚生活は2年弱でしたが、大切な思い出として残っているのでしょう。
坂本龍馬が写真で左手が隠れている理由
龍馬の写真で左手が隠れている写真があります。これは寺田屋事件により、幕府伏見奉行の配下に襲われたときに左手を負傷したからだという説があります。傷は深かったようで、左手の人差し指は曲がらなくなってしまったそうです。
参考:高知県立坂本龍馬記念館
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