さて、今回は大河ドラマ「鎌倉殿の13人」について。それも特に「変わらぬ人」の大きなネタバレを含む内容、それを含めての感想と筆者の個人的な嘆きが大部分となります。色々と衝撃的すぎて視聴後、暫く呆然としてしまった回ではありますが、この機会にまとめてみたく書いてしまいました。
読者の方々には、どうぞお付き合いをお願いしく思います。
この記事の目次
義高の面影を振り切り入内する大姫
お話は主にずっと続いている重苦しい所から。冠者殿……許嫁だった義高を忘れられずにいた源頼朝、北条政子の娘である大姫は、入内することに。ここで入内をすることにもかなりの決意があったと思うのですが……一視聴者としては、どうか大姫の前途が少しでも明るくなるようにと願うばかり。
まあ歴史では結局入内せずに亡くなるという無慈悲が確定しているのですが。
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丹後局にボロクソ貶される政子と大姫
ここで歴史の記録同じく、大姫と北条政子は丹後局と面会します。この面会がどのようなものであったかは、後世を生きる私たちには分かりません。
しかし大河ドラマではしっかりと演出が。それも鈴木京香さんが演じる丹後局は、美しくも恐ろしく、圧倒される権威と、そして宮中を生き抜いてきた女性と言う凄みのスパイスを利かせた嫌味と蔑みの嵐が大姫と政子を襲います。これに圧倒され、大姫は再び病に倒れてしまうことに。
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丹後局はただ嘲っただけではなかった
さて、演技とは言っても恐ろしさを感じずにはいられない場面でした。大姫や政子の方から見ると、何とも嫌な女性に見える丹後局。しかしそこにも、演出が加えられていたのではないかと思います。
丹後局は帝の後宮を生き抜いてきた女性、それこそここがどこよりも恐ろしい場であることは百も承知。そこで大姫が生きていくとなれば、丹後局がぶつけてきた悪意以上の澱みが彼女を襲うことでしょう。だからこそ丹後局は、ここがどういう所か教えておくためにも、心構えをするためにもあのような態度を取ったのではないかと思います。
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自分の本心と向き合った大姫は死を選ぶ
しかし、結果として大姫は耐えられなかったのです。そして大姫はそのまま衰弱、再び病に倒れる娘を心配する母・政子。どうにか快癒して欲しいと思うのは当然の思いでしょう。そして好きにしていいと言われた大姫は……
「死にたい」
と。どうして!叫び、そりゃそうだろ!とも叫びました。きっとずっと大姫はそうしたかったのでしょう。そして大姫はその言葉通り、許嫁の元に旅立つことになりました。
頼朝の悲しみは流罪にした弟範頼に向かう
当然ながら大姫の死は、母親である北条政子だけでなく、父親である源頼朝もショックを受けます。子を失う嘆きと哀しみは万国東西共通。ましてや20歳と言う早すぎる死は、その原因を恨みたくもなろうというものです。
そこで頼朝が出した結論は、先に自分が追放した実の弟の呪詛。もはや狂気、自分のエゴが娘を殺したと思いたくないがための生贄にすら見える。既に狂っているとしか思えない、鎌倉殿の姿よ。
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狂っていく夫と守れなかった大姫への後悔と
狂気に陥る夫と、その夫の妻として強くあらねばならない政子の対比。本来ならば愛娘の死を唯一嘆き合って哀しむことができる存在が、あんな姿でいるということは、どれだけ政子を追い詰めたでしょうか。
大河ドラマにおける北条政子は、決して最初から強かった訳ではありません。ではその政子がこれから強くなっていく、下手をすると鎌倉最強の人物、とすら揶揄されるようになるのはどこからか、というと、筆者今回からではないか、と思いました。
自分は、強くならなければならない。北条政子が誰よりも強く成ろうとしたのは、もしかしてこの瞬間であったのかもしれません。
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鎌倉最強の女となり悲劇を繰り返すまいと誓う
北条政子が鎌倉幕府で最強と揶揄されるのは、まずは立場。結果的に実権を握った姿。更には時に身内すら切り捨てる様。まあそれから浮気を許さなかったとか妾へのうわなり打ちとか。
そう言う要因が絡んでのものと思いますが、もしかしたらドラマのような一幕があったのではないか、とそう思わせてくれる良い脚本でしたね。北条政子は最強であったのではない、最強とされるほどに強くならねばならなかった。それを考えて、どこか寂しくもなった回でした。
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鎌倉ひよこライター センのひとりごと
今回は触れませんでしたが、頼朝の弟である源範頼について、実は追放され、幽閉されてからはどうなったかは歴史にははっきりと記録されてはいません。このため実は生きていた、落ち延びることができた、という説もあるのです。
なのでそれを知っている多くの視聴者が「蒲殿助かった!?」と一瞬安堵して……そこからの結末。大姫の回といい、政子の決意といい、頼朝の狂気といい、本当に盛りだくさんな鎌倉幕府13人。変わらぬ人。哀しくも面白い話でした。ちゃぷり。
参考:吾妻鏡
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