NHK大河ドラマどうする家康13話は「家康都へゆく」です。信長が足利義昭を奉じて上洛するのに従う家康ですが、嫡男の信康と結婚した信長の娘五徳姫は喧嘩が絶えません。その喧嘩を仲裁するために、家康は京都で南蛮のお菓子であるコンフェイトを買って来る約束をしました。このコンフェイトは現在の金平糖ですが、現在でも製造に1ヵ月もかかる手間暇が必要なお菓子ってご存知ですか?
戦国時代にポルトガルから伝来したコンフェイト
コンフェイトは「造られたモノ」と言う意味で、元々、植物の種子を芯にして砂糖の層で幾重にもコーティングした糖菓子です。どうしてポルトガルで砂糖菓子が発達した理由は、大航海時代の西暦1500年に南米ブラジルを獲得しサトウキビをマディラ島など大西洋東岸の島々から移植しインディオを奴隷として使役し砂糖プランテーションの経営を始めたからでした。
日本には戦国時代の天文年間に伝来し、永禄12年(1569年)に織田信長と二条城で謁見した宣教師ルイス・フロイスはロウソク数本とフラスコに入ったコンフェイトを献上したそうです。時期的に信長が上洛して1年後なので、家康が京都でコンフェイトを求めたとしても違和感はありません。
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製法が難しく高価だったコンフェイト
コンフェイトは小さな菓子ですが、戦国時代には製法が非常に難しい職人技を必要とするお菓子で、天皇や高級貴族しか食べられない貴重品でした。現在はかなり機械化され大量生産していますが、それでも製造自体は伝統的なもので傾斜をつけた回転釜の中に砂糖の結晶を投入し、それから熱した砂糖蜜を少しずつ上からかけていきます。
突起がついたきれいな金平糖になるまでには1ヵ月もかかり、工場内の気温や回転釜の温度、傾斜角度と回転速度、糖蜜の量などを職人が判断しながら作り上げます。あんな小さな金平糖ですが完成するまでには1ヵ月もかかるなんて驚きですね。
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信長が愛したコンフェイト
織田信長は短気で狂暴なイメージに似合わず、お酒はあまり飲めず、逆に甘いものが好きでした。特に美濃の名産である干柿が大好きで、自分でも食べ部下にもプレゼントしていたとかで、ルイス・フロイスもコンフェイトへのお返しなのか、干し柿を一箱与えられています。
甘いものが好きな信長は食べるだけに留まらず、自分でも麦や米、そば粉を煎って蜂蜜で固めたシンプルな和菓子「ふりもみこがし」を手作りして家康をもてなした時にデザートとして出していたそうです。
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外交の武器になったコンフェイト
コンフェイトは、当時、砂糖がほとんど手に入らなかった日本人にとって驚くほどの甘さを持つ嗜好品でした。また、コンフェイトは透き通る色をしていて宝石のようであり、見た目も高級感があるので、ポルトガルが日本の富豪や上流階級への贈答品として関係を深めるのにも最適なアイテムだったのです。
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日本史ライターkawausoの独り言
今回は、どうする家康、第13回の核となる南蛮菓子コンフェイトについて解説しました。どうする家康は登場するモノに意味を持たせる事が多いのですが、コンフェイトは完成までに1か月を必要とする事から、五徳姫と信康が経験を積み重ねてお互いを気遣いよい夫婦になるようにと思いを込めているのかも知れません。
しかし、同時にコンフェイトは一度製法を誤ると二度とキレイな結晶にはならない繊細なお菓子でもあり、それはやがて関係が破綻する信康と五徳姫の将来を暗示していると考える事も出来ますね。
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