縄文時代の食べ物とは?縄文的生き方は意外と豊かな食生活だった

31/03/2023


 

コメントできるようになりました 織田信長

縄文人

 

縄文時代とは今から1万6千年前から3000年前まで続いた、と言われている時代です。縄文時代の特徴としては特殊な形をした「縄文土器」やそれまで狩猟中心の社会から徐々に植物栽培に移行していった時代でもあります。

 

大きな変化のあった縄文時代ですが、人々はどんな食べ物を食べていたのでしょうか。今回の記事ではそんな「縄文時代の食べ物」について調べてみましょう。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

姉妹メディア「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

yuki tabata(田畑 雄貴)おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、姉妹メディア「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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季節による縄文時代の食べ物

どんぐりを食べる縄文人 kawausoさん風

 

縄文時代は当然、今と違って1年中同じものを食べられる時代ではありませんから、季節によって食べ物は変わりました。春は植物が収穫できる季節で、縄文時代は野山で「フキ」や「カタクリ」など「山菜」を収穫していました。

 

また、海辺で貝などを収集して、煮て干すという過程で「保存食」として利用していたと考えらえています。夏は植物の花が咲き、食べにくくなるため、「魚」を中心に食べていて、「ハマグリ」「カツオ」などが食べられていたようです。

 

秋は「栗」「どんぐり」「トチ」など「木の実」を採集し、「あく抜き」して食べるとともに、冬を越すための「保存食」としていました。冬は秋までに収穫したもので乗り越え、動物(鹿、猪)を見つけ次第狩ってその肉を食べていたようです。

 

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縄文時代の食べ物の入手方法は?

縄文土器を持つ縄文人 kawausoさん風

 

縄文時代の食べ物は主に「自然の恵み」頼りでした。狩猟により動物の肉を手に入れたり、山などで山菜を収穫、海や川で漁をするなど、食べられそうなものはとりあえず手に入れて食べていたようです。「稲作」など食べ物を栽培し始めたのは縄文時代後半と言われています。

 

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どんな「肉」を縄文時代は食べ物としていたのか?

 

狩猟中心の生活から徐々に脱していた縄文時代ですが、動物の肉はまだまだ重要な食べ物でした。どんな動物を食べていたかというと、「鹿」「猪」を中心に食べていたと考えられています。

 

縄文時代の遺跡からは鹿や猪の骨が多く見つかっており、縄文時代の肉と言えば半分くらいは鹿や猪だったと推定されます。他には「タヌキ」「ノウサギ」など、人間の近くに住む動物は狩猟の対象となっていました。海のある地域では「トド」や「アザラシ」の肉も食料としていました。

 

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どんな「魚」を縄文時代は食べ物としていたのか?

 

植物が食べられず、動物もあまりいない季節は「漁」が縄文時代の食べ物を得る手段でした。夏は海から「カツオ」「マグロ」、秋は川で「サケ」「マス」などを漁で捕まえていました。70種類以上の魚を食べていたと推定され、「フグ」の毒の抜き方もすでに知っていたと言います。

 

縄文時代の食べ物の調理方法は?

 

せっかく採ってきた物も、そのままでは食べることはできませんので、縄文時代から「調理」はしていました。縄文時代以前から「焼く」「燻す」という料理方法はありましたが、縄文時代には「煮る」という調理方法が発達しました。それには「縄文土器」が大いに活躍し、それによって縄文時代の食生活は劇的に変化したと考えられます。また、木の実などの粉を混ぜて焼き、「クッキー」のようにして食べることもできました。

 

 

 

 

縄文時代の食べ物の保存方法は?

 

季節に左右されやすい縄文時代の食べ物ですが、「保存」してできるだけ長く食べるような工夫も考えられていました。「木の実」は穴を掘って「貯蔵庫」を作ってそこに蓄えたり、「土器」に蓋をしてそこに保存したりしていました。

 

「どんぐり」など「あく抜き」が必要な植物は地下水が流れている所に穴を掘り、そこに埋めることによってあく抜きをしていました。動物の肉は干したり、燻したりして保存していたようです。

 

 

縄文時代の食べ物の残りかすはどのようにしていた?

 

なんでも利用した縄文時代ですが、それでも食べ物の残りかすなどゴミは出ます。縄文時代には現在では「貝塚」と呼ばれるゴミ捨て場がありました。

 

「貝塚」という名前はそこから多くの貝殻が見つかることによって名付けられたのですが、「貝塚」からは動物などの「骨」や土器などの破片、そして人骨なども見つかっています。このことから「貝塚」は縄文時代の生活を知る、貴重な遺跡となっています。有名な貝塚は「大森貝塚」で明治時代に東京都の品川区で発見され、縄文時代の研究に大いに役に立ちました。

 

 

日本史ライターみうらの独り言

みうらひろし(提供)

 

縄文時代は「食べ物」について食べ方から保存方法まで飛躍的に技術が向上した時代であることがわかりましたね。殆どが現在にも通じる技術や食べ物であり、当時の人の発見には感謝したいものです。

 

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日本史で好きなところは一つの「決断」が大きく世の中を変えてしまうことでしょうか。そんな中でも「決断」にミスをしても、その後復活したりする人物には尊敬をかんじますね。自分もミスしてもあきらめずに過ごしたいものです。
好きな歴史人物:長宗我部盛親、立花宗茂

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