NHK大河ドラマ「どうする家康」本能寺の変がかなり迫ってきました。今回の大河の明智光秀は嫌なヤツのイメージが続き今後もイメージ回復はなさそうで、やはり麒麟は来ないようです。
それは、さておき本能寺の変直前、明智光秀は徳川家康を殺そうとしていたという説があります。今回は明智光秀による徳川家康暗殺説を紹介します。
この記事の目次
織田信長の極秘命令 家康を討て
では、明智光秀による家康暗殺説について簡単に解説します。
天正10年、長年の宿敵武田勝頼を滅ぼした織田信長は、家康の招待で富士遊覧旅行をしています。家康の接待は至れり尽くせりで信長は上機嫌になり、今度はお返しとして安土に家康を招待するとしました。ところが、これは信長による徳川家康暗殺の布石でした。信長は家康の接待役として明智光秀を選ぶと同時に上方見物をしている家康を殺せと命じたのです。
こちらもCHECK
-
明智光秀が家康に腐った魚を出したのは事実?【どうする家康】
続きを見る
武田が滅んだ今、関東最大の脅威は家康
では、どうして信長は家康の暗殺を光秀に命じたのでしょうか?
大河ドラマをご覧の皆様はご存じでしょうが、武田が滅び東海でも最大の勢力になった徳川家康が信長は邪魔になったというわけです。
こちらもCHECK
-
武田勝頼は家康に長篠城を奪われて覚醒し強敵となった【どうする家康】
続きを見る
光秀は信長の命令を逆手に取り本能寺を奇襲
しかし、信長の命令を受けた光秀も一筋縄ではいかない曲者でした。表面上は家康を討つ為に信長から大軍を預かりながら、僅かに100名あまりの供で本能寺に宿泊している織田信長を襲撃したのです。哀れ織田信長、策士策に溺れるの譬え通り、信じていた重臣、明智光秀に裏切られあえない最期を迎えます。
信長を討った光秀は信長の盟友である徳川家康も討とうとしますが家康は、明智光秀謀反の情報を同郷の茶屋四郎次郎から入手して、すでに逃げる態勢になっていて九死に一生を得ました。
こちらもCHECK
-
明智光秀とはどんな人?本当に上品だけど嫌味な人物なの?【どうする家康】
続きを見る
明智の兵は家康を討つものだと思い込んでいた
明智光秀は徳川家康暗殺を命じられていた?この説の根拠としては、明智軍の足軽として従軍していた武士が後年に書いた「本城惣右衛門覚書」に出てきます。それによると本能寺の変直前、明智軍の兵士は自分たちが信長を討ちに向かっているとは夢にも思わず、きっと徳川家康を討つのだろうと思い込んでいたと語っています。
こちらもCHECK
-
もし明智光秀が山崎の戦いで勝利していたら歴史はどうなっていた?
続きを見る
明智光秀、徳川家康暗殺説の信ぴょう性は?
では、この織田信長から明智光秀に家康暗殺命令が下された説には信ぴょう性はあるのでしょうか?簡単に言ってほとんど信ぴょう性はありません。織田信長が徳川家康を邪魔に思っていたとする1次史料はなく、また常識的に考えても関東には小田原北条氏のような強大な大名が残っています。
織田信長が家康を排除すれば、小田原北条氏が駿河、遠江、三河領有に動き出すのは間違いなく、信長にメリットはないのです。また、明智軍の足軽の証言についてですが、当時信長配下の有力な大名は全て出払って京都になく、討伐できそうな大名は堺見物をしている徳川家康ぐらいでしたので、そう考えたというだけに過ぎないようです。
こちらもCHECK
-
織田信長は第六天魔王と名乗ってない?フロイスの聞いた噂が魔王信長と由来になった
続きを見る
明智光秀が家康を逃がすつもりはない
もっとも、信長から家康暗殺命令を受けていなくても明智光秀が徳川家康を逃がすつもりはなかったでしょう。光秀から見れば家康は織田信長の強力な同盟者であり、放置しておいてよい相手ではなかったのです。
こちらもCHECK
-
地方戦国大名好きの方必見!最近の説が示す「本能寺の変の黒幕」に四国のあの人が急浮上!
続きを見る
日本史ライターkawausoの独り言
今回は、明智光秀が本能寺の変後、徳川家康を殺そうとしていた説について解説しました。ネタバレになるので多くは言いませんが、今回の明智光秀は土壇場でよい人になる設定はない模様です。そういう底意地の悪い光秀なら信長を討ったついでに家康を殺そうとするのは、大いにあり得るかも知れません。
こちらもCHECK
-
織田信長の遺体はいったいどこへ消えたのか?あり得たかもしれない光秀と信長の「再開」を妄想してみる
続きを見る