国の未来を考え、縦横無尽に駆け抜け、新時代の日本を切り開いた一人である坂本龍馬。彼の活躍が無ければ今の日本は存在しなかったといっても過言ではありません。自らの信念を貫き活躍する様はまさにラストサムライ。
そんな坂本龍馬ですが、子孫は今も存在しているのでしょうか?
何代目まで続いているのでしょうか?
坂本龍馬のように行動力があり、国のために奔走する方なのでしょうか?
今回は坂本龍馬の家系図や末裔、坂本龍馬の祖先についてご紹介していきます。
坂本龍馬の家族構成
まずは坂本龍馬の家族構成を確認していきましょう。
父 坂本直足(八平)
母 幸
長男 直方
長女 千鶴
次女 栄
三女 乙女
末っ子 龍馬
父、母、5人きょうだいの7人家族で、龍馬は末っ子になります。ちなみに幸は、長男である直方を産んだのは10代だったのに対し、龍馬を産んだのは40代だったそうです。ハイリスクと言われている40代で子供を産めて、喜びもひとしおだったでしょう。幸は龍馬が10歳の時に亡くなってしまいます。
坂本家は幸しか子供がいなく、婿養子として直足を養子に迎えました。父親の直足は土佐藩の下級武士(郷士)です。直足は武芸に優れ、槍は免許皆伝をもらうレベルの実力だったそうです。
直足は19歳になる龍馬を剣術修行で江戸へ送り出す際、「修行中心得大意」という訓戒書を渡します。
訓戒書には、
- 忠孝の気持ちを忘れずに修行を第一にすること
- 道具ばかり買って、無駄遣いしないこと
- 色恋にうつつを抜かし、国の大事を忘れるような心違いをしないこと
この3つが書かれています。
龍馬はこの訓戒書を生涯お守りとして大切にしていました。尚修行中心得大意は、現在京都国立博物館に保管されています。
関連記事:坂本龍馬は本当に剣術の達人だったの?龍馬の剣術修行の道のりとは?
関連記事:坂本龍馬の教科書には載らない伝説
激動の幕末維新を分かりやすく解説「はじめての幕末」
坂本龍馬の直系の子孫はいない
坂本龍馬は1864年にお龍という女性と結婚しますが、31歳の若さで亡くなったため、子どもはいませんでした。なので、龍馬の姉である千鶴の息子「直」を養子に迎えましたが、それでも5代目で途絶えてしまっています。よって現在龍馬の直系の子孫はいないとされています。
関連記事:日本の未来を切り開いた坂本龍馬は実はADHDだった?龍馬の知られざる逸話
関連記事:坂本龍馬は何をしたの?どんな功績を残したの?亀山社中、海援隊、薩長同盟、大政奉還など一挙紹介
坂本家を継ぐ子孫は生きている
兄である直方の家計は、千鶴の次男である「直寛」を養子として続いています。直方の子孫は現在北海道に移住しています。坂本家の家計の中で著名な方に、画家の坂本直之が挙げられます。直之は北海道で有名な「六花亭」の包装紙のデザイン担当していました。現在の坂本家の子孫は坂本登氏が継承しています。偉大な人物の兄の家系をこれからも守っていって欲しいですね。
さて、先ほど坂本家の子孫は北海道に移住したと言いましたが、なぜ出身地の高知県や京都府ではなく、北海道なのでしょうか。龍馬は現在の北海道にあたる蝦夷地開拓を構想していました。そして龍馬の亡き後、甥である直は龍馬の意思を継いで蝦夷地経営に関する所を明治政府に提出しました。
ですが、キリシタンだったことを理由に免職。仕方なく、東京で官公庁で職を転々とするも、同じ理由で長くは続きませんでした。北海道へ移住するようになったのは5代目である直寛からになります。
関連記事:坂本龍馬はスパイ?それとも英国の手先?龍馬暗殺の謎についても迫る
関連記事:ボンビーだった坂本龍馬はどこからお金を調達した?図々しい事実
坂本龍馬の11代目の子孫が健在
なんと坂本龍馬の子孫は2021年現在11代目まで続いています。11代目は坂本龍哉さんであり、2017年の時取材を受けており、中央大学の法学部の学生だということが分かっています。取材で龍哉さんは「優しい法曹人」を目指すと言っていたそうです。
関連記事:坂本龍馬と渋沢栄一、ビジネス好き2人の運命を分けたのは何?
坂本龍馬の祖先は明智光秀?
実は坂本龍馬の祖先は明智光秀ではないかという意見があります。龍馬の祖先である才谷直海は、郷士となり名字を名乗ることを許された際、明智家とのつながりをもとに坂本城から坂本という名字をつけたという説があります。
また家紋が明智家と同じ桔梗紋であることからも噂が囁かれたと思われます。しかし、明智光秀を含め、光秀の子孫も土佐を訪れた記録もなく、明智光秀の末裔である可能性は低いでしょう。龍馬の仲間の維新志士たちが明智光秀の子孫に違いないと思いたかった説があるようです。
明智光秀は織田信長を謀反で討ち取っており、龍馬も打倒江戸幕府に向けて何かやってくれるだろうという期待がったのかもしれません。
参考:坂本龍馬の子孫 第11代は法学部2年生(YOMIURI ONLINE(読売新聞)
関連記事:信長の親衛隊「馬廻衆」はなぜ本能寺を守れなかったのか?結果として完璧な段取りだった明智光秀のクーデタ
関連記事:信長殺しの真犯人は誰だったのか?あえて本格ミステリー小説のノリで考えてみた