【幕末雑学】徳川慶喜をストーンウォールで逃がす

22/07/2021


監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

姉妹メディア「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

yuki tabata(田畑 雄貴)おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、姉妹メディア「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


徳川慶喜

 

徳川慶喜の助命が新政府軍に通らなかった場合の措置として勝海舟は慶喜を甲鉄艦ストーンウォールでイギリスに逃がすつもりだったようです。

 

チャールス・リチャードソン(英国人)

 

ストーンウォールの提督キッペルとも話をつけ、イギリス公使のハリー・パークスとも打ち合わせ。いざ慶喜切腹という時は、2人で黒い法衣を来て慶喜をイギリスに亡命させる手筈だったそうです。幸いにして慶喜は助命されましたが、もし、亡命していたら徳川歴代将軍で唯一亡命し海外に渡った将軍という肩書が増えていたでしょうね。面白いのは幕府と友好的だったフランスじゃなくてイギリスという点ですがイギリスは立憲君主国なのでアリエナイ話ではないですね。

 

参考文献:海舟座談

 

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日本史というと中国史や世界史よりチマチマして敵味方が激しく入れ替わるのでとっつきにくいですが、どうしてそうなったか?ポイントをつかむと驚くほどにスイスイと内容が入ってきます、そんなポイントを皆さんにお伝えしますね。日本史を勉強すると、今の政治まで見えてきますよ。
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