江戸時代の肥溜めの値段はなんとペットボトル飲料の3倍だった!?

26/06/2022


長安(俯瞰で見た漢の時代の大都市)

 

現在では化学肥料に取って代わられましたが、日本では鎌倉時代から昭和30年頃まで、野菜を育てる下肥(しもごえ)として人糞が利用されていました。

 

特に江戸時代には百万都市の江戸に新鮮な野菜を供給するために、同じく江戸市民の糞尿が活用され、肥溜めが高値で取引されていたのです。今回は色々な意味で黄金だった江戸時代の肥溜めの値段について解説しましょう。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

姉妹メディア「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

yuki tabata(田畑 雄貴)おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、姉妹メディア「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


そもそもなんで糞尿で作物が育つの?

オンライン授業の講師を務めるkawauso編集長

 

さて、皆さんは不思議に思わないでしょうか?

 

人間にとっては排出した後は見たくもないし、近寄りたくもない糞尿で、どうして作物が育つのでしょうか?

 

人の糞尿には普通の日本人の場合、水分95%、窒素が0.5~0.7%、リン酸0.11~0.13%、カリウム0.2%~0.3%で、ほかにも石灰、苦土、少量のケイ酸と約1%の食塩が含まれています。そして、稲の生育に必要な栄養素は、窒素、リン酸、カリ、マグネシウム、カルシウムで、成分の大半が人糞の成分とかぶります。

 

もっとも出来立ての糞尿を稲に撒くと塩分やアンモニアが強すぎて枯れてしまうので、しばらく肥溜めの中で発酵させて熱を発生させ、寄生虫や病原菌を殺菌し堆肥に変える必要はあります。堆肥にするのに必要な期間は、夏なら1~2週間、冬ならば3~4週間です。

 

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糞尿以前の肥料はなにか?

生涯、木曽義高を想い20歳で死去した大姫(女性)

 

最初に日本において人糞が肥料として利用されはじめたのは鎌倉時代と書きました。では、鎌倉時代以前には、なにを肥料にしていたのでしょう?

 

平安頃までは、肥料として牛や馬の糞や(いわし)のような大量に取れる魚、大豆を絞った油カスや、草を刈り取って発酵させるような方法が取られていたようです。人糞を発酵させれば肥料になる事は知られていたようですが、人の糞尿を田畑に撒くと、田圃の神様に失礼になるとして長くタブーだったとも言われます。

 

相模国松田に住み着く源行家

 

しかし、鎌倉時代も末期になると日本でも貨幣経済が浸透し農村ではない人口が密集した都市が生まれるようになりました。それまで日本ではウンチは川の傍の小屋で済ませたり、路地裏で排泄したりしていましたが、人口の過密化でそれも難しくなり、肥溜めを作って、そこに糞尿を貯めるようになります。

 

溜まった糞尿は処理しなければなりませんが、重い糞尿を川まで行って流すのは面倒なので堆肥として畑に撒くようになり、それが一般化したと考えられます。

 

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はじめての平安時代

 

 

江戸の人口増加で不足した肥料

にぎわう市(楽市・楽座)

 

人糞肥料は室町時代には、日本全国に広まり安土桃山時代には普遍化したようです。

 

そして、江戸時代になると家康が江戸に幕府を開き、五街道を整備して、全国から参勤交代で大名と家族が江戸に住むようになり、武士の消費生活を支えるために、多くの町人が住み着いて江戸中期には人口が100万人を超えました。

 

兵士(庶民・村人)

 

しかし、急速に膨らむ江戸の人口に対し、近郊の農村は肥料不足の状態に陥ります。少ない農村の人口では100万の胃袋を満たすだけの肥料の絶対量が足りないのです。

 

そこで目をつけたのが百万人の人口が出す糞尿であり、肥溜めに貯め込まれた糞尿を近郊の農家はお金を出したり野菜を提供する事で購入し、これを堆肥として野菜を栽培する事で、江戸の人口を養ったのです。

宋銭 お金と紙幣

 

当時の江戸は人口100万人でも、現在のように環状道路も鉄道もマイカーもなく、その範囲は現在の山手線に収まる程度で超過密都市でした。

 

本来なら、こんな狭い土地に百万人も暮らしていたら、すぐに都市が不衛生になりそうなものですが糞尿を売買して野菜に変えるリサイクルシステムが構築されていた為に、江戸は当時の世界水準で驚異的に清潔な都市になりました。

 

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はじめての戦国時代

 

 

江戸時代の肥溜めの値段は?

日本史 小判(お金)

 

さて、江戸時代の肥溜め一桶の価格はいくらだったのでしょうか?

 

これは、春、秋、夏・冬で値段が違い以下のような価格設定でした。

 

肥溜め一(おけ)(30ℓ)19文~25文 2400円~3000円
肥溜め一桶(30ℓ)14文~19文 1680円~1880円
夏・冬 肥溜め一桶(30ℓ)14文 1680円

 

鉄甲船

 

また、糞尿の運搬方法には海路と陸路があり、陸路は海路の倍近くも輸送費が掛かっていました。この価格は糞尿の運搬業者が農家に卸す時の値段なので、業者が江戸の町民から糞尿を買う時は、もっと安かったでしょう。

 

一艘の船が運ぶ肥溜めは160桶になり重さは4.8トン、価格は高い時で3両相当にもなりました。これは現在価格で36万円です。ちなみに人間が1日に生産するウンチの量は100g~200gですから、江戸では毎日最大で200トンもの糞尿が出ていて、それを全て船で運ぶとしたら40艘もの船が必要になります。

 

江戸湾を横断する40艘もの糞尿船、これは、ある意味壮観ですね。

 

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ガンバレ徳川

 

 

製造元で価格が大きく違う肥溜め

 

肥溜めは誰が製造元かでも価格が違いました。

 

1番高いのが、きんぱんと呼ばれた大名屋敷出身の肥溜。

2番目の町肥は一般の町屋出身。

3番目はお屋敷と言って寮や留置所から出た肥溜め

4番目のたれこみは尿が多く混ざっていました。

 

これらのランクは、より美味しいモノを食べている人の糞尿の方が栄養豊富だろうという考えから出てきたもののようです。

 

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俺達尊攘派

 

 

日本史ライターkawausoの独り言

朝まで三国志2017-77 kawauso

 

今回は江戸時代の江戸市民の胃袋を養った肥溜めの価格について書いてみました。現在では、処理するのに見えないながら税金が出ている糞尿が、江戸時代には庶民の収入になっていたとは、歴史とは面白いものですね。

 

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幕末のエンジニア達

 

 

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