ほのぼの日本史をご覧の皆さん。今週も1週間お疲れ様でした。今回のお疲れキャラは織田信長です。
比叡山焼き討ちなど非情な一面や使えない部下は容赦なく処断する信長ですが、一方で、非常に親切な面もありました。公家の権大納言山科言継が岐阜城で信長と面会した時の事、気まぐれな信長は、言継との面会を早めたり遅らせたりして、言継はイライラさせられますが、ようやく麓の屋敷で会えた信長は非常にフレンドリーでした。
今回、言継が岐阜に来たのは三河の徳川家康に後奈良天皇十三回忌法要の資金200貫を無心する為ですが途中、将軍足利義昭を奉じて飛ぶ鳥を落とす勢いの織田信長にあいさつに来ていたのです。言継は信長とは初対面ではなく、これまでも何度も立ち話をして親しい関係でした。
信長は63歳の老公家が遥々三河まで旅をすると聞き、大変に驚き、かつ同情し「わざわざ三河まで出向かれずともよい他に御用がないのであれば岐阜に逗留されればよい家康は駿河まで来ているだろうから私が使者を出して家康から200貫を調達しよう」この言葉に山科言継が喜んだのはもちろんですが信長は接待役の武井夕庵にこう言っていました。
(もし、家康からの調達が不首尾なら200貫までならワシが出してもよいから準備するように)結局、家康が50貫、信長は150貫を献金しおまけに200貫は信長の家来が京都まで運んでくれるという至れり尽くせりのサービスでした。
山科言継は信長に酒代として50貫を献上していましたが、結果として4倍のお金が帰って来たのです。信長が桁外れに気前がよく良い人であった事が分る話です。
文:かわぽん
参考文献:信長の親衛隊 戦国覇者の多彩な人材
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