ほのぼの日本史chをご覧の皆さん、今週もお疲れ様でした。今回のお疲れキャラは北条義時です。
北条義時が頭角を現した時期
北条義時が歴史の上で目立った活躍をするのはかなり遅く頼朝の死後に頼家政権で成立した13人の合議制に参加したのが最初です。この頃には、義時は30代になっていました。しかし、義時はそこからも積極的には動かず待ちの姿勢に入ります。
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ライバルが減っていくのを待っていた北条義時
そして、13人の有力御家人が病死したり、追放されたりするのを傍観しつつ三浦義村や二階堂行政、大江広元などを籠絡して味方につけつつ安達盛長や三浦義澄が死んでいき、最大の敵が比企能員と和田義盛になるのを待ってようやく行動を起こします。
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比企氏を滅ぼし父親を追放した義時
さらに比企氏を滅ぼした段階で、父の時政を姉の政子とタッグで畠山重忠に冤罪をきせて処刑したとして非難し追放最後は和田義盛に難癖をつけて滅亡に追い込んで権力を掌握します。
義時は待ちの人であり、有力御家人がお互いに殺し合うのを傍観したり死んだりするのを待って、極力敵を減らしてから動く賢明、あるいはずる賢い人だったようです。
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