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今週もお疲れ様!待つ事で権力を得た北条義時

16/12/2022


 

コメントできるようになりました 織田信長

 

今週もお疲れ様でした 北条義時

 

ほのぼの日本史chをご覧の皆さん、今週もお疲れ様でした。今回のお疲れキャラは北条義時です。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

姉妹メディア「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

yuki tabata(田畑 雄貴)おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、姉妹メディア「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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北条義時が頭角を現した時期

十三人の合議制の仕組みを作った北条義時

 

北条義時が歴史の上で目立った活躍をするのはかなり遅く頼朝の死後に頼家政権で成立した13人の合議制に参加したのが最初です。この頃には、義時は30代になっていました。しかし、義時はそこからも積極的には動かず待ちの姿勢に入ります。

 

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ライバルが減っていくのを待っていた北条義時

脳卒中で急死した71歳の三浦義村

 

そして、13人の有力御家人が病死したり、追放されたりするのを傍観しつつ三浦義村や二階堂行政、大江広元などを籠絡して味方につけつつ安達盛長や三浦義澄が死んでいき、最大の敵が比企能員と和田義盛になるのを待ってようやく行動を起こします。

 

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比企氏を滅ぼし父親を追放した義時

父・時政を追放する北条政子と北条義時

 

さらに比企氏を滅ぼした段階で、父の時政を姉の政子とタッグで畠山重忠に冤罪をきせて処刑したとして非難し追放最後は和田義盛に難癖をつけて滅亡に追い込んで権力を掌握します。

 

鎌倉幕府は六波羅探題を設置(北条義時)

 

 

義時は待ちの人であり、有力御家人がお互いに殺し合うのを傍観したり死んだりするのを待って、極力敵を減らしてから動く賢明、あるいはずる賢い人だったようです。

 

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北条義時

 

 

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カワウソ編集長

カワウソ編集長

日本史というと中国史や世界史よりチマチマして敵味方が激しく入れ替わるのでとっつきにくいですが、どうしてそうなったか?ポイントをつかむと驚くほどにスイスイと内容が入ってきます、そんなポイントを皆さんにお伝えしますね。日本史を勉強すると、今の政治まで見えてきますよ。
【好きな歴史人物】
勝海舟、西郷隆盛、織田信長

-おつかれさま