NHK大河ドラマ「光る君へ」において上地雄輔さんが演じているのが藤原道綱です。道隆、道兼、道長の三兄弟に比較してどうしても影が薄い道綱ですが、あまり政治力がなく、頭も良くなかったお陰で兄弟同士の勢力争いに巻き込まれずに済み、異母弟の藤原道長とも仲が良く最終的には大納言にまで昇進しました。
また才能は受け継がなかったとはいえ、道綱の生母は日本初の女流文学と呼ばれる蜻蛉日記を書いた才女でした。今回は愛されたおバカキャラ、藤原道綱を解説します。
この記事の目次
光る君へで藤原道綱を演じているのは誰?
NHK大河ドラマ「光る君へ」で藤原道綱を演じているのはタレントの上地雄輔さんです。幼少期から運動能力に優れ、横浜高校時代に捕手として松坂大輔選手と甲子園を目指していました。高校卒業後は複数の大学から推薦オファーを受けていましたが、芸能界のスカウトを受けたのを切っ掛けにタレントの道へ進み、クイズヘキサゴンではおバカキャラでブレイク、その後はシンガーソングライター、タレントとしても活躍しています。NHK大河ドラマでは2009年の天地人に小早川秀秋役で出演し、今回が二度目の大河です。
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道綱の身分は?
藤原道綱の最終的な身分は正二位大納言です。これは異母兄弟である藤原道隆や道兼、道長がそれぞれ、左大臣や太政大臣、関白のような最高ポストを経験したのに比較すると、1ランク落ちる身分でしかありません。どうして道綱の身分が低いのかというと、道綱の母は、右大臣藤原兼家の側室で、正室の子である道隆や道長に対して意図的に差をつけられたからです。ただ、道綱自身は出世に興味がなく、政治的にも有能とは言い難い人であったので、高い地位に就かなかったのは政争を回避するのには都合が良かったかも知れません。
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藤原道綱の妻は誰?
道綱には、正室の源雅信の娘以外に、源広の娘、藤原季孝の娘、源頼光の娘、源満仲の娘の5名が確認できます。妻の面々を見ると藤原摂関家の意向が強く反映されています。特に道綱の正室源雅信の娘である中の君は、弟である藤原道長の正室である源倫子の妹であり、この関係で道綱は道長と良好な関係を築く事が出来ています。
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藤原道綱と藤原道長の関係は?
藤原道綱から見て、道長は異母弟に当たります。兄弟同士でも権力を巡ってはいがみ合う藤原摂関家ですが、道綱は政治的には無能であり、また正室が道長の正室である源倫子の妹であった関係から道長に親近感を抱かれ、その関係は終始良好でした。特に道長が権力を握ってからは道綱は引き立てを受け、正二位、大納言まで昇進し国政に参画する地位を得ています。
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藤原道綱は何をした人?
藤原道綱は平安中期に活躍した政治家です。しかし、あまり有能ではなく父である藤原兼家や弟の藤原道長に従い、真面目にその補佐をしたお陰で大納言にまで昇進しています。また、異母兄弟ながら父の兼家には頼りにされていて、花山天皇を騙して退位に追い込んだ寛和の変では兼家の命令で異母弟の道兼と三種の神器を天皇の住まいから皇太子の宿舎へと移動させる大任を受けて成功させています。
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藤原道長のわかりやすい家系図
藤原道長から見て、道綱は腹違いの兄にあたります。道綱の母は藤原倫寧の娘で女流文学「蜻蛉日記」の作者として知られています。
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藤原道綱の母はどんな人?
藤原道綱の母は、かげろう日記の作者として知られています。天暦8年(954年)頃に藤原兼家の妻の1人となり、翌年には道綱を出産しますが兼家との関係は円満とはいかず、天禄元年(970年)に兼家が東三条殿に住み始め、新しい妻を迎えると疎遠になっています。しかし、それで関係が完全に途絶えたわけではなく、兼家が兄の兼通に疎まれて降格処分を受けると、円融天皇に処分を解いてくれるように懇願する長文の和歌を送ったり、兼家の元妻の娘を養女として迎え入れたり、息子の道綱の歌壇デビューではあまり和歌の才能がない息子の為に、歌を代筆したりしていたそうです。
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大河ドラマで藤原道綱母を演じるのは誰?
NHK大河ドラマ「光る君へ」で藤原道綱母を演じるのは財前直見さんです。財前さんは。昭和59年に日本航空のキャンペーンガールに選ばれて芸能界デビュー。同年にドラマ「六本木天使」で主演を務めました。NHK大河ドラマの常連で1994年の「炎立つ」2005年の「義経」2017年の「女城主直虎」に引き続き、今作で四回目の出演です。
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藤原道綱母が、藤原道綱を生んだのはいつ?
藤原道綱の母が道綱を産んだのは、天暦8年(954年)頃で、その前年から藤原兼家の妻の1人となりました。それから天禄元年(970年)頃まで、兼家の来訪は多かったようですが、その後、兼家に別の妻が出来た事もあり疎遠になっています。
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藤原道綱の母が書いたものは何?
藤原道綱の母が書いたのは、日本最初の日記文学と称される「かげろう日記」です。かげろう日記のタイトルは、人生の儚さ、恋愛の移ろいや男心の薄情を嘆いて、人生なんてあるかないかも不確かで取るに足りないかげろうの如きものとした文面より取られていますが、日記そのものは悲観的でもなく、不実な夫、兼家に罵詈雑言をぶつけつつも、一人息子道綱の成長を喜び、歌人との交流や旅の出来事を綴るパワフルなものです。
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かげろう日記の内容は何?
かげろう日記の内容は、夫である藤原兼家との夫婦生活や、兼家の正室時姫との間の競争、そして、兼家が次々に造る愛妾に対する嫉妬や愚痴、母や叔母との関係、旅行先での出来事や兼家との間に生まれた息子、道綱の成長や結婚についてを和歌を交えて書き記した日記です。天暦8年(954年)から天延2年(974年)までの20年の出来事が綴られる女流日記のさきがけで、源氏物語をはじめとする後世文学に多大な影響を与えました。また、自身の心情や経験を淡々と客観的に省察した自照文学の嚆矢ともされています。
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日本三大日記とは?
日本三大日記とは、女性に仮託した紀貫之の「土佐日記」と和歌に日々の想いをこめた道綱母の「蜻蛉日記」そして宮仕えを回想した紫式部の「紫式部日記」さらに菅原孝標女が13歳頃から50代になるまでを描き少女時代を振り返る「更級日記」です。この段階で四作品ありますが、お好みで一つを省いて下さい。
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日本史ライターkawausoの独り言
今回は藤原道長の異母兄、藤原道綱について解説してみました。父の政治力も母の文学的才能も受け継がなかった道綱ですが、そのおかげで藤原摂関家の骨肉の争いから距離を置き、比較的平穏に人生を全うしたとも言えますね。
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