縄文時代は今から1万年~1万3千年前から始まり、3千年前くらいに終了したと言われます。土器など様々な道具を使ったり、定住を開始、植物の栽培を始めるなど日本に住む人々の生活が飛躍的に変化した時代でもありました。
長く続いた縄文時代ですが、次第に稲作文化を中心とした「弥生時代」に移行していきます。なぜ縄文時代は終わったのでしょうか。今回の記事では「縄文時代の終わり」について調べてみましょう。
縄文時代とは?
縄文時代とは世界史的には「中石器~新石器時代」にあたり、今から1万年から1万3千年前に始まった、と言われています。縄文時代より前の「旧石器時代」は狩猟と移動を中心とした社会でしたが、縄文時代には人々の定住、集落化が始まり、植物の栽培もおこなわれるようになってきました。
様々な道具を使うようになったのも縄文時代ですが、そんな中でも「縄文土器」は「火焔土器」に代表される独特なデザインが特徴的です。
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縄文時代の文化
縄文時代は1万年ほどの長い時代で、そんな中で様々な文化が生まれました。日本全国に縄文時代の遺跡がありますが、そこからはコメなどの穀物が見つかり、おそらく栽培されていたと考えられています。
また、木の実などの森の恵みを料理することも始まり、そのままでは食べられない木の実を「あく抜き」する技術も発見されていると言います。
「家畜」も盛んになり、縄文時代の遺跡からは人の骨と犬の骨が並んで発見されることもあり、この時代から犬は人のパートナーとして家畜化されていたと予想できます。また、猪や豚も利用されていた痕跡もありますが、猫はまだ日本には来ていなかったようです。豊かな文化を築いた縄文時代でしたが、なぜ終わったのでしょうか。
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縄文時代が終わった理由1:急激な気候の変化
昨今も温暖化が進み、急激な気候の変化が顕著になっていますが、縄文時代にもそれがあったと考えられます。それは「寒冷化」で、それによって森や狩猟からの食料の供給が激減し、今までの縄文文化を維持できなくなったのでしょう。
縄文時代末期には急激な人口減少が起きますが、「弥生時代」になって寒冷化は終わり、安定した食料供給のできる稲作の発達に伴って人口は回復したと考えられます。
縄文時代が終わった理由2:大陸からの大量の渡来人
縄文時代末期は中国では「戦国時代」と呼ばれる激動の時代でした。有名な「始皇帝」が中国を統一するまでその混乱の時代は続き、人々は安全な場所を求めて移動してきました。
そんな人々が日本列島に渡来し、稲作文化をもたらすとともに、従来の狩猟中心の縄文文化を終わらせたという説があります。稲作の伝来ルートは諸説あり、「朝鮮半島から伝来」「南西諸島から伝来」など様々です。
中国の長江流域には古代、「倭族」と呼ばれる集団があり、彼らが戦乱を避け稲作文化と共に日本に渡来したという説もあります。
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急激な気候の変化とは?
縄文時代が終わったのは「気候の変化」が影響していますが、具体的にはどのような変化だったのでしょうか。気温は2度低下したと考えられ、それによって漁業は壊滅的な打撃を受け、植生も大きく変化しました。
海岸線が大きく後退するなど、地形も変わり、人々も移動を余儀なくされました。従来の生活は成り立たなくなり、安定した稲作が重視されるようになるのです。
縄文人とは?
現代の日本人は「弥生人と縄文人の混血だ」と言われています。「弥生人」は大陸から渡来してきた人々と、彼らと混血した人々で現在の日本人のルーツになります。では元々日本に住んでいた「縄文人」とは何者なのでしょうか。
諸説あるのですが、縄文人の祖先は東南アジアから中国を北上し、北海道から本州に移住した「北方系」と、東南アジアから日本列島を北上した「南方系」の集団がいたと考えられています。
縄文時代の遺跡で見つかった人骨を鑑定すると、北方系と南方系の人々が一緒に暮らしていたことがわかってきました。縄文人のルーツは様々で、「他民族生活」だと推定でき、大陸から大量の渡来人が来ても彼らと上手に融合して「弥生人」になったと考えられます。
縄文史ライターみうらの独り言
縄文時代がなぜ終わったかと言うと「気候変動」が大きな影響だという事がわかりました。現在も気候の変化が激しくなっており、時代の転換期に来ているのかもしれませんね。
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