大河ドラマ、鎌倉殿の13人、皆さんも見ていらっしゃるでしょうか。筆者は中々リアルタイム視聴とは行かないものの、毎回「グワーッ」となりながら楽しんでおります。
先行きはほぼ確定しているとはいえ、沸き起こる哀しみ苦しみ、これが歴史物の面白いところではないでそうか。さて今回はそんな大河ドラマにも出てきた、そして源頼朝、北条政子を結び付けたとされる神社、伊豆山神社に対するあれこれを少しばかり語ってみたいと思います。
源頼朝、政子縁の神社『伊豆山神社』
まずは現在の伊豆山神社に付いて少しばかり。現在でも、伊豆山神社は静岡県熱海市伊豆山に社が構えられています。大河ドラマの影響もあり、お参りする人が増えているとも言われていますね。
この社はその昔、伊豆に流された源頼朝が源氏の復興を祈願したということで有名な神社でもあるのですが、もう一つ、縁結びの神社としても有名な神社でもあります。このため伊豆山神社は頼朝だけでなく、政子縁の神社としても有名なのです。
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縁結びの神社と梛なぎの木
さてどうして縁結びの神社としても有名になったかと言うと、この神社は頼朝と政子が逢瀬を重ねた場所とされているからです。またこの神社の御神木である梛の木。
この木の葉は葉脈の走り方が特に御神木であるこの(なぎ)の木は、その葉を大切に持っていれば良縁が結ばれるとされております。梛の葉は葉脈が縦方向のみにあるため、縦方向に引っ張っても簡単には千切れません。このため裂けない男女の仲を象徴し、夫婦円満、恋人たちの縁結びの象徴とされたと言います。
三国志風に言うと断金の仲ですね!(職業病)
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伊豆山権現
ではちょっと大河ドラマに移ってみましょうか。
大河ドラマでは政子たちが、身を寄せる場所としてある場所が出てきます。段々と再び乱れる世の恐ろしさ、不安などが伝わってくる場面でもありますね。その身を寄せる場所が伊豆山権現で、伊豆山権現の長が文陽房覚淵と言います。
あれ?伊豆山神社ではないの?と思った方。そして文陽房覚淵が出てきた時にあれ?と思った方。ここはかなりポイントなので、その違和感は大事ですよ。
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あれあれ?
ちょっと神社に付いて軽く説明をしましょうか。神社というのは、日本固有の宗教である神道を信仰する場所、そしてその信仰によって行われる祀りを行う施設です。そして寺というのは、仏様を祀る場所です。また神社では神主、寺では僧侶が主として祀り事を務めてらっしゃいますね。
で、この「伊豆山権現」で出てくるのは基本的に僧侶たち。ではこの伊豆山権現は伊豆山神社ではないのか?というのは半分当たりで半分はずれ、とでも言いましょうか。実は歴史に大いに関わってくる話なのです。
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神仏習合
元々日本では八百万の、と言われるように、多くの神様を崇めてきました。様々な地域で様々な神がいる、このため八百万の神、という多くの神々がいる、という文化が根付いていました。
そんな中6世紀半ばに、仏教が伝来します。今までの神道こそが正しいとするか、それとも新しく仏教に変化するか……当時の人たちの中でも揉めに揉めたのですが……時代と共に、神仏習合の概念が生まれていきます。
めちゃめちゃ大まかに言うと、神道の神様と仏教の仏様を別側面として同一化、したという感じになります。とは言っても神仏習合を全ての人たちが受け入れたという訳でもないのですが……それはまた別の話で。伊豆山権現もまた神仏習合として、山岳信仰、修験道などが融合していました。このため当時の伊豆山には、僧侶がいるのです。
神仏分離令
しかし時代が変化してくると、宗教と政治の考えは変化していきます。そこで生まれたのが神仏分離です。これは読んで字のごとく、神と仏、つまり神社と寺を明確に分けること。そして明治時代に発令された神仏物理令によって、修験道に基いていた伊豆山三所権現は廃されることになりました。
これはそもそも修験道が、日本の神と仏教の仏が共に祀られていたこと、このために修験禁止令まで出されたため、廃せざるを得なくなったとも考えられます。
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現在は伊豆山神社という形で作られている
こういう経緯もあって、現在では伊豆山神社という形が作られているのです。しかし当時、鎌倉時代ともなれば明治時代のもっともっと昔のこと。つまり、神仏分離令もなければ、修験禁止令も出ていない頃のこと。
まだ二つの信仰が結びついていた頃の話という訳ですね。まだ結びついていた頃の話。まだ変化する前の話。そう思うと何だかちょっと切なく思えた筆者でした。
戦国ひよこライター センのひとりごと
現代の伊豆山神社を考えてみると、不思議に思える演出。しかしドラマ中で「伊豆山権現」と言われているのは、そして僧侶が出てきているのは、当時としては何らおかしくなかったことでもあります。
こういう現在とその時代との違い、ちょっとしたことですが調べてみると深い歴史があって、とても重しく思う筆者です。大河ドラマも面白く見るのももちろんですが、ちょっと小さな疑問、そんな不思議なことにも色々と首を突っ込んで見たい筆者でした。
ちゃぽーん。
参考文献:関八州総鎮護 伊豆山神社
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