広告

源義経はなぜ検非違使に任命された?~鎌倉兄弟の不和の原因の謎~

12/12/2022


 

コメントできるようになりました 織田信長

 

源義経

 

さて今回のお話のテーマはズバリ「源義経はなぜ検非違使に任命された?」となります。長く言われていることですが、源義経が兄である源頼朝との不和の原因、これが後白河法皇から源義経が検非違使に任命されたから……と言われてきました。

 

Schipperke(スキッパーキの子犬)はてなver

 

しかし、様々な要因から実際にはこれは関係はなかったのでは?とも考察されています。ここでは検非違使に付いてのお話もしながら、そこら辺についてもじっくりと語っていきたいと思いますので、よろしくお願いします。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

姉妹メディア「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

yuki tabata(田畑 雄貴)おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、姉妹メディア「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


【誤植・誤字脱字の報告】 バナー 誤字脱字 報告 330 x 100



【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 ほのぼの日本史レポート引用について



検非違使のお役目、衰退した役職

太政大臣に任命される平清盛

 

さて検非違使とは?

 

「検非違」とは非違、違法行為を検察することで「使」は使い、つまり天皇のお使い、使者となります。検非違使の役職は平安時代に設置され、今で言う警察官、裁判官のお役目を持ち、京都の治安維持や犯罪などを取り締まる役目を担ってきました。検非違使長官である検非違使別当ともなれば蒸留貴族の犯罪も取り締まれるほどの権威を持ち、かなりの権力を持つことができたとされています。

 

とは言え、平安時代も末期となるとこれは武士たちに取って代わられ、衰退していくこととなるのですが……。

 

こちらもCHECK

朝廷すら意のままに操る平清盛
もし平清盛が源頼朝を少年のうちに殺していたらその後の日本史はどうなっていた?

続きを見る

 

ながら日本史

 

 

検非違使に任命された源義経、兄弟の不和の始まりか

義経と頼朝の仲を裂こうと画策する後白河天皇

 

その検非違使に任命されたのが、ご存知源義経。検非違使判官に任命されたことから、九郎判官とも呼ばれるようになりました。そして任命したのが後白河法皇。彼は平氏追討の功績から義経を任官したのですが、これが義経と頼朝の不和に繋がっていきます。この任官は頼朝の頭を飛び越して行われたもの、このため「勝手な行動」として頼朝は義経に怒ってしまう訳ですね。

 

こちらもCHECK

再び権力を取り戻した後白河天皇
院宣とは何?院政完成と同時に誕生!上皇のお言葉文書【鎌倉殿の13人】

続きを見る

 

はじめての平安時代

 

 

後白河法皇の企み?源義経が検非違使に任命された理由

源義経と頼朝を対立させようとした後白河天皇

 

この後白河法皇による源義経、検非違使判官に任官した出来事。これは後白河法皇の策略だった、という話があります。というか多くの場合で見られる解釈ではないでしょうか。

 

権力を失った後白河天皇

 

後白河法皇としては平家は打倒して欲しいけれど、かといって平家に源氏が取って代わられるだけでは意味が有りません。源氏の力を削ぐために、わざと義経を任官することで、兄弟仲を悪くしようと企んだのです……何という老獪さ!

 

こちらもCHECK

木曾義が平家に敗北したチャンスを逃さない後白河法皇
後白河天皇はバカなのになんで長期政権だった?

続きを見る

 

はじめての鎌倉時代

 

 

とは言われているが、決定打ではなかった可能性も?

激怒した頼朝、義経討伐を命じる

 

ここで少し触れたいのが、義経に対して頼朝が怒った理由、実はいくつかあるのです。

 

・平氏追討で梶原景時の意見を聞かずに独断行動

・壇ノ浦での越権行為

・東国武士たちの犯罪に関して、独断で成敗した

・活躍しすぎて東国武士たちの戦功を独り占め

・壇ノ浦では三種の神器が失われた

 

猜疑心が芽生える源頼朝

 

などなど。これらの要因があるにも関わらず、兄弟の仲違いの大きな理由として任官問題が挙げられるのは吾妻鏡に義経の検非違使任命に対して頼朝は『すこぶる御気色を違えた』とされているからです。

 

こちらもCHECK

再び権力を取り戻した後白河天皇
後白河法皇(後白河天皇)はどんな人?天下一のバカ殿が長期政権を維持した理由は歌が大好きだから?

続きを見る

 

源頼朝

 

 

源義経はなぜ検非違使に任命された?問題点の一つ

次々と奇跡を起こす天才武将・源義経

 

ここで、源義経が検非違使に任命されること、の問題点を一つ上げてみましょう。検非違使、それも検非違使判官という役職は、基本的に「京都の街を守ること」がお役目となります。

 

もっと言うと、後白河法皇の身をお守りすることもお役目と言えるでしょう。つまり、幕府、及び、源頼朝のために働くことが難しくなるのです。これこそが後白河法皇の狙いだった、と言えば、義経は罠に落ちたことになります。

 

こちらもCHECK

平家の水軍(壇ノ浦の戦い) 平清盛
源平合戦を平家の側から見ると意外な事が分かる!平氏目線の治承・寿永の乱【後半】

続きを見る

 

源義経

 

 

源義経はなぜ検非違使に任命された?頼朝の対応が無駄に……

源義経の八艘飛び

 

もう一つ、検非違使に任命された一件で、起こった問題があります。前述したように、平氏追討で義経は活躍しすぎたことで、不平不満が挙がっていました。頼朝はトップとしてどうにかせねばなりません。しかし頑張った義経から褒賞を取り上げるというのも……として「義経の伊予守推挙」を考えていました。

 

早く木曽義仲と戦争をしたい源義経

 

ですが義経は後白河法皇の異例の任官を受けた上に、伊予守就任後も検非違使判官を兼任していたと言うのです。本来ならば幕府側の義経が、幕府のために動けなくなった。この場合は頼朝からすれば自分の考えと対応を台無しにしてしまった義経、となる訳で。結果として兄弟の溝はより深くなってしまった訳ですね。

 

こちらもこちらで兄弟間のやるせなさがあって辛いです……。

 

こちらもCHECK

源義経の鵯越の逆落とし
鎌倉時代100年分を超分かりやすく圧縮!源平合戦はどのように蒙古襲来に繋がる?【鎌倉殿の13人】

続きを見る

 

北条義時

 

 

頼朝、義経の行為に「すこぶる」怒る

吾妻鏡の表紙 表紙

 

さて、最後にある一件に付いて触れておきましょう。頼朝は義経の行動に『すこぶる御気色を違えた』と吾妻鏡に記述されています。すこぶるとはとっても、とか、普段よりももっと、という意味で使われますね。

 

「すこぶる元気です!」

 

ダークサイドに堕ちた源頼朝

 

という風に。つまりこれは「頼朝はとっても怒っている」ということになるので、多くの場合、これが頼朝と義経の仲違いの発端、とされてきました。しかしすこぶるには「ちょっと」という意味もあるのです。

 

そちらの意味で使うと「頼朝はちょっと怒った」みたいな意味になるのですね……どちらの意味で使われているのかはっきりしない以上、判断は難しいのですが。もしかしたらこれは小さな発端であり、そこからじわじわと怒りと不満が溜まるようになって……という源氏兄弟の不和、という新しい解釈も、可能かもしれませんね。

 

こちらもCHECK

源頼朝、源義経と異母兄弟だった源範頼
地味な将軍・源範頼、その子孫はどうなった?源氏の血を保った石見吉見氏

続きを見る

 

鎌倉殿の13人

 

 

鎌倉ひよこライター センのひとりごと

日本史ライター セン

 

さて今回は源義経はなぜ検非違使に任命された?を考えてみました。多くの場合では後白河法皇の策略、とされていますが、もしかしたら「すっごく強い義経くんには都をまもってもらお!」くらいの考えだった可能性もあります。

 

それを受けてしまった義経に対して頼朝も激怒はせず「あーもー九郎はまた勝手に決めるんだからー」くらいの不満だったかもしれません。しかしこれらの全てがよりにもよって最悪な方向に突っ走っていた……そういう「偶然」もまた怖いものではないか。そう思った筆者でした。ちゃぷり。

 

 

参考:吾妻鏡

 

こちらもCHECK

源義経と犬猿の仲だった梶原景時
梶原景時と源義経は本当に犬猿の仲?二人の関係に迫る

続きを見る

 

ほのぼの日本史Youtubeチャンネル

 

 

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
セン

sen

自己紹介:日本史はあちらこちら、面白そう!と思った所を色々と見ていくのが大好き。どこも面白くて目移りしてしまいますが、特に戦国時代が大好物。様々な勉強ポイント……よりも、ちょっとクスっとしてしまうような小話を交えつつ、皆さんと沼にハマっていきたいと思います、どぼーん。 好きな歴史人物:織田信長 斎藤道三

-鎌倉時代
-,