本多忠真は戦国時代の三河国の武将で徳川家康の家臣であり、徳川四天王本多忠勝の叔父にあたる人物です。兄である本多忠高が1549年、1歳になったばかりの忠勝を残して討ち死にすると、本拠地の欠城に兄嫁と幼い忠勝を引き取り養育しました。今回は忠勝の父親代わりとなった本多忠真を解説します。
松平氏の忠臣本多家
本多忠真は1531年から1534年の間に三河松平氏の家臣、本多忠豊の次男として誕生します。本多家は忠真の祖父本多助豊の時代から安祥松平氏の松平長親に仕え、以後、信忠、清康と代々仕えています。忠真の父、忠豊も松平氏に仕え享禄3年(1530年)の宇理城の熊谷直盛を攻めた際には、松平清康を敵兵から庇い、自ら進み出て戦い清康から扇の指物を与えられています。
忠豊は清康が不遇の死を遂げ安祥松平氏が没落しても他家に仕える事なく、松平広忠が今川義元の庇護を受けて岡崎城に帰還するとこれを迎えました。
忠豊も父譲りの忠義の持ち主で天文14年(1545年)第二次安祥合戦で敗北した松平広忠を逃がすために殿軍を務めて討死しています。
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本多忠真の逸話、甥の忠勝を厳しく育てる
10代の頃に父を失った忠真は、その後欠城主となりますが、本多家にはさらなる悲劇が待っていました。天文18年(1549年)第四次安祥合戦で兄・忠高が織田勢との戦いで討ち死にしてしまったのです。本多の本家を絶やすまいと、忠真は兄に代わり兄嫁とその子、鍋之助(後の本多忠勝)を欠城に保護。亡き兄に代わり忠勝を立派な武士とすべく徹底した教育を施します。父を知らない忠勝ですが、叔父の手により本多家の武士としての教育を叩きこまれたのです。
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桶狭間で忠勝を救う
甥の忠勝は永禄3年(1560年)、桶狭間の戦いの前哨である鷲津砦での攻防戦で初陣を迎えます。この時、忠真が忠勝を補佐し、忠勝が織田方の武将・山崎多十郎に討ち獲られそうになったときに、槍を投げつけて窮地を救いました。その後も若年の忠勝をサポートして数々の合戦に従軍。永禄4年(1561年)の尾張国石瀬での水野信元との合戦で手柄を立て、永禄6年(1563年)の三河一向一揆の時にも一貫して家康を支持し岡崎城の防御に向かっています。
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本多忠真の晩年
本多忠真は40歳で討死しているので晩年はありません。しかし甥の本多忠勝が名将として成長していく様子を見る事が出来て、亡き兄に恥ずかしくない教育が出来たと満足したのではないでしょうか?
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本多忠真 最期
元亀3年(1572年)12月、本多忠真は三方ヶ原の戦いで退却の際に自ら殿を買って出ます。そして旗指物を左右に突き刺すと、「ここから後へは一歩も退かぬ」と言って追撃に来る武田軍に突撃し壮烈な戦死を遂げました。この戦いでは忠真ばかりではなく、鳥居忠広や、成瀬藤蔵、田中義綱、中根正照、青木貞治のような名だたる武将や、家康の身代わりとなった夏目吉信、鈴木久三郎が討ち死にする大損害を受けています。
一方で甥の忠勝は、忠真とは別に徳川軍の左翼を指揮し、山県昌景を撃退して武田軍が逃げる家康本隊を追撃する足並みを乱れさせるなど活躍しました。
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本多忠真の子孫は?
忠真には嫡男の菊丸がいて、父の命令で家康を援護し無事に浜松城に退却しますが、忠真を後に父を三河に葬ったあとに出家したようです。以後の子孫は伝わっていません。
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本多忠真の死因
本多忠真の死因は討ち死にです。忠真は三方ヶ原で大敗した家康が浜松城に逃げるまでの時を稼ぐためにしんがりを引き受け、後ろに下がらないと宣言して武田勢に切り込んでいき、多勢に無勢で次々と刀傷を受けて討ち死にしました。
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日本史ライターkawausoの独り言
今回は徳川四天王、本多忠勝の叔父であり、父親代わりでもあった本多忠真を解説しました。忠真自身も槍の名手であり数々の手柄を立てましたが、祖父や父、兄と同じく家康を救うために盾となり討ち死にした話は胸熱ですね。こんな立派な叔父に教育されたからこそ、忠勝も徳川随一の名将になったのでしょうね。
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